織田信栄
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織田信栄(おだ のぶよし、元禄10年(1697年) - 明和6年7月24日(1769年8月25日))は江戸時代の旗本。旗本織田信清の長男。養父は高家旗本織田信明。初名は信廷、信尹。通称は万五郎、式部。官位は従四位上左少将、伊賀守、対馬守。
正徳3年(1713年)11月28日将軍徳川家継に御目見する。享保8年(1723年)7月23日、養父信明の隠居により家督を相続する。享保13年(1728年)12月15日、高家に就任し、従五位下侍従・伊賀守に叙任する。後に従四位上左少将にまで昇進する。宝暦2年(1752年)10月18日、高家肝煎に就任する。
明和4年(1767年)8月21日、実子で上野国小幡藩主織田信邦のおこした明和事件に連座して蟄居・隠居を命じられた。山県大弐と交遊関係にあった小幡藩士吉田玄蕃の処罰を幕府に届けず、内々に処理することに関し、小幡藩から相談を受け、追認したことを咎められたようである。それにともなって、織田家は高家旗本から普通の旗本に降格となる。明和6年(1769年)7月24日死去、享年73。
正妻はいない。長男信之、次男信憑(丹波国柏原藩主織田信旧養子)、四男信邦(上野小幡藩主織田信富養子)、五男信浮(上野小幡藩主織田信邦養子)、長女(松平親章妻)、三女(酒井政勝妻)、五女大久保忠官ら五男五女あり。その外に養女(実父織田信清、永井尚方妻)もいる。
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