重広恒夫
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重廣 恒夫(しげひろ つねお, 1947年(昭和22年)10月11日 - )は、日本の登山家。山口県徳山市(現在の周南市)生まれ。日本山岳会会員。兵庫県尼崎市在住。
1967年、山口県立徳山高等学校卒。1971年(昭和46年)に、岡山理科大学応用化学科卒、現在のアシックス(当時はオニツカ)に入社する。
1973年(昭和48年)、第2次RCC隊に参加し、この当時、エベレストの南西壁の最高到達点までの登攀を果たし、1977年(昭和52年)に、日本山岳協会隊で、K2の日本人初登頂を達成。さらに、1980年(昭和55年)には、日本山岳会隊で、チョモランマの北壁新ルートでの登頂を果たす。
1984年(昭和59年)、8000m峰であるカンチェンジュンガの世界初の縦走登山の登山隊の一員として、縦走及び山頂からのハングライダーでの飛行を成功に導く。1985年(昭和60年)、高田直樹を隊長とする関西カラコルムクラブ隊で、マッシャーブルムに北稜よりの初登頂を果たし、ブロード・ピークへの連続登頂を行なう。1988年(昭和63年)に、日本・中国・ネパール3ヶ国の友好登山隊によるチョモランマ交差縦走の登攀隊長となり、1992年(平成4年)、未踏峰のナムチャバルワ登山隊でも、日本山岳会の隊長として初登頂に導く。1995年には、日本山岳会隊で、隊長としてマカルー東稜の初登頂へと導く。
1996年(平成8年)、日本百名山を、当時では最短の123日間で連続踏破を果たす。
[編集] 著書
- 『エベレストから百名山へ ヒマラヤから教わったこと』(光文社新書, 2003年) ISBN 4334032001