清水寺
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清水寺 | |
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![]() 本堂と舞台(国宝) |
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所在地 | 京都府京都市東山区清水1-294 |
位置 | 北緯34度59分41.39秒 東経135度47分6.01秒 |
山号 | 音羽山 |
宗派 | 北法相宗大本山 |
本尊 | 千手観音(秘仏) |
創建年 | 宝亀9年(778年) |
開基 | 延鎮 |
正式名 | |
別称 | |
札所等 | 西国三十三箇所16番 法然上人二十五霊跡13番 洛陽三十三所観音霊場10~14番 |
文化財 | 本堂(国宝) 仁王門、三重塔、鐘楼ほか(重要文化財) 世界遺産 |
清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある寺院。山号を音羽山と称する。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮上人である。宗派はもと法相宗に属したが現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。
清水寺は、金閣寺(鹿苑寺)、嵐山などと並ぶ、京都でも指折りの観光名所で、季節を問わず多くの参詣人で賑わっている。また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場として古くから知られ、平安時代以来、文学作品などにもたびたび登場する著名寺院である。西国三十三箇所観音霊場の第16番札所であり、古都京都の文化財の一部として世界遺産にも登録されている。
目次 |
[編集] 起源と歴史
広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つである。清水寺の縁起はさまざまな伝本があり、『今昔物語集』『扶桑略記』などにも清水寺草創伝承が載せられている。これらによれば、草創縁起は大略次のとおりである。宝亀9年(778年)、大和国子島寺(奈良県高市郡高取町に現存)の僧・延鎮上人が、夢のお告げで霊泉を訪ねてたどりついたのが、今、清水寺の建つ音羽山であった。そこにはこの山に篭って数百年も修行を続けているという行叡居士(ぎょうえいこじ)という修行者(観音の化身ともいう)がいた。行叡は「自分はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」と言い残し、去っていった。延鎮は、行叡居士が残していった霊木に観音像を刻み、草庵に安置した。これが清水寺のはじまりという。
その2年後の宝亀11年(780年)、鹿を捕えようとして音羽山に入り込んだ坂上田村麻呂(758‐811)は、修行中の延鎮に出会った。田村麻呂は妻の高子の病気平癒のため、薬になる鹿の生き血を求めてこの山に来たのであるが、延鎮より殺生の罪を説かれ、観音に帰依して観音像を祀るために自邸を本堂として寄進したという。後に征夷大将軍となった田村麻呂は、観音の加護の賜物か、無事東国の蝦夷を平定し、都に帰ることができた。延暦17年(798年)、延鎮と田村麻呂は協力して本堂を大規模に改築し、観音像の脇侍として地蔵菩薩と毘沙門天の像を造り、ともに祀ったという 以上の話には細かい点については異伝もある。創建の年については宝亀11年([780年])でなく延暦17年(798年)とする場合もあり、延鎮が最初に分け入ったのは木津川の上流の山で、平城京遷都に際して今の音羽山に移ったとする話もある。これらの話は、根拠のない伝説として無視すべきではなく、何らかの史実をもとにしていると思われ、その根幹には日本古来の山岳信仰、水源信仰があると思われる。
延暦24年(805年)に坂上田村麻呂が寺地を賜り、弘仁元年(810年)、嵯峨天皇の勅許を得て公認の寺院となったことは史実とされ、この頃に本格的な寺観が整ったようである。
清水寺は『源氏物語』、『枕草子』、『更級日記』、『梁塵秘抄』などの古典文学に言及されている。『枕草子』は、「さはがしきもの」の例として清水寺の縁日の日を挙げており、平安時代、既に多くの参詣者を集めていたことが伺われる。近世には浄瑠璃、歌舞伎などにも清水寺が登場する。
清水寺は、京都では珍しい法相宗(南都六宗の1つ)寺院で、長らく興福寺の支配下にあった。本堂をはじめとする伽藍はたびたび火災にあっており、現在の本堂は寛永10年(1633年)、徳川家光の寄進による再建である。他の諸堂も多くはこの年に再建されている。
[編集] 境内
東大路通から清水寺までの約1キロの坂道は清水坂と称され、道の両側には観光客向けのみやげ物店などが軒を連ねている。境内は標高242メートルの清水山(音羽山)中腹に石垣を築いて整地され、多くの建物が軒を接するように建ち並んでいる。入口の仁王門を過ぎ、西門、三重塔、鐘楼、経堂、田村堂(開山堂)、朝倉堂などを経て本堂に至る。本堂の先、境内の東側には北から釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院が崖に面して建つ。本堂東側の石段を下りた先には寺名の由来でもある名水が3本の筧(かけい)から流れ落ちており、「音羽の滝」と呼ばれている。音羽の滝からさらに南へ進むと、「錦雲渓」と呼ばれる谷を越えた先に塔頭寺院の泰産寺があり、「子安塔」と呼ばれる小さな三重塔がある。このほか、本堂の北に鎮守社の地主神社(じしゅじんじゃ)があり、さらに北には清水寺本坊の成就院がある。
