鍛冶屋線
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鍛冶屋線(かじやせん)とは、兵庫県西脇市の野村駅(現在の西脇市駅)から兵庫県多可郡中町(現在の多可町中区)の鍛冶屋駅までを結んでいた西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。
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[編集] 路線データ
- 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):13.2km
- 軌間:1067mm
- 駅数:6駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:
[編集] 概要
西脇市の中心部を通り、野村~西脇間に限れば比較的利用者が多く、加古川線から分岐していた4路線(鍛冶屋線と三木線、北条線、高砂線)の中では最も輸送密度が高かった。そのため特定地方交通線第1次廃止対象線区からは除外された。しかし第3次廃止対象線区の選定では除外基準が引き上げられため、特定地方交通線として承認され、1990年に廃止となりバス転換された。なお、野村~西脇間に限っては引き上げられた除外基準をも上回っており、この区間のみの部分存続も検討されたが実現しなかった。 第三セクター転換によっての存続ではなくバス転換が選択されたのは、先に第三セクター化によって存続した三木鉄道・北条鉄道の経営状態が芳しくなかったことも要因の1つといわれている。
なお、廃線後の跡地は自転車道として整備されたり、市原駅や鍛冶屋駅が鉄道記念資料館として整備されるなど、有効的な活用が図られている。自転車道は街灯もしっかり整備されており、夜間も安心して通行できるようになっている。
[編集] 運行形態
加古川線の加古川~野村間と一体的に運行され、運転系統的には鍛冶屋線側が本線的な扱いであった。ほぼ全列車が加古川~西脇間および加古川~鍛冶屋間に直通運転されていた。また、西脇駅からも加古川線の野村~谷川間に直通する列車が設定されていた。
廃止時点で、加古川~鍛冶屋間の列車がほぼ1~2時間毎に運転され、その間に加古川~西脇間の列車が1~2本入っていた。
[編集] 歴史
播州鉄道の手で1913年に西脇駅まで、1923年に鍛冶屋駅まで開業した。路線は多可郡加美町(現在の多可町加美区)まで延伸される計画であったが、第1次大戦後の不況で経営が悪化し、延伸計画は断念。播州鉄道の路線は播丹鉄道に承継された。
第二次大戦中に戦時買収され、野村~鍛冶屋間が国鉄鍛冶屋線となった。1986年に特定地方交通線第3次廃止対象線区として申請され翌年承認。1990年に廃止された。
- 1913年(大正2年)8月10日 - 播州鉄道 国包(現在の厄神)~西脇間開業。西脇駅開業。
- 1913年(大正2年)10月22日 - 野村駅(現在の西脇市駅)開業。
- 1921年(大正10年)5月9日 - 西脇~市原間開業。市原駅開業。
- 1923年(大正12年)5月6日 - 市原~鍛冶屋間開業。羽安停留場、播鉄中村駅、鍛冶屋駅開業。
- 1923年(大正22年)12月21日 - 播丹鉄道に譲渡。
- 1943年(昭和18年)6月1日 - 播丹鉄道国有化。野村~鍛冶屋間が鍛冶屋線となる。播鉄中村駅を中村町駅に改称。羽安停留場を駅に格上げ。
- 1961年(昭和36年)10月1日 - 曽我井仮乗降場開業。
- 1961年(昭和36年)12月20日 - 曽我井仮乗降場を駅に格上げ。
- 1974年(昭和49年)10月1日 - 貨物営業廃止。
- 1987年(昭和62年)2月3日 - 第3次特定地方交通線として廃止承認。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道に承継。
- 1990年(平成2年)4月1日 - 野村~鍛冶屋間全線廃止。野村駅を西脇市駅に改称。
[編集] 駅一覧
括弧内は起点からの営業キロ。野村駅は鍛冶屋線が廃止された1990年4月1日に西脇市駅と改称。
野村駅(0.0km) - 西脇駅(1.6km) - 市原駅(4.7km) - 羽安駅(7.0km) - 曽我井駅(8.8km) - 中村町駅(10.9km) - 鍛冶屋駅(13.2km)
[編集] 接続路線
- 野村駅:加古川線