長尾淳三
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生年月日 | 昭和27年(1952年)3月15日 |
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出身地 | 大阪府東大阪市 |
出身校 | 大阪市立大学大学院都市創造研究科 |
学位 | 修士(都市政策) |
前職 | 大阪民主新報記者、東大阪市議会議員 |
世襲の有無 | 父:長尾一郎(元東大阪市議会議員、故人) |
在任期間 | 平成18年(2006年)7月12日 ‐ 平成22年(2010年)7月11日(現職) |
当選回数 | 2回(市議5回) |
所属(推薦)党派 | 日本共産党 |
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長尾 淳三(ながお じゅんぞう、1952年3月15日 - )は日本の地方政治家。日本共産党員。東大阪市長(1998年-2002年、2006年 - )、元東大阪市議会議員(1979年-1997年)。
[編集] 来歴
- 府立八尾高等学校、静岡大学を卒業。大学卒業後、大阪民主新報記者となる。
- 1979年9月23日 - 同日に投開票が行われた東大阪市議会議員に父で同市議の長尾一郎の後継として、日本共産党公認でに立候補し初当選。以後5期18年間、同党市議団政調会長、同幹事長などを歴任。
- 1997年12月7日 - 同日に投開票が行われた市長選挙に出馬するものの、現職の清水行雄に約19,000票の差で落選した。
- 1998年7月12日 - 現職の清水市長が逮捕、辞職したことに伴い行われた東大阪市長に立候補(日本共産党推薦・新社会党支持)し初当選。同和利権に終止符を打つべく市政改革を行おうとした。しかし、市議会などでは議員らの対立から原案の否決などが生じ、同市議会は深夜に行われたり、3月に12月定例会を実施するなど、「開かずの議会」状態と化し、市政や議会は混乱状態に陥った。
- 2002年6月30日 - 任期満了に伴い行われた市長選挙で、前回の市長選挙で約5,000票の差で落選した松見正宣に敗れ、7月11日に市長退任。
- 退任後、東大阪民主市政を考える会を主宰し、東大阪市をはじめ地方政治の諸問題に取り組んだ。
- 2005年3月、大阪市立大学大学院都市創造研究科修士課程で「修士(都市政策)」の学位を取得。
- 2006年7月2日 - 任期満了に伴い行われた市長選挙で、無所属として立候補、日本共産党東大阪地区委員会など75団体で構成する「明るい東大阪をつくる会」の推薦を受け、現職の松見正宣と前大阪府議会議員の西野茂(府議会議員時代は自由民主党所属)を破り当選。7月12日に再び市長職へ。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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カテゴリ: 大阪府の政治家 | 都道府県知事・市町村長 | 1952年生