鞍馬寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鞍馬寺 | |
---|---|
![]() 山門 |
|
所在地 | 京都府京都市左京区鞍馬本町1074 |
位置 | 北緯35度7分5.02秒 東経135度46分14.67秒 |
山号 | 鞍馬山 |
宗派 | 鞍馬弘教総本山 |
本尊 | 尊天(毘沙門天王・千手観世音菩薩・護法魔王尊) |
創建年 | 伝・宝亀元年(770年) |
開基 | 伝・鑑禎 |
正式名 | |
別称 | |
札所等 | 新西国三十三箇所19番 |
文化財 | 木造毘沙門天立像・木造吉祥天立像・木造善膩師童子立像、鞍馬寺経塚遺物一括(国宝) 木造聖観音立像、木造兜跋毘沙門天立像、黒漆剣、剣(無銘)、銅燈篭、鞍馬寺文書(重要文化財) |
鞍馬寺(くらまでら)は、京都府京都市左京区鞍馬本町にある仏教寺院。宗派はもと天台宗に属したが、1949年以降独立して鞍馬弘教総本山となっている。山号は鞍馬山。開基(創立者)は、鑑真の高弟鑑禎(がんてい)とされている。本尊は寺では「尊天」と称している。「尊天」とは、毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるという。
京都盆地の北に位置し、豊かな自然環境を残す鞍馬山の南斜面に位置する。鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として著名であり、大佛次郎の『鞍馬天狗』でも知られる。新西国十九番札所である。
なお、鞍馬寺への輸送機関としてケーブルカー(鞍馬山鋼索鉄道)を運営しており、宗教法人としては唯一の鉄道事業者ともなっている。
目次 |
[編集] 起源と歴史
鞍馬寺の草創については、『今昔物語集』、『扶桑略記』など諸書に見られ、延暦15年(796年)、藤原南家の出身で造東寺長官を務めた藤原伊勢人という人物が毘沙門天と千手観音を安置して創建したとされている。しかし、寺に伝わる『鞍馬蓋寺縁起』(あんばがいじえんぎ)には別の草創縁起を伝えており、鑑真の高弟鑑禎(がんてい)が宝亀元年(770年)に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりという。
鑑禎は、鑑真が唐から伴ってきた高弟8名のうちの最年少であった。宝亀3年(772年)のある夜、鑑禎は霊夢を見、山城国の北方に霊山があると告げられる。霊山を尋ねて出かけた鑑禎は、ある山の上方に宝の鞍を乗せた白馬の姿を見る。その山が鞍馬山であった。山に入った鑑禎は女形の鬼に襲われ殺されそうになるが、あわやという時、枯れ木が倒れてきて鬼はつぶされてしまった。翌朝になると、そこには毘沙門天の像があったので、鑑禎はこれを祀る一寺を建立したという。この鑑禎の話は『鞍馬蓋寺縁起』以外の書物には見えず、どこまで史実を伝えるものかわからない。ただし、清水寺の草創縁起と同様、南都(奈良)の僧が創建にかかわったとしている点は注目される。
その後、延暦15年(796年)、官寺である東寺の建設主任であった藤原伊勢人は、自分の個人的に信仰する観音を祀る寺を建てたいと考えていた。伊勢人は、ある夜見た霊夢のお告げにしたがい、白馬の後を追って鞍馬山に着くと、そこには毘沙門天を祀る小堂があった。「自分は観音を信仰しているのに、ここに祀られているのは毘沙門天ではないか」と伊勢人はいぶかしがった。ところが、その晩の夢に1人の童子が現われ、「観音も毘沙門天も名前が違うだけで、実はもともと1つのものなのだ」と告げた。こうして伊勢人は千手観音の像をつくって、毘沙門天とともに安置したという。
9世紀末の寛平年間(889-897年)東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺したころから、鞍馬寺は真言宗寺院となるが、12世紀には天台宗に改宗し、以後の鞍馬寺は長く青蓮院の支配下にあった。寛治5年(1091年)には白河上皇が参詣、承徳3年(1099年)には関白藤原師通が参詣するなど、平安時代後期には広く信仰を集めていたようである。『枕草子』は「近うて遠きもの」の例として鞍馬寺の九十九(つづら)折りの参道を挙げている。
鞍馬寺は大治元年(1126年)の火災をはじめとして、たびたび焼失している。江戸時代の文化9年(1812年)には一山炎上する大火災があり、近代に入って1945年(昭和20年)にも本殿などが焼失している。このため、堂宇はいずれも新しいものだが、仏像などの文化財は豊富に伝えられている。
昭和期の住職・信楽香雲(しがらきこううん)は、1947年に鞍馬弘教を開宗。1949年には天台宗から独立して鞍馬弘教総本山となっている。
京都の億にある鞍馬山は山岳信仰、山伏による密教も盛んであった。そのため山の精霊である天狗もまた鞍馬に住むと言われる。鞍馬に住む大天狗は僧正坊と呼ばれる最高位のものでありまた鞍馬山は天狗にとって最高位の山のひとつであるとされる。
[編集] 本尊
京都の北に位置する鞍馬寺は、もともと毘沙門天(四天王のうち北方を守護する)を本尊とする寺院であったと思われる。しかし、現在の鞍馬寺の信仰形態は独特のもので、本尊についても若干の説明を要する。