本堂(国宝)-徳川家光の寄進により寛永10年(1633年)に再建されたもの。「清水の舞台」で知られる建物である。屋根は寄棟造、檜皮葺きで、正面(南面)左右に入母屋造の翼廊が突き出し、外観に変化を与えている。建物の前半部分は山の斜面にせり出すようにして建てられ、多くの長大な柱(139本という)が「舞台」と呼ばれるせり出し部分を支えている。このような構造を「懸造」(かけづくり)、あるいは「舞台造」と言い、観音菩薩は補陀洛山(ふだらくさん)に現われるという「観音経」の所説に基づくものである。観音霊場として名高い長谷寺や石山寺の本堂が同様の「懸造」である点も注意される。
内陣には、秘仏本尊の千手観音、毘沙門天、地蔵菩薩をそれぞれ安置する3基の厨子が置かれ、本尊厨子の周囲には千手観音の眷属である二十八部衆と風神・雷神像が安置される。本尊の千手観音立像は、42本の手のうちの2本を頭上で組み合わせる特殊な形の像であり、33年に1度開扉の秘仏である(2000年3月3日から同年12月3日まで開扉された)。
思い切って物事を決断することを「清水の舞台から飛び降りるつもりで」と言うが、ある記録によれば、実際に飛び降りた人が江戸時代に234件(記録のあるものだけ)(清水寺に残る古文書「成就院日記」には、424人と書かれている。)に上り、生存率は85.4パーセントと意外に高かったという。観音の住むという補陀洛浄土へ旅立とうとして飛び降りた者が多かったと見られる。
奥の院-本堂の全貌を見渡すことができる位置に建つ。本堂より小規模ながら、崖にせり出した懸造の建物である。本堂と同様に千手観音、毘沙門天、地蔵菩薩、二十八部衆、風神・雷神の諸仏を安置する(ただし本尊は立像でなく坐像)。本尊の秘仏千手観音坐像(重文)は、鎌倉時代の作で像高69センチ。正面・右・左の3つの顔をもち、頭上に25の小面を乗せた特異な形の像で、2002年に重要文化財に指定されている。本像は2003年3月7日から12月7日まで開帳された(寺によれば243年ぶりの開帳という)。
成就院-境内北方にある、清水寺の本坊。池泉回遊式庭園は国の名勝に指定されている。秋季などに行われる特別公開の時期を除き、通常は非公開である。なお、内部での撮影は原則として禁止となっている。
地主神社-本堂の北にある、清水寺の鎮守社で縁結びの神として信仰を集めている。本殿、拝殿、総門は清水寺本堂と同じく寛永10年(1633年)の再建である。ちなみに清水寺・仁王門前にあり、しばしば「なぜお寺の入り口にあるのか」と参拝者に不思議がられる狛犬は地主神社のものである。
[編集] 文化財
[編集] 重要文化財(建造物)
- 仁王門 - 室町時代
- 馬駐(うまとどめ) - 室町時代
- 西門
- 三重塔
- 鐘楼 - 慶長12年(1607年)
- 経堂
- 田村堂(開山堂)附:厨子1基
- 朝倉堂 附:厨子1基
- 鎮守堂(春日社)
- 本坊北総門
- 轟門
- 釈迦堂
- 阿弥陀堂
- 奥の院 附:厨子1基
- 子安塔
- 地主神社本殿・拝殿・総門 地主神社境内地も社殿と一体をなして価値を形成するものとして重要文化財に指定されている。
以上の建物のうち特記なきものは本堂と同じ寛永年間(1630年代)の建立
[編集] 重要文化財(美術工芸品)
- 木造千手観音坐像(奥の院本尊)
- 木造十一面観音立像
- 木造伝・観音勢至菩薩立像(もと阿弥陀堂安置)
- 木造大日如来坐像(もと真福寺大日堂安置)
- 木造毘沙門天立像(塔頭慈心院所有)
- 渡海船額(末吉船図3・角倉船図1)4面
- 板絵朝比奈草摺曳図(伝・長谷川久蔵筆)
- 鉄鰐口
- 梵鐘 文明10年(1478年)銘
重要文化財の仏像のうち、千手観音坐像は秘仏、その他の像は宝蔵殿に収蔵され非公開である。本堂本尊の秘仏千手観音像は指定文化財ではない。朝比奈草摺曳図(絵馬)は、京都市内の社寺に残る大絵馬のうち最古のものとして著名で、寛永6年(1629年)の旧本堂炎上の際、これ1点のみ焼け残ったもの。天正20年(1592年)の奉納銘があり、筆者は長谷川等伯の子・久蔵とされている。
[編集] 札所
- 西国三十三箇所観音霊場 第16番
- 法然上人二十五霊跡 第13番
- 洛陽三十三所観音霊場 第10番(善光寺堂)
- 洛陽三十三所観音霊場 第11番(奥の院)
- 洛陽三十三所観音霊場 第12番(本堂)
- 洛陽三十三所観音霊場 第13番(朝倉堂)
- 洛陽三十三所観音霊場 第14番(泰産寺)
[編集] その他
- 清水寺貫主の故大西良慶が、本寺を法相宗から独立させ北法相宗を設立した。大西は晩年には日本最高齢者となったこともあり、日本初の五つ子の名付け親としても有名であった。
- 毎年12月12日(漢字の日、ただし事情によりずれる場合もある)に、財団法人日本漢字能力検定協会主催によりその年の世相を漢字一字で表現する「今年の漢字」が清水寺で発表される。
- スイスの財団が実施している「新・世界七不思議」を選ぶ取り組みで、京都市東山区の清水寺が日本で唯一、中国の万里の長城やフランスのエッフェル塔などとともに最終候補地に選ばれ、それを記念して財団から賞状を受けた。
- 坂上田村麻呂のゆかりからアテルイとモレを慰霊する石碑(1994年建立)がある。
[編集] アクセス
京都市バス「清水道」停留所下車徒歩約15分
[編集] 関連項目
古都京都の文化財 |
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