経済企画庁
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経済企画庁(けいざいきかくちょう)は、2001年(平成13年)1月5日まで存在した日本の中央省庁の一つ。総理府の外局として設置され、長期経済計画の策定、各省庁間の経済政策の調整、内外の経済動向に関する調査・分析、国民所得の調査等を所掌した。
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[編集] 沿革
- 1946年(昭和21年)8月12日、内閣所属部局として経済安定本部を設置。
- 1947年(昭和22年)5月3日、総理庁の設置に伴い、経済安定本部は内閣所属部局から総理庁の機関に移行。
- 1949年(昭和24年)6月1日、経済安定本部を総理庁の機関から府省と並ぶ機関に格上げする。これに伴い、これまで総理庁内で並列関係にあった物価庁、中央経済調査庁を自らの外局とする。
- 1952年(昭和27年)4月1日、物価庁を廃止。経済安定本部の内部部局(物価局)として取り込む。
- 1952年(昭和27年)8月1日、経済安定本部を廃止し、総理府の外局たる経済審議庁(長官は国務大臣)が発足。なお、経済安定本部の外局、中央経済調査庁は行政管理庁に統合。
- 1955年(昭和30年)7月20日、経済企画庁に改称。
- 1957年(昭和32年)8月1日、国家行政組織法改正に伴い、大臣庁は省と同様の組織機構を有することができるようになり、経済企画庁次長に代えて経済企画事務次官を設置。
- 1971年(昭和46年)7月1日、環境庁発足に伴い、経済企画庁国民生活局が所掌していた水質汚濁防止行政を環境庁に移管。
- 1974年(昭和49年)6月26日、国土庁発足に伴い、経済企画庁総合開発局が所掌していた国土開発行政、水資源行政を国土庁に移管。
- 2001年(平成13年)1月6日、中央省庁再編の実施に伴い総理府本府、沖縄開発庁などと統合され内閣府が発足、経済企画庁の業務は内閣府政策統括官、内閣府国民生活局などに承継。
[編集] 特性
経済企画庁長官は通常国会において政府四演説に数えられる経済演説を行ったり、安全保障会議に参加できたり、経済企画庁の官僚が日本銀行政策委員会に出席できたが、経済企画庁自体の権限はそれほど持たなかったため、経済企画庁は業界団体に対して強い影響力を及ぼすことができなかったとされる。しかしながら、戦前の企画院の流れを汲み経済白書の編纂・発行を行い、いわゆる官庁エコノミストの輩出に寄与するなど、大蔵省、通商産業省等とは一線を画し、比較的政治的に中立的な姿勢で国民経済などマクロ経済やミクロ経済の動向を分析するなど、その分析成果や経済政策への影響は決して無視でき無い、影のエリート官庁と言われた。
また経済企画庁が担ってきた中期的な経済計画の策定も、社会主義国における経済計画とは全く異なったものではあるが、計画の策定段階で政府内部だけでなく、経済界や労働組合、消費者団体、学者などを含む国民各層の合意形成に寄与してきたと考えられている。
[編集] 歴代の経済企画庁長官等
- 経済企画庁の前身である経済安定本部(総務長官)及び経済審議庁(長官)を含む。
- 辞令のある再任は代として数え、辞令のない留任は数えない。
- 臨時代理・事務取扱・事務代理は空位の場合のみ記載し、海外出張等の一時不在代理は記載しない。この表ではそれぞれ臨代・事取・事代と略記。
- 総理庁時代の経済安定本部総務長官の初代(1947年5月24日退任)と第2代(同年6月1日就任)の間には約9日間の空位期間がある。事実上、経済安定本部総裁である内閣総理大臣が職務を包括(あるいは経済安定本部副長官が職務を代行)していたと考えられるが、正式な事務取扱の辞令は発出されなかったため空位となった(参考)。なおこの際、物価庁長官職については同年5月27日付けで内閣総理大臣が自ら事務取扱となる旨の辞令を発出しており、空位期間は約4日間にとどまっている。
- 経済安定本部は1947年5月3日に「経済安定本部令(昭和21年勅令第380号)に基づく内閣の機関」から「経済安定本部令(昭和22年勅令第193号)に基づく総理庁の機関」へ移行しているためこの表の総務長官の在任も区別して表示するが、総務長官職は「引き続き在職」する扱いとされ、高瀬莊太郎に対する同日付の新たな任命辞令は発出されなかった。
