計画経済
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計画経済(けいかく けいざい)とは、経済の資源配分を市場の価格調整メカニズムに任せるのではなく、物財バランスに基づく国家による計画的配分、生産・分配・流通・金融を統制し、経済を運営していこうとする体制のこと。原則的に全ての生産手段が公有とされる。主に共産圏の経済体制であり、現在、純粋にこれを採用する国は少ないが、計画経済の動員論はナチス・ドイツ(四ヶ年計画)や東南アジアの開発独裁モデルに深い影響を与えた。より細かい分類として、ソ連などにおける「指令型(行政的)」、ハンガリーなどにおける「誘導型(または規制された)」、ユーゴスラビアにおける「自主管理」に分類が可能である。対立概念は「市場経済」。
計画経済の原型はスターリンによる第一次五カ年計画期ソ連だった。しかし、複雑極まりない経済動態を当局者(ソ連ではゴスプランと呼ばれた)が完全に把握し、需給を調整したりするのは極めて難しく、コンピュータを用いてこれを解決しようという試みもあり(社会主義経済計算論争)、また計画経済システムの内在的な欠陥を、市場メカニズムの導入により解決しようと言う試みが、コスイギン改革やハンガリーにおいて、進められたが、結果的に失敗してしまった。ただ、公式には非共産圏のアジア諸国(例:朴正煕政権下の韓国、満州国など)でも計画経済は採用されており、反共といっても実際は東側と外交上対立するだけで、西側からの援助を受け、スムーズに成長させる為の手段と言う方が正しく、経済は計画経済で政治はソビエト共産党を真似た一党独裁制といった国が多かった。しかし、もともとその運用はソ連や東欧諸国に比べて弛緩していたため、皮肉にも経済改革(市場経済化)がスムーズに実行できる要因となった。特に中華人民共和国では毛沢東時代から既に経済の分権化が進んでいたと指摘される。
現在でも中華人民共和国では「五ヵ年計画」という言葉が使われているが、実際には当局が予め目標を定めて、経済をそれに誘導しようと試みるものの、価格設定など仔細な点まで立ち入らず、目標にも固執せず柔軟に対応している。したがって後者に近いと考えられるが、「社会主義市場経済」という言葉が用いられる。なお、「計画」という言葉から、中国語ではより自由なニュアンスのある「規画」という言葉に変わる予定である。