若ノ鵬寿則
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若ノ鵬 寿則(わかのほう としのり、1988年7月8日 - )は、ロシア連邦北オセチア共和国ウラジカフカス出身で間垣部屋所属の現役大相撲力士。本名ガグロエフ・ソスラン・アレクサンドルヴィチ。身長193cm、体重141kg。得意は右四つ・寄り。最高位は西十両12枚目(2007年1月場所)。
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[編集] 来歴
露鵬、白露山兄弟と同じロシア・北オセチア共和国出身で、露鵬の父親にレスリングを習い、ロシア国内のジュニア王者になる。その能力を露鵬が高く評価し、彼の誘いに応じて2004年(平成16年)9月に来日し、大嶽部屋に住み込みで日本の相撲部屋の生活を経験する。外国人は1部屋に1人までの入門制限のため同じ二所ノ関一門である間垣部屋に入門し、2005年(平成17年)3月場所で初土俵を踏んだ。
2005年(平成17年)9月場所は7戦全勝で序二段優勝、翌2006年(平成18年)1月場所では幕下で6勝1敗、7人による優勝決定戦に進出し、決勝で把瑠都に敗れたものの、その高い能力の一端を示した。その後も勝ち越しを続け、同年11月場所では東幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越し、初土俵から負け越しなし、所要11場所での十両昇進を果たした。18歳5カ月での十両昇進は史上8位タイの年少記録で、外国出身力士では白鵬の18歳9カ月を更新し最年少である。しかし若ノ鵬本人は、「17歳で上がりたかった」と悔しがった。
関取として初めて土俵に上がった2007年の初場所は、相撲の型がまだ固まっていないこともあって苦労し、5勝10敗とふるわず初の負け越しを経験した。翌3月場所は東幕下2枚目で5勝2敗と好成績を残し、1場所で再十両を果たした。
欧州出身の力士が20歳前後で入門する例が多い中、16歳で初土俵を踏んだ若ノ鵬は異例であり、その若年にも関わらず出世のスピードは琴欧洲や把瑠都と遜色なく、将来を嘱望されている。四股の所作にぎこちなさがあるように、下半身にやや脆さがあり、取り口もまだ未熟だが、素質は申し分ない逸材と評価される。
四股名は露鵬および露鵬の先代師匠にあたる大鵬が由来で、下の名前の“寿則”は師匠の現役時代の四股名の一つである“若三杉 壽人”(新字体の“寿”に)と本名“下山 勝則”から一文字ずつ取った(下の名前の命名方式は琴欧洲と同じ)。
[編集] 主な成績
2007年3月場所終了現在
- 通算成績: 59勝18敗(13場所)
- 十両成績: 5勝10敗(1場所)
[編集] 各段優勝
- 序二段優勝:1回(2005年9月場所)