- 経済安定本部は1949年6月1日に「経済安定本部令(昭和22年勅令第193号)に基づく総理庁の機関」から「経済安定本部設置法(昭和24年法律第164号)に基づく臨時の国家行政機関」へ移行しているためこの表の総務長官の在任も区別して表示するが、総務長官職は同法附則第4項に基づき「引き続き在職」する扱いとされ、青木孝義に対する同日付の新たな任命辞令は発出されなかった。
- 経済審議庁は前述のとおり1955年7月20日に経済企画庁へと改称したためこの表の長官の在任も区別して表示するが、この改称は経済審議庁設置法(昭和27年法律第263号)の廃止・新法制定でなく一部改正(題名改正を含む)で行われたため庁名とともに長官職名も自動的に改称したものとされ、高碕達之助に対する同日付の新たな任命辞令は発出されなかった。
代 | 氏名 | 内閣 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|---|
国務大臣経済安定本部総務長官 | ||||
1 | 膳桂之助 | 第1次吉田内閣 | 1946年8月12日-1947年1月31日 | |
2 | 石橋湛山 | 第1次吉田内閣 | 1947年1月31日-1947年3月20日 | 大蔵大臣、物価庁長官兼任 |
3 | 高瀬莊太郎 | 第1次吉田内閣 | 1947年3月20日-1947年5月2日 | 物価庁長官兼任 |
国務大臣経済安定本部総務長官(総理庁) | ||||
1 | 高瀬莊太郎 | 第1次吉田内閣 | 1947年5月3日-1947年5月24日 | 物価庁長官兼任 |
2 | 和田博雄 | 片山内閣 | 1947年6月1日-1948年3月10日 | 物価庁長官兼任 |
3 | 栗栖赳夫 | 芦田内閣 | 1948年3月10日-1948年10月2日 | 物価庁長官(8月10日以降は中央経済調査庁長官も)兼任 |
事取 | 芦田均 | 芦田内閣 | 1948年10月2日-1948年10月15日 | 内閣総理大臣が事務取扱 |
事取 | 吉田茂 | 第2次吉田内閣 | 1948年10月15日-1948年10月19日 | 内閣総理大臣が事務取扱 |
4 | 泉山三六 | 第2次吉田内閣 | 1948年10月19日-1948年12月14日 | 大蔵大臣、中央経済調査庁長官、物価庁長官兼任 |
事代 | 周東英雄 | 第2次吉田内閣 | 1948年12月14日-1949年2月16日 | 国務大臣(農林大臣)が臨時代理 |
5 | 青木孝義 | 第3次吉田内閣 | 1949年2月16日-1949年5月31日 | 物価庁長官、中央経済調査庁長官兼任 |
国務大臣経済安定本部総務長官 | ||||
1 | 青木孝義 | 第3次吉田内閣 | 1949年6月1日-1950年6月28日 | 物価庁長官、中央経済調査庁長官を自動的兼任 |
2 | 周東英雄 | 第3次吉田内閣 | 1950年6月28日-1952年7月31日 | 物価庁長官(1952年3月31日まで)、中央経済調査庁長官を自動的兼任 1951年6月7日以降は建設大臣(同年7月4日まで)、賠償庁長官(同年12月26日まで)、北海道開発庁長官(同年7月4日まで)も兼任 |
国務大臣経済審議庁長官(総理府) | ||||
1 | 周東英雄 | 第3次吉田内閣 | 1952年8月1日-1952年9月2日 | |
2 | 山崎猛 | 第3次吉田内閣 | 1952年9月2日-1952年10月30日 | |
3 | 池田勇人 | 第4次吉田内閣 | 1952年10月30日-1952年11月29日 | 通商産業大臣兼任 |
4 | 小笠原三九郎 | 第4次吉田内閣 | 1952年11月29日-1953年3月3日 | 農林大臣(1952年12月5日まで)、通商産業大臣兼任 |
5 | 水田三喜男 | 第4次吉田内閣 | 1953年3月3日-1953年5月21日 | |
6 | 岡野清豪 | 第5次吉田内閣 | 1953年5月21日-1954年1月9日 | 通商産業大臣兼任 |
7 | 愛知揆一 | 第5次吉田内閣 | 1954年1月9日-1954年12月10日 | 通商産業大臣兼任 |
8 | 高碕達之助 | 第1次鳩山内閣 | 1954年12月10日-1955年3月19日 | |
9 | 第2次鳩山内閣 | 1955年3月19日-1955年7月20日 | ||
国務大臣経済企画庁長官(総理府) | ||||
