織田輔宜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
織田輔宜(おだ すけよし、享保17年(1732年) - 寛政11年8月29日(1799年9月28日))は江戸時代の大名。大和国芝村藩主。大和芝村藩主織田長亮の長男。生母は正室・細川有孝の養女(実父は細川利昌)。通称は幸次郎。官位は従五位下丹後守。
享保17年(1732年)、江戸において誕生。生母が正室細川有孝の養女であることから系図上は長男とされ、実際は2男または3男であった可能性もある。享保18年(1733年)8月2日、父長亮の死去に伴い家督を相続する。延享2年(1745年)12月12日、陣屋を戒重から芝村に移転する。延享4年(1747年)11月1日、将軍徳川家重に御目見する。同年12月19日、従五位下丹後守に叙任する。
元文2年(1737年)5月25日、幕府から天領13,000石を預けられる。後に93,430石にまで増やされる。ただし、宝暦3年(1753年)、預かり地の農民が重税を京都町奉行所に箱訴に及び、芝村騒動が発生した。明和4年(1767年)5月9日駿府加番を命じられる。
安永7年(1778年)2月25日隠居し、養子長教に家督を譲る。寛政11年(1799年)8月29日、江戸において死去、享年68。
正室は土岐頼稔の娘。継室は毛利政苗の娘(離婚)。子女はいない。
|
|
|
|
|
|