大阪府立八尾高等学校
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大阪府立八尾高校(おおさかふりつ やお こうとうがっこう)は大阪府八尾市高町にある公立の高等学校。高校入試における参考の偏差値は60強程度であり、旧第5学区では高津高校と並ぶ難関校であったが、2007年度から学区が再編されるため現在は不明である。大阪府第三中学以来の歴史を汲む学校である。大阪府下の公立高校としては北野高校、大手前高校に次いで三番目の歴史を誇る高校である。
教育目標は「文武両道の骨太の人材育成」。
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[編集] 沿革
- 1895年八尾村に大阪府第三尋常中学校設立。(二中=三国丘高校、四中=茨木高校と同時)
- 1899年大阪府第三中学校と改称
- 1901年大阪府八尾中学校と改称→後に大阪府立八尾中学校と改称
- 1948年学制改革により大阪府立八尾高等学校となる
- 1994年現校舎(平成校舎)竣工
[編集] 施設
府下2番目に大きいグランドを有す。 校舎は北館(主にHR教室、通称N館)と南館(主に特別教室・職員室、通称S館)からなる。北館にはエレベータが備わる。 体育館はアリーナが2階にあり1階部分には柔・剣道場やトレーニングルーム、食堂がある。 その他の施設はプール・テニスコート・部室棟・ビオトープ、校舎屋上にはソーラー発電システムなどがある。
[編集] 部活動
八尾高校は運動部の活動が盛んであることでも有名である。
特に硬式野球部は、春夏あわせて甲子園出場10回の古豪。1952年夏には、大阪大会初戦から甲子園の準決勝まで、エース木村保がすべて完封。失点は決勝の芦屋高校戦のみという快投で準優勝。甲子園出場は59年夏が最後。こののち私立高校の台頭が著しく、甲子園からこそ遠ざかったがしばらくは公立高校の中では健闘、夏の大阪大会で牛島和彦・香川伸行時代の浪商(現・大体大浪商)を破ったこともあった。
八尾高校志望者は「八尾高○○部に入りたい」という意思を持っている場合が多い。
[編集] 進路指導
大阪教育大学と高大連携を行っていて、2・3年生の希望者は大阪教育大学天王寺キャンパスで週1回大学生と一緒に講義を受講できる。他にも「出前講義」を行うなどしている。
[編集] 設置課程
[編集] 出身者
- 木村保 - 1952年夏の甲子園準優勝投手。早大を経て、57年南海ホークスに入団し、21勝11敗でパリーグ新人王
- 黒沢俊夫 - 元東京巨人軍4番打者。背番号「4」は、沢村栄治の「14」とともに、日本で最初の永久欠番
- 法元英明 - 元中日ドラゴンズ外野手。引退後は同球団でコーチ、二軍監督、チーフスカウトなど
- 清水脩(中30期) - 作曲家カワイ楽譜(現カワイ出版)元社長
- 田中友幸(中32期) - 映画プロデューサー
- 五味康祐(中40期) - 小説家。『喪神』で第28回芥川賞受賞。『柳生武芸帳』など柳生一族を扱った作品で知られる
- 塩川正十郎(中40期) - 自民党の政治家。文部大臣、内閣官房長官などを歴任。第一次小泉内閣では財務大臣を務め、「塩爺」の愛称で親しまれる
- 西岡京治(高3期) - 「ダショー西岡」の名で知られる農業指導者。ブータンでの活動は「JICAの海外援助で最高の成功例」とされる
- 奥田昌道(高3期) - 法学者。 京都大学法学部長、最高裁判事 を歴任
- 山本康裕(高8期) - 代々木ゼミナールの古文講師
- 牧野明次(高12期) - 岩谷産業社長、関西経営者協会副会長、日本経団連理事、八尾高校同窓会長
- 一柳良雄(高16期) - 通産省総務審議官、近畿通産局長、大臣秘書官
- 大月みやこ - 演歌歌手
- 長尾淳三 - 現東大阪市長
- 豊川義明 - 弁護士・関西学院大学大学院司法研究科教授
- 安井宏 - 関西学院大学大学院司法研究科長
- 石田長生(高23期) - ギタリスト
- 坂上みき(高29期) - パーソナリティー、ナレーター
- 前田新造 - 資生堂社長
- 山野さと子(本名「智子」、高34期)-歌手(ドラマ『生徒諸君!』、アニメ『ドラえもん』ほかテレビ主題歌を歌うことで有名)
- 井上典之 - 法学者。神戸大学教授