財前五郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
財前 五郎(ざいぜん ごろう、旧姓:黒川)は、『白い巨塔』の主役で、架空の人物。浪速大学病院第一外科助教授、後に第一外科教授。
目次 |
[編集] 来歴・人物・家族
実母は黒川きぬ、妻は財前杏子。岡山県和気郡に生まれたが、小学校の教諭をしていた父に小学校の時死なれ、母の内職と父の遺してくれた財産で高等学校まで進み、篤志家である近所の医師、村井清恵(せいけい)の支援で浪速大学に入学。苦学生であったが、恩人村井の知己で、五郎の実力を高く評価した大阪医師会の実力者・財前又一の娘婿に迎えられ財前五郎となってからは、財前産婦人科医院という強力なスポンサーと本来の彼の実力で助教授にまで上り詰める。愛人であるバー・アラジンのホステス、花森ケイ子は医大中退であり、財前が心を許せる数少ない相手のひとりである。
[編集] 外科医としての評価
食道噴門癌を専攻し、食道・胃吻合術を得意とする財前は「食道外科の若き権威者」と評され、手術の腕前は師である東貞蔵の腕を遥かに凌ぐといわれている。また、財前本人も野心家であくが強く、しばしば教授を差し置いてのスタンドプレーが見られた。その為、自尊心の強い東はその存在が徐々に不快になると共に、引退後の自分の影響力が薄れることを恐れ、母校東都大学外科教授の船尾徹に候補者の推薦を依頼。菊川昇という心臓外科の大家の推薦を受けた。温和で学究肌である上に妻が夭折して鰥夫であることから未婚の長女・佐枝子の配偶者に最適と、財前の刺客として送り込んだ。また、同時に財前を快く思わない整形外科の野坂教授も、財前の前任である葛西博司を推した。途中、医局員の行き過ぎた妨害作戦や基礎の恩師である病理学教授・大河内への懐柔行為などが裏目に出るなどもしたが、僅差で財前が教授に選出された。 里見脩二は大学時代からの同期生。進む道も考え方もまったく対照的だが、お互い良いライバルとして、またよき理解者として接している。
[編集] 医療ミス・自らがんに侵され
自らが執刀した初期の噴門癌患者、佐々木庸平に関する医療訴訟に翻弄されつつも、鵜飼医学部長の勧めで学術会議選挙に立候補する。選挙では見事当選を果たすが、控訴審では一審とは異なり敗訴する。しかも財前の体は胃癌(当時の癌死亡率の第一位だった)に蝕まれており、かつての師である東貞蔵執刀の下、手術が行われたが、すでに手術不能なまでに進行しており、何もせずに縫合した。なお、2003年に放送されたシリーズでは、財前の病気は肺癌(現在の癌死亡率の第一位)に変更された。
[編集] 過ちを認めた最期・そして死・役柄設定
緘口令が敷かれる中、財前の病状は次第に進行し、ついに肝転移による黄疸が出たことによって彼は自らの病を悟る。そして財前は里見を呼び、自らの病について問いただすが、やはり里見は答えない…。
原作では、財前は、本物のカルテ等を見せてくれるよう鵜飼医学部長らに頼んでほしい旨、里見に依頼する。一方、1978~79年に放送されたシリーズでは、財前は里見に向かって自分の過ちを認め、里見の手を取って悔恨の涙を流した。
2003年~04年に放送されたシリーズでは、鵜飼医学部長をはじめ第一外科医局員は財前に肺がんであることを公表したが、手術後は財前又一の強い要望によって財前が末期がんであることを隠していた。しかし、里見は診察の末、財前に末期がんであることを告げ、今後のことを二人で話し合った。ここには、時代の変化によるガンの告知に対する考え方の違いが表れている。
それから間もなく財前は症状が悪化し、この世を去る。そして、枕の中から財前が残した手紙が発見されるが、原作が最高裁への上告理由書および大河内教授への自身の癌所見書であるのに対し、78年版では医師としての良心に目覚めた財前が里見へあてた感謝の手紙、そして2003年版では前二者を折衷した内容になっていた。これらの手紙に共通する文面は、癌専門医でありながら手術不能の癌で死ぬことを恥じる、という財前の無念さが滲んだ言葉であった。
なお、財前杏子との間に二男(一夫、富士夫)がいる。ただし、2003~04年版では子供がいない設定に変更されている。