長続連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長 続連(ちょう つぐつら、? - 天正5年9月15日(1577年10月26日))は畠山氏の重臣。
畠山七人衆の一人で、数々の主君の放逐や擁立などを行なった。織田信長の勢力が能登にまで伸びてくるとこれに近づいて親密な関係を作り、畠山家中で随一の勢力を誇る重臣となった。1576年から越後の上杉謙信による侵攻を受けたが、続連はこれを七尾城に籠もることで一度は追い返した。しかし翌年の上杉軍との戦いのとき、城内に疫病が発生して形勢が不利になったうえ、同じく畠山重臣で親上杉派であった遊佐続光や温井景隆らが謙信に内応したため、城は落城。続連をはじめとする長一族はほとんどが城内において殺されてしまった。ひそかに派遣した子、長連龍が引き連れた織田の援軍が到着する数日前の出来事であった。