荒勢永英
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荒勢 永英(あらせ ながひで、1949年6月20日 - )は、高知県吾川郡伊野町(現在のいの町)出身で花籠部屋所属の元大相撲力士、エイビープロモーション所属の元タレント。芸名は荒勢(あらせ)、本名は荒瀬英生(あらせ ひでお)。 身長178cm、体重151kg。得意手はガブリ寄り。最高位は関脇。
目次 |
[編集] 来歴
日本大学相撲部で活躍し、1972年1月場所、幕下付出で初土俵をふむ。負け越しなしで1973年7月場所に入幕をはたし、太刀持ちをつとめた日大柔道部中退の魁傑とともに横綱輪島大士の土俵入りの露払いをつとめ、日大トリオの土俵入りと話題になった。
右四つからの激しい寄り身が特徴で、もみ上げも個性的で人気力士のひとりであったが、北の湖敏満に弱く、27連敗してしまうこともあった。また、立ち合いをあわせるのが下手で、「待った」の常連としてよく指弾され、1975年3月場所の敢闘賞受賞の時には、立ち合いの悪さから受賞を見送るべきだという意見も選考委員会の席上ででた。また、1976年7月場所の若三杉との対戦では「待った」の応酬を8回も繰り返し、勝負審判が土俵上にあがって両力士を注意する事態もおきた。また、これより三役のそろい踏みのときにも、西方の扇の要の位置にあって後ろが見えなかったためか、あっさりと3回しこを踏んだあと、ふりかえると後方の力士はまだ2回目のしこにかかっていたということもあった。
1981年9月場所限りで引退し年寄・間垣を襲名したが、二所ノ関一門の横綱・若乃花に名跡を譲渡して1983年2月で廃業し、タレントに転向してテレビ、CMなどで活躍した。2001年には自由連合から比例代表で参議院選挙に出馬したが2,711票しか獲得できず落選。その後脳梗塞で倒れ、実家のある高知県で療養している。
[編集] エピソード
- 本人は下戸でありながら、ウイスキーのCMに出たことがある。
- 趣味は神社巡り。「日本人であることの再認識」が本人の弁。
[編集] 主な成績
[編集] 改名歴
- 荒瀬英生(あらせ ひでお)1972年1月場所-1975年7月場所
- 荒勢 永英(あらせ ながひで)1975年9月場所-1981年9月場所(引退)
[編集] 主な出版
- 「学士・荒勢の相撲ゼミナール」(シンコーミュージック、1983年)
- 「荒勢の温泉めぐり(ケント出版、1987年)
- 「荒勢のうっちゃり放談―誰も語らなかった相撲界の内側と力士の素顔」(池田書店、1988年)
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 高知県出身の大相撲力士 | 1949年生 | 日本の俳優 | 元大相撲力士のタレント | 国政選挙立候補経験者