缶詰
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缶詰(かんづめ)は、缶と呼ばれる金属製の容器を使用し、食品や酸化を嫌う物質、工業製品などを納めた物である。主に食料品の長期保存に適し、加熱処理をした食品を金属製容器に入れて封をしたもの。保存食の一種である。食料品の場合、広義にはレトルト食品も含まれ、さらに、加熱して密封したガラス瓶詰めのものも同一範疇に入れる国もある。
ここでは食料品の缶詰について記す。
飲料の缶詰は、例えば「缶コーヒー」「缶ビール」などと言い、「缶詰」という語句は用いないようである。
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[編集] 缶詰(食料品)
長期間(現在のものは一般的に3~4年)保存ができ、基本的に調理済みなので、あけてすぐ、または簡易な加熱などのみでそのまま食べることができる。製造時に完全に殺菌が為されており、尚且つ缶に損傷が無い場合に限り、数十年以上経過した物でも食用に堪える。また、あけてすぐに食べれば食中毒などを引き起こす可能性も極めて低い。など、多くの利点がある。ただし、必ず加熱殺菌される、固形物はミンチ状にするか、調味液とともに封入する必要がある、など、製造工程に由来する弱点もあり、どんな食品も保存できるわけではない。例外として、あえて殺菌をせずに缶の中で発酵させるシュールストレミングという缶詰も存在する。
内容物によっては、缶に錫の合金を使い、内容物の腐敗や変色を防ぐ工夫がされている。エポキシ樹脂やフェノール系樹脂塗料が使われることもある。
缶への直接印刷は、日本では戦前は行われなかった。缶の外側に印刷した紙を巻きつけるように張り、これで内容物を示した(現在も一部の缶詰で行われている)。缶への印刷に使うインキは金属インキと呼ばれ、金属光沢を生かせる透明性のものも多い。
カニやホタテの缶詰に紙が敷かれているが、貝類や甲殻類に含まれている硫黄分がブリキの鉄分と化合して硫化鉄となり、肉に黒い色をつけてしまうのを防止するためだったという。現在では缶の内側に塗料が塗られているので黒変の心配は減っている。現在はむしろ高級感を出すためとか、カニや貝柱の身くずれ防止の意味合いが強い。
缶の素材は、日本では主にアルミニウムまたは鉄で、アルミニウム製のものはアルミ缶、鉄製のものはブリキ缶またはスチール缶と呼ばれる。ただし、ブリキ缶という呼称は現在はほとんど使われない。スチール缶は磁石につく。回収することにより再資源化することが可能である。
現在は缶切りがなくても、容器そのものに開封用のプルトップなどがついており、あけられるものが増えている。日本では、缶ドリンクはほとんどがこの種のものになっている。また、肉や魚などの食品缶詰でもスコアと呼ばれる深い傷のような線を表面につけて、大きく開くようにしたものも多い。このように、缶そのものに開封のためのしくみを付加した缶詰を、イージーオープン缶と呼ぶ。
また、大型の缶詰では一斗缶と呼ばれ、18リットル程度の大きさの缶詰がある。主に食用油や液状の調味料、タケノコなどの水煮製品など大型の食材を封入している。
[編集] 製造方法
内容物は洗浄され、食用にならない部分は取り除かれる。内容物によっては調理などが行われ、缶に入れられ、場合によっては調味液が入れられる。缶内部の空気が抜かれた状態で封がされる。この後、加熱殺菌される。殺菌温度や時間も内容物により異なる。最後に打検棒でたたいて内容を検査する。これは熟練の検査官が、音で内容物の状態を把握するというものである。打検士は日本では大変に少ない。
[編集] 歴史
ナポレオン・ボナパルトによる懸賞にこたえ1804年にフランスのニコラ・アペールにより長期保存可能な瓶詰めが発明されたが、ガラス瓶は重くて破損しやすいという欠点があった事から、1810年にイギリスのピーター・デュランド(Peter Durand)が、金属製容器に食品を入れる缶詰を発明した。これにより、食品を長期間保存・携行することが容易になった。ただし、初期のものは殺菌の方法に問題があり、たびたび缶が破裂するという事故を起こした。これはのちに改良された。
缶詰は、初期には主に軍用食として活用された。特に、アメリカ合衆国の南北戦争で多く利用された。のちに一般向けにも製造されるようになり、現在では、災害対策用の備蓄用食品としても利用されている。
当初、缶切りは発明されず、開封は金鎚と鑿を用いる非常に手間のかかるものだった。戦場では缶を銃で撃って開けることもあった(撃たれた衝撃で中身が飛び散ってしまい使い物にならなくなることも多々あったという)。このため、初期のものは内容物が既にミンチ状になっているコンビーフなどに限られ、液状のドリンク類は入れられなかった。缶切りが発明されると液体なども入れられるようになり、内容物のバリエーションが広がった。
[編集] 日本の缶詰
日本での製造は1871年に長崎で松田雅典によってフランス人の指導の下、イワシの缶詰の試作が行われた(この段階では缶詰という言葉は存在していない)。本格的な生産が始まったのは1877年10月10日、北海道石狩市で石狩缶詰所が創業したことによる。初期にはアメリカ人の指導の下、サケ缶が製造されていた。日本缶詰協会はこの日、10月10日を缶詰の日と決めている。当初は缶詰は管詰と綴られた。明治時代には、主に海外向けの輸出用、国内向けには軍需用として生産されていたため庶民には普及しなかった。本格的に普及するきっかけは、1923年の関東大震災以降で、アメリカから送られた支援物資に缶詰が用いられたことによるものとされる。
日本では、缶の底に賞味期限を刻印することが義務付けられている。底面の3行の文字列のうちの2行目が賞味期限表示で、「041010」は賞味期限が2004年10月10日であることを意味する。表示には日を省略し、「0410」(2004年10月賞味期限の意味)でもよい。1997年3月31日製造分までは、この表示が製造年月(日)表記のものもある。また、非常に古い缶詰の中には、10月製造を「0」、11月製造を「I」、12月製造を「Z」と表した時代もあった。これは製缶機の刻印能力に限界があったためであった。
日本での缶詰の消費量は、日本缶詰協会によれば4080000トン(2002年推計)。ただし、缶ビールと炭酸飲料、スポーツドリンク類を除き、缶コーヒー、果汁飲料の缶ドリンクを含む。250g缶相当で一人あたり165缶で、ドリンク類を除くと37缶である。レトルト食品などの売り上げが伸びており、缶詰の消費量は若干減少傾向にある。
[編集] 参考文献
- スー シェパード 『保存食品開発物語』 赤根洋子訳 ISBN 4167651157
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] そのほか
- 密室に長時間閉じこめられることを缶詰に喩えることがある。多くの場合、締め切りの迫った作家が編集者によってホテルなどで製作に専念させられる事を指す。
- 数学の計算で変数を記号に置き換える方法を缶詰と言い、これを括弧に括る方法を瓶詰めという。