1 | 高碕達之助 | 第2次鳩山内閣 | 1955年7月20日-1955年11月22日 | |
2 | 第3次鳩山内閣 | 1955年11月22日-1956年12月23日 | ||
事取 | 石橋湛山 | 石橋内閣 | 1956年12月23日 | 内閣総理大臣が事務取扱 |
3 | 宇田耕一 | 石橋内閣 | 1956年12月23日-1957年2月25日 | 科学技術庁長官兼任 |
4 | 第1次岸内閣 | 1957年2月25日-1957年7月10日 | 科学技術庁長官兼任 | |
5 | 河野一郎 | 第1次岸内閣 | 1957年7月10日-1958年6月12日 | |
6 | 三木武夫 | 第2次岸内閣 | 1958年6月12日-1958年12月31日 | 科学技術庁長官兼任 |
事代 | 高碕達之助 | 第2次岸内閣 | 1958年12月31日-1959年1月12日 | 国務大臣(通商産業大臣)が事務代理 |
7 | 世耕弘一 | 第2次岸内閣 | 1959年1月12日-1959年6月18日 | |
8 | 菅野和太郎 | 第2次岸内閣 | 1959年6月18日-1960年7月19日 | |
9 | 迫水久常 | 第1次池田内閣 | 1960年7月19日-1960年12月8日 | |
10 | 第2次池田内閣 | 1960年12月8日-1961年7月18日 | ||
11 | 藤山愛一郎 | 第2次池田内閣 | 1961年7月18日-1962年7月6日 | |
事取 | 池田勇人 | 第2次池田内閣 | 1962年7月6日-1962年7月18日 | 内閣総理大臣が事務取扱 |
12 | 宮澤喜一 | 第2次池田内閣 | 1962年7月18日-1963年12月9日 | |
13 | 第3次池田内閣 | 1963年12月9日-1964年7月18日 | ||
14 | 高橋衛 | 第3次池田内閣 | 1964年7月18日-1964年11月9日 | |
15 | 第1次佐藤内閣 | 1964年11月9日-1965年6月3日 | ||
16 | 藤山愛一郎 | 第1次佐藤内閣 | 1965年6月3日-1966年11月4日 | |
事取 | 佐藤榮作 | 第1次佐藤内閣 | 1966年11月4日-1966年12月3日 | 内閣総理大臣が事務取扱 |
17 | 宮澤喜一 | 第1次佐藤内閣 | 1966年12月3日-1967年2月17日 | |
18 | 第2次佐藤内閣 | 1967年2月17日-1968年11月30日 | ||
19 | 菅野和太郎 | 第2次佐藤内閣 | 1968年11月30日-1970年1月14日 | |
20 | 佐藤一郎 | 第3次佐藤内閣 | 1970年1月14日-1971年7月5日 | |
21 | 木村俊夫 | 第3次佐藤内閣 | 1971年7月5日-1972年7月7日 | |
事取 | 田中角榮 | 第1次田中角榮内閣 | 1972年7月7日-1972年7月12日 | 内閣総理大臣が事務取扱 |
22 | 有田喜一 | 第1次田中角榮内閣 | 1972年7月12日-1972年12月22日 | |
23 | 小坂善太郎 | 第2次田中角榮内閣 | 1972年12月22日-1973年11月25日 | |
24 | 内田常雄 | 第2次田中角榮内閣 | 1973年11月25日-1974年11月11日 | |
25 | 倉成正 | 第2次田中角榮内閣 | 1974年11月11日-1974年12月9日 | |
26 | 福田赳夫 | 三木内閣 | 1974年12月9日-1976年11月16日 | 副総理兼任 |
27 | 野田卯一 | 三木内閣 | 1976年11月16日-1976年12月14日 | |
28 | 倉成正 | 福田内閣 | 1976年12月14日-1977年11月28日 | |
29 | 宮澤喜一 | 福田内閣 | 1977年11月28日-1978年12月7日 | |
30 | 小坂徳三郎 | 第1次大平内閣 | 1978年12月7日-1979年11月9日 | |
31 | 正示啓次郎 | 第2次大平内閣 | 1979年11月9日-1980年7月17日 | |
32 | 河本敏夫 | 鈴木善幸内閣 | 1980年7月17日-1982年11月27日 | |
33 | 塩崎潤 | 第1次中曽根内閣 | 1982年11月27日-1983年12月27日 | |
34 | 河本敏夫 | 第2次中曽根内閣 | 1983年12月27日-1984年11月1日 | |
