追分機関区
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追分機関区(おいわけきかんく)は、北海道勇払郡追分町(現・安平町)にあった機関区である。ここでは後身にあたる追分運転区についても説明する。
[編集] 概要
1882年の北海道炭礦鉄道の開業と同時に追分駅構内に「追分機関庫」が設置された。国有化以降は「追分機関区」に改称した。
D51や9600型などが配置され、国鉄最後の蒸気機関車が所属する機関区として鉄道ファンからの人気を集めたが、D51は1975年12月24日、9600型は1976年3月2日を最後に引退し、D51や9600は保存対象機関車として機関庫に入れられ手厚く保存されていたが、1976年4月13日に火災が発生し多くの蒸気機関車が廃車となった。しかし保存対象機関車になっていなかった一部機関車が辛うじて残り、今現在でも「追分町鉄道記念館」に保存されている。
その後、機関区には機関車の配置がなくなり「追分運転区」に改称し運転拠点として残ったが、1992年には運転士が追分駅に編入、ついに2005年には運転士が岩見沢運転所へ編入されることとなりついに運転拠点としての使命も終えた。
[編集] 機関区時代に配置されていた機関車
- ディーゼル機関車