鞍馬寺本殿金堂の本尊は「尊天」である。堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらを合わせて「尊天」と称している。
寺の説明によると、「魔王尊」とは、650万年前(「650年」の間違いではない)、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという。また、毘沙門天・千手観世音・魔王尊はそれぞれが「太陽・月・地球」および「光・愛・力」を象徴するという。本殿金堂の毘沙門天・千手観世音・魔王尊はいずれも秘仏であるが、秘仏厨子の前に「お前立ち」と称する代わりの像が安置されている。お前立ちの魔王尊像は、背中に羽根をもち、長いひげをたくわえた仙人のような姿で、光背は木の葉でできている。多宝塔に安置の魔王尊像も同じような姿をしている。
[編集] 境内・伽藍
- 仁王門-1891年(明治24年)焼失し、1911年(明治44年)再建された。山門駅から多宝塔駅までのケーブルカーは1957年(昭和32年)に開通している。
- 多宝塔-1959年(昭和34年)再建。
- 本殿金堂-1971年再建
- 寝殿-1924年(大正13年)の建築。
- 転法輪堂-1969年(昭和44年)再建。
- 奥の院魔王殿-本殿から西の貴船神社へ抜ける山道の途中、奇岩の上にある小堂。650万年前に金星から地球に降り立ったという魔王尊を祀っている。現在の建物は1945年(昭和20年)の焼失後の再建。
- 霊宝殿-本殿裏にある。1階は鞍馬山自然博物苑で、鞍馬山の動植物に関する展示がある。2階は寺宝展示室と与謝野鉄幹・与謝野晶子の遺品等を展示した、与謝野記念室がある(鞍馬弘教を開宗した信楽香雲は与謝野門下の歌人であった)。3階は仏像奉安室で、国宝の木造毘沙門天立像、木造吉祥天立像、木造善膩師童子(ぜんにしどうじ)立像の三尊像をはじめとする文化財が展示されている。鞍馬寺の本尊はこの毘沙門天の三尊像であったとする説や、同じく霊宝館に安置されている平安時代後期の重要文化財兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)の姿と近いものでなかったかとする説もある。平安時代中期以降の末法思想から生み出された経塚遺跡からの発掘品も見ることができる。なお、霊宝殿前には与謝野晶子の書斎「冬柏亭」が移築されている。
[編集] 文化財
[編集] 国宝
- 木造毘沙門天立像、木造吉祥天立像、木造善膩師童子(ぜんにしどうじ)立像
- 鞍馬寺経塚遺物一括
[編集] 重要文化財
- 木造聖観音立像
- 木造兜跋毘沙門天立像
- 黒漆剣
- 剣(無銘)
- 銅燈篭
- 鞍馬寺文書
[編集] 札所
- 新西国三十三箇所観音霊場第19番
[編集] 年中行事
- しめのうち詣(元旦~1/15)
- 初寅大祭(1月最初の寅の日)
- 節分追儀式(節分の日)
- 春の酬得会(春の彼岸入の日)
- 清浄髪祈願祭(4月上旬)
- 尊天むすび伝法式(4月上旬)
- 花供養(4月中旬)
- 五月満月祭(五月の満月宵)
- 竹伐り会式(たけきりえしき)(6月20日午後2時)
- 如法写経会(8/1~8/4)
- 義経祭(9/15)
- 秋の酬得会(秋の彼岸入の日)
- 秋の大祭(10/14)
- 平和の祈り(11/23)
- 納めの寅(12月再度の寅の日)
- 毎月の御縁日(毎月1.7.14.寅の日)
- 鞍馬の火祭(10月22日)仁王門近くにある由岐神社の祭礼。鞍馬寺主催ではない
[編集] 交通
- 京都市内から鞍馬寺前まで
- 仁王門から本殿金堂まで(徒歩)
- 仁王門(0) - 287m - 由岐神社(50) - 791m - 本殿金堂(160)
- 括弧内の数字は仁王門の高さを基準とした標高差(単位m)
- 一部石畳だが基本的に未舗装の山道である。全て歩くとなると成人男性で30分ほどは見ておく必要がある。サンダルやヒールのある靴は絶対に避け、スニーカーなど歩きやすい靴で行くこと。出来ればタオルやペットボトルなども用意した方がいい。
- 仁王門から本殿金堂まで(ケーブルカー利用)
- 仁王門(0) - 200m - 多宝塔(120) - 456m - 本堂金堂(160)
- 括弧内の数字は仁王門の高さを基準とした標高差(単位m)
- 徒歩での参拝は非常に大変なため、仁王門から多宝塔の間にケーブルカーが運行している。2分ほどの距離だが運賃は100円と安く、多宝塔を回れるので登りはケーブルカーを使った方が良い。多宝塔から本殿金堂までは10分ほどの石畳を歩く。下りを徒歩にすれば由岐神社も回れる。
- 貴船側からのアクセス
- 貴船神社(35) - 573m - 魔王殿(185) - 460m - 背比べ石(235) - 404m - 本殿金堂(160)
- 括弧内の数字は仁王門の高さを基準とした標高差(単位m)
- 貴船からの入り口は西門と呼ばれる。このルートはかつて牛若丸が天狗との修行で走った道とされている。山をひとつ越えることになるので鞍馬側から登るより大変である。成人男性でも50分ほど掛かる。こちらもハイヒールや重い荷物持ちでは厳しい道である。