青木重義
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青木 重義(あおき しげよし、嘉永6年(1853年) - 明治17年(1884年)10月)は、摂津国麻田藩の第14代(最後)の藩主、子爵。第11代藩主・青木重龍の子で、第13代藩主・青木一咸の養嗣子。正室は松平信宝の娘、継室は塩田伝兵衛の娘。官位は従五位下、民部少輔。
[編集] 生涯
安政3年(1856年)、わずか4歳で藩主に就任した。明治2年(1869年)からは麻田藩知事となり、藩校・「直方堂」を「文武局」と改めると共に、漢学や算数などを新たに取り入れた。同年、藩の領地である高平郷(川辺郡高平村、のち有馬郡に編入、現・三田市)で小作争議が起こっている。
明治4年(1871年)の廃藩置県に伴い藩知事を免職。明治17年(1884年)7月8日に子爵となり、同年10月に32歳で死去。中山男爵家から入った青木信光が後を継いだ。
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