35 | 金子一平 | 第2次中曽根内閣 | 1984年11月1日-1985年12月28日 | |
36 | 平泉渉 | 第2次中曽根内閣 | 1985年12月28日-1986年7月22日 | |
37 | 近藤鉄雄 | 第3次中曽根内閣 | 1986年7月22日-1987年11月6日 | |
38 | 中尾栄一 | 竹下内閣 | 1987年11月6日-1988年12月27日 | |
39 | 原田憲 | 竹下内閣 | 1988年12月27日-1989年1月25日 | |
40 | 愛野興一郎 | 竹下内閣 | 1989年1月25日-1989年6月3日 | |
41 | 越智通雄 | 宇野内閣 | 1989年6月3日-1989年8月10日 | |
42 | 高原須美子 | 第1次海部内閣 | 1989年8月10日-1990年2月28日 | |
43 | 相澤英之 | 第2次海部内閣 | 1990年2月28日-1990年12月29日 | |
44 | 越智通雄 | 第2次海部内閣 | 1990年12月29日-1991年11月5日 | |
45 | 野田毅 | 宮澤内閣 | 1991年11月5日-1992年12月12日 | |
46 | 船田元 | 宮澤内閣 | 1992年12月12日-1993年6月18日 | |
事取 | 宮澤喜一 | 宮澤内閣 | 1993年6月18日-1993年6月21日 | 内閣総理大臣が事務取扱 |
47 | 高鳥修 | 宮澤内閣 | 1993年6月21日-1993年8月9日 | |
48 | 久保田真苗 | 細川内閣 | 1993年8月9日-1994年4月28日 | |
事取 | 羽田孜 | 羽田内閣 | 1994年4月28日 | 内閣総理大臣が事務取扱 |
49 | 寺澤芳男 | 羽田内閣 | 1994年4月28日-1994年6月30日 | |
50 | 高村正彦 | 村山内閣 | 1994年6月30日-1995年8月8日 | |
51 | 宮崎勇 | 村山内閣 | 1995年8月8日-1996年1月11日 | 民間 |
52 | 田中秀征 | 第1次橋本内閣 | 1996年1月11日-1996年11月7日 | |
53 | 麻生太郎 | 第2次橋本内閣 | 1996年11月7日-1997年9月11日 | |
54 | 尾身幸次 | 第2次橋本内閣 | 1997年9月11日-1998年7月30日 | |
55 | 池口小太郎 (堺屋太一) |
小渕内閣 | 1998年7月29日-2000年4月5日 | 民間 |
56 | 第1次森内閣 | 2000年4月5日-2000年7月4日 | ||
57 | 第2次森内閣 | 2000年7月4日-2000年12月5日 | ||
58 | 額賀福志郎 | 第2次森内閣 | 2000年12月5日-2001年1月5日 |
[編集] 経済企画事務次官(経済審議庁次長・経済企画庁次長含む)
-
- 平井富三郎 - 経済審議庁次長。商工・通産官僚・通産事務次官
- 長村貞一 - 商工・通産官僚・通産省通商化学局長
- 石原武夫 - 経済企画庁次長に改称。商工・通産官僚・通産事務次官
- 上野幸七 - 商工・通産官僚・通産事務次官
- 徳永久次 - 初代経済企画事務次官。商工・通産官僚・通産事務次官
- 小出洋一 - 商工・通産官僚
- 大堀弘 - 商工・通産官僚
- 松村敬一 - 商工・通産官僚
- 中野正一 - 商工・通産官僚
- 川出千速 - 商工・通産官僚
- 高島節男 - 商工・通産官僚
- 鹿野義夫 - 商工・大蔵官僚
- 矢野智雄 - 商工・通産官僚
- 新田庚一 - 商工・通産官僚、東商大卒
- 宮崎仁 - 大蔵官僚
- 小島英敏 -
- 青木慎三 -
- 宮崎勇 - 経済安定本部出身
- 藤井直樹 -
- 井川博 - 通産官僚
- 田中誠一郎 -
- 谷村昭一 - 通産官僚、慶大経卒
- 大竹宏繁 - 大蔵官僚
- 赤羽隆夫 -
- 星野進保 - 経企生え抜き組、東大経卒
- 勝村坦郎 - 経企生え抜き組、東大院農経卒
- 冨金原俊二 - 大蔵官僚、京大経卒
- 田中努 - 経企生え抜き組、都立大経卒、中央大学教授
- 小林惇 - 通産官僚
- 糠谷真平 - 経企生え抜き組、東大養卒
- 塩谷隆英 - 経企生え抜き組
- 中名生隆 - 経企生え抜き組、東大経卒
[編集] 経済企画審議官
[編集] 経済企画庁出身の著名人
カテゴリ: 廃止された日本の国家機関 | 総理府