自然発生説
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自然発生説(しぜんはっせいせつ)とは『現在』においても生物が親無しで無生物から自然に発生するという、アリストテレスの提唱した生命の起源に関する説の1つである。フランチェスコ・レディの対照実験を皮切りに自然発生説を否定する実験的証明が始まり1861年のルイ・パスツール著『自然発生説の検討』に至って初めて自然発生説が完全に否定された。
別名、偶然発生説など。
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[編集] 自然発生説を支持した観察
紀元前4世紀にアリストテレスの提唱した自然発生説は以下の観察を根拠とした。『動物誌』や『動物発生論』によると
そのプロセスとしては、
- 生命の基となる『生命の胚種』が存在することを前提とし、
- 生命の胚種が『物質』を組織して生命を形作る。
と主張している。この考え方は生命の起源に物質以外の何かが関与しているとされる『生気論』を根底にしている。アリストテレスのこれらの観察はルネサンスまで疑いなく人々に受け入れられており、それらの実験的証明はなされなかった。
[編集] 自然発生説を支持した実験
1668年、フランチェスコ・レディの対照実験によって自然発生説を否定する最初の実験的証明が行なわれたが、時を同じくして自然発生説を肯定する実験も行なわれていた。ファン・ヘルモントは17世紀に
- 小麦の粒と汗で汚れたシャツに油と牛乳をたらし
- それを壺にいれ倉庫に放置することにより
- ハツカネズミが自然発生する
と言う実験を行なった。現代でこそ一笑に付される実験ではあるが、当時有名な化学者、医学者および錬金術師であった彼の実験は大いに自然発生説論者を勇気付けたとされる。さらに錬金術的な人工生命の実験として最も有名なものがパラケルススによるホムンクルスの作成だろう。他にもカエル、ウナギなどの自然発生の実験も行なっている。
[編集] 自然発生説否定の歴史
自然発生説否定の歴史はその多くが実験によるものであったが、レーウェンフックの発見した微生物により、その完全否定には困難を極めることとなった。ある種の生物の自然発生を否定しても、その実験結果を否定する反論や例証を挙げられ、更にそれらを否定することで自然発生はより強く否定されていった。また自然発生説否定の実験により食品の保存に関する知見に非常に深い影響を与えた。
[編集] レディの実験
まずはじめに自然発生説を否定する実験を行なったのは上述したようにフランチェスコ・レディであった(1665年)。彼の実験は科学に基本的な対照の概念をもたらしたと言う点で評価されるべきものである。このレディの実験は、以下のようなものである。
- 2つのビンの中に魚の死体を入れる。
- 一方のビンはふたをせず、もう一方のビンは布(目の細かいガーゼ)で覆ってふたをする。
- そのまま、数日間放置する。
- 結果、ふたをしなかったビンにはウジがわくが、ふたをしたビンにはウジはわかなかった。(生命の起源から転載)
これは、ガーゼによってハエが肉に卵を産み付けられないようにしウジは自然発生しない、と言うことを証明したものであった。しかし、ウジやハエに関する自然発生を否定したのみであり、レディ自身『寄生虫は自然発生する』ことを認めたとされる。また、後にレーウェンフックによって微生物が発見されたが、この微生物が肉汁(有機物溶液)に現れる現象を自然発生の例証とした(18世紀、ニーダムによる)。
[編集] 有機物溶液の加熱および密閉
有機物溶液中における微生物の自然発生の否定はイタリアの動物学者ラザロ・スパランツァーニによって実験された。彼の行なった実験は非常に単純で、
- 有機物溶液を加熱することにより微生物の発生を抑止できる
というものであった。微生物の発生を抑止するには加熱以外に有機物溶液を外気に触れさせないという彼の主張があったが、これは
- 微生物は空中から運搬され、有機物溶液中に侵入する
という論拠が根底にあった。加熱および有機物溶液を外気に触れさせない、いわゆる『溶接密閉法』の技術を考案し、ガラス瓶を用いて以下の実験を行なった。
- フラスコ内の有機物溶液を加熱した後、金属でフラスコの口の溶接密閉を行なう。
- 長期間保存しても微生物は現れない。
- フラスコ壁面に微小な亀裂を生じると微生物が発生する。
- 結果、微生物を永久に有機物溶液内に発生させないようにするには、溶液を加熱した後、容器を溶接密閉した状態に保つ、とした。
スパランツァニのこれらの実験は『滅菌』と言う概念を生じ、自然発生説の否定はおろか、食品の保存に関する方法について重大な影響を与えた。後にフランシス・アペルトによって缶詰法(アペルティゼーション)が開発された。
しかしながら、以上の実験より自然発生論者は『密閉により微生物の運搬を防いだわけではなく、生物の生育に必須である酸素が供給されないがために自然発生した微生物の生育が抑制されているだけではないか』との反論を受けた。
[編集] 白鳥の首フラスコ実験
ルイ・パスツールがこの実験を行なった理由は、『有機物溶液の変化と微生物の増殖に因果関係がある』ことを証明するためであった。すなわち、微生物が増殖せず、有機物溶液に変化が見られなければ、上記の命題を証明できる。パスツールが始めに行なった実験は、
- 加熱し密閉した有機物溶液に加熱した空気を綿火薬を通して送りこむ
と言う実験であった。この実験では微生物の増殖は見られなかったが、これは綿火薬に微生物がトラップされたことによる。事実、綿火薬を有機物溶液に入れると微生物の増殖が見られた。
更に、加熱せずに空気を通した上で微生物をトラップする実験を行なうために考え出されたのが有名な『白鳥の首フラスコ実験』である。
- フラスコ内に入れた有機物溶液を加熱し滅菌する。
- 滅菌しながらフラスコの口を長く伸ばし、微生物をトラップするために下方に湾曲させた口を作る。
- この白鳥の首フラスコをしばらく放置しても微生物の増殖は見られなかった。
- このフラスコの首を折る、あるいは無菌の有機物溶液を微生物をトラップさせた首の部分に浸し、それをフラスコ内に戻すと微生物の増殖がみられる。
これは、非加熱の空気の交換を行なうが、微生物の増殖が見られないと言う点で、極めて説得力ある自然発生説否定の実験である。この実験を基にして1861年、ルイ・パスツールは『自然発生説の検討』と言う論文を著した。
この実験が自然発生説の否定に最も貢献したと言われているが、次に自然発生論者は『干草の抽出液を用いた同様の実験では微生物が増殖する』ことを反証にあげた。
[編集] ティンダルの実験
イギリスの物理学者、ジョン・ティンダルは上記の『干草の抽出液』には従来の加熱法では殺菌することが出来ない、耐熱性を有した状態をそれらの菌が取ると仮定した。そのため、干草抽出液を5.5時間煮沸し、それでもなお一部の菌が生残することを観察した。また、その菌が熱に弱い状態を取ることもある(5分間の煮沸で全滅)ことも同時に観察した。結果、干草抽出液から分離される菌は耐熱性に富んだ状態を取ることを明らかにした。
これは、ある種のグラム陽性菌が内生胞子の状態を取っている、と現在では証明されている。内生胞子はドイツの植物学者フェルディナンド・コーンによって発見され、耐熱性を有することが示された。