阪和銀行
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阪和銀行のデータ | |
統一金融機関コード | 0559 |
SWIFTコード | 不明 |
代表取締役社長 | 不明 |
店舗数 | 52店 |
設立日 | 1941年8月(興紀無尽、3社の合併) |
本店 | |
所在地 | 〒???-???? |
和歌山市八番丁 | |
電話番号 | 073-????-???? |
外部リンク | なし |
株式会社阪和銀行(はんわぎんこう)は、かつて営業していた日本の第二地方銀行である。和歌山県(本店を含め32店舗)をはじめ、大阪府(19店舗)、兵庫県、東京都(各1店舗)に支店があった。1996年11月21日に経営破綻。破綻前の本店は和歌山市八番丁に存在した。銀行コードは、「0559」を使用していた。
なお、旧阪和銀本店の跡地は、現在、和歌山市消防本部・和歌山市中消防署の合同庁舎となっている。
[編集] 沿革
- 1925年 紀南無尽株式会社が、和歌山県田辺市において設立される。以後、1926年までに、新宮無尽株式会社・福徳無尽株式会社が順次設立される。
- 1941年 同年8月までに、上記3社が順次合併を行い、興紀無尽株式会社となる。
- 1951年10月 相互銀行法の施行に伴い、相互銀行に業態転換。株式会社興紀相互銀行に商号変更。
- 1989年2月 第二地方銀行化。株式会社阪和銀行と商号変更。
- 1989年12月1日 大阪証券取引所第2部市場に上場(使用していた証券コード:8557)。
- 1993年8月5日 当時の副頭取・小山友三郎(当時62歳)が何者かに射殺される事件が起こる。
- 1995年3月 系列のノンバンク会社2社を清算。本体である阪和銀は無配に陥る。
- 1995年7月7日 最後の頭取となる新居 健(しんきょ たけし)が、当時の大蔵省(現在の財務省)から就任し、経営再建を任ぜられる。
- 1996年11月21日 中間決算の発表が出来ず、そのまま経営破綻。大蔵省より、銀行法第26条に基づき、預金の払戻し以外の業務の停止命令を受ける(日本の銀行としては戦後初めての事態)。
- 1997年4月9日 破綻後、救済金融機関が現れなかったので、阪和銀の預金払戻しのための銀行として「紀伊預金管理銀行」(きいよきんかんりぎんこう)を設立。
- 1997年11月3日 1992年当時の頭取であった橋本竹治ら5人が、不正融資の疑い(商法の特別背任容疑)で逮捕される。同じく嫌疑をかけられていた小山友三郎については、前述の射殺事件によって被疑者本人が死亡していたため、書類送検にとどまった。
- 1998年1月26日 紀伊預金管理銀行に阪和銀の営業を譲渡。同日、阪和銀行は解散。
- 2002年3月31日 紀伊預金管理銀行が解散。払戻し請求の無かった預金は、和歌山地方法務局に供託された。
- 2003年1月31日 第5期臨時清算総会により清算完了。(なお、この時点まで阪和銀行株券は名義書換が可能であり、年1回株主総会も開催されていた)