高キュウ
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高俅(こうきゅう、? - 1126年)は中国北宋末期の政治家、太尉。中国の小説で四大奇書の一つである『水滸伝』の登場人物でもある。
[編集] 史実上の高俅
徽宗の治世下で殿帥府太尉を勤めた。
『水滸伝』作中で同じ4姦臣の1人として数えられる蔡京や童貫に比べ、特筆すべき功績や悪行の記録は殆ど残っていない。ただ、『宋史』によると、1125年に金の太宗が開封を陥落し、徽宗と欽宗父子とその一門を捕らえて、厳寒地の東北にある五国城(黒龍江省北部)に強制移住させられた。一方、高俅はその頃に病に倒れたとされ、翌年に自邸で逝去したといわれる。
[編集] 『水滸伝』の高俅
微宗に仕える殿帥府太尉であり、宋を裏で操る4姦臣の1人。従弟に高廉、養子に高衙内(高俅の従兄の高三郎の実子という)がいる。
元々は、街のゴロツキで幇間をして金を稼ぎ仲間を引き連れ無頼を行なっていた。かつて、高俅は今までの悪行を重ねたために、憲兵に逮捕され、浪人上がりの禁軍師範の王昇の裁きによって、棒叩きの刑罰を喰らった過去を持っていた。だが、彼は多芸な人物で棒術、相撲、音楽や詩文などに精通し、特に蹴鞠が非常に上手で、その技から人々に元々の名前である高二ではなく「高毬」と呼ばれるほどであった。即位前の宋の皇族の端王(後の微宗)に偶然蹴鞠の技を披露した際に、端王に惚れ込まれ、王の側に仕えるようになる。端王が皇帝に即位し、微宗になると共に取り立てられ、最終的には殿帥府の太尉まで昇格した。
彼は典型的な悪人として描かれており、彼と彼の一族は私利私欲のために権力を濫用した。九紋龍史進の師匠であり、自身が恨みを持つ亡き王昇の息子で亡父と同様の禁軍師範・王進の官職を剥奪し、その出奔の原因を生み出した。また、養子の高衙内が王進と同じ禁軍師範の豹子頭林冲の妻を敬慕していたために、彼を冤罪に陥れ、柴進が梁山泊へ入るきっかけとなった。また方臘討伐後に凱旋し官職についた宋江、盧俊義らの暗殺を謀り、成功させている。そのことを徽宗に責められるが、天子も基本的には高俅を信用しているため、特に罰を受ける事はなかった。
水滸伝最大の悪役にもかかわらず、五体無事のまま最終回を迎えた高俅だったが、二次創作小説『水滸後伝』においては失脚して配流される途中で、李応・李俊ら梁山泊の残党に遭遇し、今までの悪事を散々罵られた挙句鴆毒を盛られて悶死したという。