覚性入道親王
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覚性入道親王(かくしょうにゅうどうしんのう、大治4年(1129年) - 嘉応元年12月11日(1169年12月30日))は、平安時代後期の皇族・僧。俗名は本仁親王。父は鳥羽天皇。母は藤原公実の娘待賢門院藤原璋子。真言宗仁和寺の第5世門跡。紫金台寺御室・泉殿御室とも称された。
親王宣下の後に仁和寺に入寺し、覚法法親王のもとで出家し灌頂を受けた。法名は初め信法と称し、のち覚性と改めた。仁和寺・法勝寺などの検校をつとめる。1151年(仁平元年)には、父の依頼を受けて甥にあたる守仁親王(後の二条天皇)を預かって修行させるが、4年後に急遽皇太子に迎えられて覚性の下を去っている。1153年(仁平3年)仁和寺法務に任じられ、その後尊勝寺・四天王寺などの検校をつとめた。1167年(仁安2年)初めての総法務職に任じられて綱所を賜った。修法の聞こえが高く、詔勅を受けて孔雀経法や尊勝法を24回修したという。
歌人としても優れており、家集に『出観集』がある。『千載和歌集』にも入首している。
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