開発経済学
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開発経済学(かいはつけいざいがく、en:development economics)は、貧しい国が豊かな国になるためにはどうすればよいかを探求し、貧しい国に特徴的な経済・社会現象を個人合理性の観点から理解しようとする、経済学の一分野。伝統的に前者のタイプの研究が中心であったが、1970年代末頃から、経済学理論におけるゲーム理論(game theory)の発展に伴い、後者のタイプの研究がむしろ主流と言えるほど増えてきた。1990年代以降は、貧しい国の家計データの整備が進むに伴い、理論が本当に貧しい国の現実を説明しているかを検証する実証研究が盛んになっている。
当初のモデルは、計画経済を標榜したソビエト連邦などの国で発達した。
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[編集] 歴史
[編集] 1950-60年代
戦後の復興を交え、援助が始まった時期。政府主導型の開発。
経済発展は国民所得の向上ととらえられており、国民一人あたり国民所得が伸びることを最大の「開発」の目的とした。この「開発の恩恵」は、自然に高所得層から低所得層に浸透(トリクル・ダウン)していくと考えられていたが、実際はそうはならなかった。
主流理論:単線段階理論
- 経済発展段階説の一種。経済成長には決まった段階があるとされており、時間を経るに従って、自然に経済格差は縮まっていくと楽観視する見方。ウォルト・ロストウが提唱したモデルが有名で、一時期経済史にも影響を与えた。
- 経済発展の段階:伝統的社会→成長への離陸の準備段階→離陸(テイク・オフ)→経済の成熟→大量消費社会
ハロッド・ドーマーモデル…より多くの投資が、より高い成長につながる。
[編集] 1960-70年代
経済発展=工業化の概念が確立された時期。政府主導型の開発。
国の経済構造の中心が農業から工業へと移ることを目指した。その過程で工業部門で雇用が創出され、労働力が農村から都市へ移り、工業労働人口が増えれば増えるほど、開発が進んだとみなされた。
経済発展の段階:伝統的社会の自給農業(第1次産業)→近代化社会の工業(第2次産業)→サービス(第3次産業)
主流理論:2部門経済発展モデル
- 伝統的社会と近代化社会、農業と工業、農村と都市といった、2部門の対比構造からなる理論。
- 経済発展の速度は、投資と貯蓄の割合が多いほど、速まる。
[編集] 1970年代
開発途上国の経済発展が一向に進まず、貧困が減らないことに悲観論が出た時期。
これまでの開発戦略が、途上国の歴史的経験や経済の現状から乖離していることへの反省が出てきた。
台頭してきた理論:国際従属理論
- 第3世界の国々が、国内外の制度や経済的政治的硬直性の壁を前にして、途上国の開発が進まない原因は、先進国への従属・支配関係に巻き込まれているせいだとする見方。
- この従属・支配関係は、もはや経済のシステム(仕組み)であり、この関係にある以上、「豊かな先進国と貧しい途上国」という関係は、慢性的で続いていく関係で、差は開く一方だと主張する。
[編集] 1980年代以降
新古典派の反革命期。市場主導型の開発が求められている。
主流理論:自由市場主義
- 政府の補助や規制を排除し、効率的な自由競争市場を促進するべきだという主張。開発が進まない原因は、国内の市場整備が遅れており、市場インセンティブが働いていないためだとする。
- むしろ、非民主的な政府が介入することで、利権が公平に配分されなくなるため、政府の介入は少なければ少ないほど良い。
新成長理論…生産性の改善が、生産の拡大(経済成長)をもたらす。
[編集] 1990年代以降
地球環境の悪化に伴い、持続可能な開発を志向すべきだという、国際的コンセンサスができた。
NGOなどの草の根の活動や個人経営体や地域住民を開発の担い手とする草の根民活の認識がふかまり、直接貧困層へ援助のアプローチすることが増え始める。
[編集] 関連する課題
- 政治体制…政治体制が経済発展を阻害するという主張
- 国内経済格差…経済発展が進んだ際に国内での「開発の恩恵」が性別や人種や宗教などに左右されずに、均等に配分され得るか
- 国際協力…援助を進めるための議論、国益と援助の関係
- 開発論…「開発」の定義をめぐる問題
- 開発途上国と先進国の関係
- 地球環境問題
- 人口増加
- 振替価格操作
- 二重経済