政務次官
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政務次官(せいむじかん,英:Parliamentary Vice-Minister)とは、日本政府の各省および国務大臣を長とする各庁の次官の1つだった特別職。
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[編集] 沿革
政務次官の前身は1914年(大正3年)10月6日から1920年(大正9年)5月15日まで各省に設置されていた参政官である。参政官は「大臣ヲ佐ケ帝国議会トノ交渉事項ヲ掌理」するために置かれた勅任官であったが、必置の官ではなかった。
1924年(大正13年)8月12日、「大臣ヲ佐ケ政務ニ参画シ帝国議会トノ交渉事項ヲ掌理」する勅任官として、各省に政務次官が置かれるようになった。現憲法下においては、政務次官の臨時設置に関する法律(昭和23年法律第26号)を経て、国家行政組織法(昭和23年法律第120号)に引き継がれ、2001年(平成13年)1月6日の中央省庁再編時まで存続することとなる。
[編集] 政務次官の職務と廃止
次官の職務内容は、政務次官・事務次官ともに、大臣を補佐し、府省庁の運営を統括することである。政務次官は国会議員から、事務次官は官僚から任用される。政務次官は一般に当選1~3回の与党議員が政策勉強と人脈作りの目的で就任していた事例が多かった。国務大臣と違い、省庁における権限が小さく、役割も不明確で、盲腸と揶揄されるポストだった。「国会審議の活性化及び政治主導の政策決定システムの確立に関する法律(平成11年法律第116号)」により、中央省庁再編に伴って廃止された。これにより、「次官」で事務次官を表すことができるようになった。
[編集] 移行過程の総括政務次官
総括政務次官とは、この移行過程(将来の副大臣制度を見据えた政務次官の権限強化に関する法改正)での呼称・権限で、「○○総括政務次官」(1省庁に複数置かれる場合は筆頭者のみ)と呼称することとなった。
この法改正では権限部分のみで官職名までは改められず、閣議での申し合わせという形で「総括」呼称が導入されたため、法的根拠を要する任命辞令には「総括」を含まない正式官職名が使用された(1999年(平成11年)9月20日-2001年(平成13年)1月6日)。
最後の政務次官で1か月後に副大臣制へ移行することもあり、閣議での合意に基づき、第2次森改造内閣の政務次官にのみ全員に「総括」が冠された。(最後の総括政務次官一覧)
[編集] 政務次官廃止とその後
政務次官の廃止後は、副大臣と大臣政務官(及び長官政務官)が新設され、適材適所の運用が(あくまでも運用が)可能となった。副大臣と大臣政務官の違いは、副大臣がその省庁の政策全般について大臣を助けるのに対し、大臣政務官は特定の政策について大臣を助けるという点で異なっている。
政務次官と副大臣との違いは、中央省庁再編に伴って、大臣クラスの国会議員が就任する可能性があること、また、政務次官会議とは異なり、副大臣会議は法律によって定められているということである。
政務次官と政務官(大臣政務官・長官政務官)との違いは、特定の政策についての見識の違いである。 政務次官は、広く浅く省庁の政策全般に関わっていたが、政務官は特定の政策にしぼって、深く見識を養うことが可能となる。
なお、現行制度への移行が議論されていた小渕内閣においては、重要官庁の政務次官に閣僚経験者を充てるなどする試みがなされていた(谷垣禎一・大蔵政務次官、町村信孝・外務政務次官など)。しかし閣僚人事において若手の抜擢や民間人の起用などが注目された小泉内閣においても、副大臣・政務官人事については派閥順送り・年功序列型の慣行がほぼ踏襲されており、大きな変化は見られなかった(1年生議員である片山さつきが経済産業政務官に就任したことが話題になったことはある)。安倍政権においては派閥の推薦をそのまま受け入れるのではなく、推薦リストをもとに安倍総理や党幹部が決定するというスタイルがとられた。今後の運用が注目されるところである。
[編集] 政務次官経験者(総括政務次官を含む)
[編集] 総理府
- 総理府政務次官
- 国家公安政務次官
-
- 大谷瑩潤
- 金融再生政務次官
- 総務政務次官
- 北海道開発政務次官
- 防衛政務次官
- 経済企画政務次官
- 科学技術政務次官
- 環境政務次官
- 沖縄開発政務次官
- 国土政務次官
[編集] 各省
- 法務政務次官
- 外務政務次官
- 大蔵政務次官
- 文部政務次官
- 厚生政務次官
- 農林水産政務次官
- 通産政務次官
- 運輸政務次官
- 郵政政務次官
- 労働政務次官
- 建設政務次官
- 自治政務次官
[編集] 関連項目
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