足利頼氏
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足利 頼氏(あしかが よりうじ、1240年(仁治元年)? - 1297年(永仁5年)?)は鎌倉時代中期の武将。父は足利泰氏。母は北条時氏の娘。官位は従五位下。治部権大輔。初めの名乗りを利氏(としうじ)といった。
父・泰氏の後を継いで足利氏の当主となり、上総と三河の二ヶ国を領した。1256年8月には北条時頼の子・北条時輔元服の烏帽子親を務めた(なおこの時まだ頼氏は利氏と名乗っており、時輔もその片諱を受けて「時利」と名乗っている。後に「時輔」に改名)。翌年には将軍・宗尊親王の近臣となった。1259年には京都大番役を務める。
頼氏は弓矢に優れ、鶴岡八幡宮での流鏑馬などで活躍しているが、生来から病弱だったために1261年頃を最後に史料から姿を消した。没年にも異説が多く、1262年説、1280年説などがある。
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