貴族制
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貴族制(きぞくせい、貴族主義、Aristocracy)は、貴族が政治権力を握って人民を支配する統治形態(政体)である。貴族制度については貴族を参照のこと。
”Aristocracy(アリストクラシー)”は古典ギリシャ語の”Aristo”(最上の)と”kratia”(支配)を由来とする言葉で、”優れた者による支配”を意味する。もともとは古代ギリシャの貴族自体がエリート層を意味していたためだが、貴族というものの変化に従い特権階級の支配を意味するようになった。
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[編集] 貴族であることの条件
「最上」という概念は人によって違うため、また政治的に最上であることは何を指すかは非常に難しい問題であるため、非常に適用に際して抜け道の多い言葉である。貴族は、世襲の金権政治(富豪政治、plutocracy)階級をさすことが最も多かった。(富や財力を持つことは、最上さ、高貴さを見せ付けることができる余裕があるからである。)
ただし、貴族制の歴史の重みと「高貴な義務(ノブレス・オブリージュ、noblesse oblige)」は、貴族層に対し高い志からの行動を要求していた。
[編集] 貴族制の歴史
「アリストクラシー」という言葉は、アテネでもともと軍の先頭に立って剣を抜く若い市民に対しての表現だった。古代ギリシャでは戦における勇敢さは非常に高い美徳であったため、軍隊は「最上の者」によって率いられていた。中世ヨーロッパにおいて、軍の先頭に立つ指導者層は貴族であったため、貴族は古代ギリシャでのエリート市民同様に、自分たちの軍隊での役割ゆえに自らを「最上」で「高貴」とみなし、同じくエリート市民同様に奴隷を持てる特権階級となっていた。その高貴さ、最上さは教会が保障していた。
フランス革命の主な原因として、伝統的な貴族制がもはや「最上の者による支配」とは言いがたくなっていたことがあげられる。ルイ14世時代の軍隊の近代化で、貴族はもはや軍の先頭に立つ必要がなくなり、安全地帯から部隊を指揮するようになっていた。危険を冒す伝統的な役割を放棄したとき、伝統的な特権も維持するのはもはや困難となった。
フランス革命では、貴族は果たした役割でなく生まれによってその地位を得た特権階級とされ、このような不要な階級は新興のブルジョワやリベラルな一般人の敵とされた。以後、「貴族」という言葉は、生まれながらにして前線で戦死する機会を主張する人々のことではなく、生まれながらにして贅沢や特権を主張する人々の象徴となり、本来の意味からは遠くなってしまった。
貴族制に対する闘争はフランス革命後の反動期にも続き、特に欧州全土で起こった1848年革命においては非常に激しいものがあった。ヨーロッパで貴族制がいつ終焉したかは異論があるが、だいたい第一次世界大戦の終わった1918年には貴族制は民主制に取って代わられ、以後貴族は実態的な権力のない社会の飾りとなっている。
[編集] 貴族制の現在
イギリスその他ヨーロッパ諸国で世襲貴族などを認めている国では、「貴族」はおよそ7000家族の世襲貴族の末裔のことをいい、今なおそれなりの富を通常継承している。
サウジアラビアなど、今でもかつての武人らの末裔が貴族となり富と権力を独占しているような国も存在する。
アメリカ合衆国その他、世襲の軍人階級のなかった国では、「貴族」はもっぱらスタイルの面でのみ使われている。たいていの場合、貴族的とはスノッブな趣味を追いかけるリッチな人々をさす否定的な言葉だが、一方では、貴族的という言葉は優雅なライフスタイルと強い義務感を併せ持つ人をさすこともある。(ここに、今でも貴族という言葉本来にあったノブレス・オブリージュの概念が残っている。)