阿部正瞭
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阿部正瞭(あべ まさあきら)は、江戸時代の大名。陸奥白河藩の第3代藩主。忠秋系阿部家11代。
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 文化10年8月20日(1813年9月14日) | |||
死没 | 天保9年5月12日(1838年7月3日) | |||
別名 | 益之助(幼名) | |||
戒名 | 成徳院殿行誉自昭翠山大居士 | |||
官位 | 従五位下、能登守 | |||
藩 | 陸奥白河藩主 | |||
氏族 | 松平氏→阿部氏 | |||
父母 | 父:松平信明、養父:阿部正篤 | |||
妻 | 正室:永井直与の娘(松井松平康任の養女) | |||
子 | 3男1女、養子:阿部正備 |
文化10年(1813年)8月20日、三河吉田藩主・松平信明の九男として生まれる。天保2年(1831年)に白河藩第2代藩主・正篤が隠居したため、その養子として後を継いだ。幼少期から聡明として知られ、天保7年(1836年)6月には奏者番に任じられ、天保8年(1837年)には寺社奉行を兼任するなど、将来を嘱望されていたが、天保9年(1838年)5月12日に若死にしてしまった。享年26。後を養子の正備が継いだ。墓所:東京都台東区蔵前の西福寺。
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