金子一義
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生年月日 | 1942年12月20日 |
出身地 | 岐阜県 |
出身大学 | 慶応義塾大学経済学部 |
前職 | 大蔵大臣・国務大臣秘書 |
役職 | 衆院予算委員会委員長 |
世襲の有無 | 二世 父・金子一平 |
選挙区 | 比例・東海ブロック 岐阜4区 |
当選回数 | 7回 |
所属党派 | 自由民主党(古賀派) |
党の役職 | 党金融調査会会長 党岐阜県連会長 |
会館号室 | 衆・第二議員会館541号室 |
ウェブサイト | http://www.kazuyoshi.gr.jp/ |
金子 一義(かねこ かずよし、1942年(昭和17年)12月20日 - )は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。元国務大臣。父は、衆議院議員で大蔵大臣、経済企画庁長官を務めた金子一平。
1961年に東京都立九段高等学校、1966年に慶應義塾大学経済学部をそれぞれ卒業。大蔵大臣秘書官・経済企画庁長官秘書官として父親のもとで政治家修行をした後、父の引退を受けて地盤を引き継ぎ、1986年の第38回衆議院議員総選挙(衆参同日選挙)に自由民主党公認で立候補し、初当選。以後、連続当選7回。建設政務次官、自民党建設部会長、党副幹事長、衆議院厚生委員長、同大蔵委員長などを歴任。
2000年の加藤の乱では、当時加藤紘一の側近として加藤と行動を共にし、森内閣不信任決議を欠席。その後少数派となった加藤派に留まるが、2002年に同派を離脱して堀内派へと移った。 以来、両宏池会の再結集を声高に叫び、「大宏池会構想」の推進役のひとりとなっている。
衆議院財務金融委員会筆頭理事などを務めた後、2003年9月22日の第1次小泉第2次改造内閣で初入閣。国務大臣として行政改革と構造改革特区を担当し、内閣府特命担当大臣(規制改革、産業再生機構担当)も兼務。金子の入閣人事は、金子と同じ衆議院岐阜県第4区からコスタリカ方式により交代で選出されている藤井孝男が自民党総裁選で小泉首相に対抗して出馬したことに対する意趣返しとも言われる。同年10月には国務大臣としての職務に地域再生担当も追加される。続く第2次小泉内閣でも同じポストで再任され、2004年9月27日、内閣改造に伴い村上誠一郎と交代するまで計1年余りを務めた。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、郵政民営化法案への対応を巡り自民非公認となった藤井を死闘の末下した。同選挙では、岐阜県連会長であった古屋圭司が郵政造反組となり、責任をとって会長職を辞したため、金子が県連会長に就任する。