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高橋 和希(たかはし かずき、別ペンネーム高橋 一雅、1963年10月4日 - )は、漫画家。
[編集] 略歴
- 1990年 - 『週刊少年ジャンプ』で、デビュー作『闘輝王の鷹』を発表。(高橋一雅名義)
- 1991年 - 『週刊少年ジャンプ』で、『天燃色男児BURAY』の連載を開始。(高橋一雅名義)
- 1996年 - ペンネームを高橋和希に変え、『週刊少年ジャンプ』で『遊☆戯☆王』の連載を開始。
- 1998年 - 『遊☆戯☆王』がアニメ化される。(テレビ朝日系)。
- 2000年 - 『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』というタイトルで『遊☆戯☆王』がアニメ化される(テレビ東京系)。長者番付文化人部門で第一位となった。
[編集] 人物
- 『遊☆戯☆王』の作中でカードゲームを題材にした話を描いてから、小中学生を中心に爆発的に支持を伸ばす。この時のカードゲーム「マジック&ウィザーズ」は名称を「デュエルモンスターズ」と変え、バンダイとコナミからそれぞれトレーディングカードゲーム化されている。特にコナミの『遊戯王OCG』は世界規模でシリーズが展開される大ヒット商品となった。2004年に『遊☆戯☆王』の連載は終了となるが、『遊☆戯☆王R』や『遊☆戯☆王GX』などの漫画作品の監修に移り、もはや一人歩きをしている本シリーズとも現在まで関わりを持っている。この間の自身の執筆活動は遊戯王カードのデザイン提供などに収まっており、漫画家としては暫く筆を休めている。
- 『遊☆戯☆王』において、窮地に立たされた時に主人公が逆転のキーカードを引き当てる展開が作者のご都合主義と言われ度々批判を受けるが、これについては主人公の逆転劇をより誇張するものだとしている。
- アメコミのような筋肉質なクリーチャーから、可愛らしい少女までタッチの幅は広い。『遊☆戯☆王』の終盤ではCG技術を利用したデジタル作画を多用している。
- 自身が大きく影響を受けた作家として荒木飛呂彦の名を挙げている。
[編集] 経歴に関する噂
- 公式なプロフィールとして、デビュー作は1990年発表の『闘輝王の鷹』とされているが、その画風とペンネームが似ていることから、1986年に週刊少年マガジンに連載された『剛Q超児イッキマン』の作画担当者「高橋かずお」と同一人物であると言われている。
- 『剛Q超児イッキマン』終了後、漫画家として数年間姿を消している。その間はゲーム会社「セガ」に勤めていた説がある。
- 現在アニメーション監督をやっている新房昭之と友人だったようで[1]、高橋和希本人も元アニメーターではないかという噂もある。
[編集] 作品リスト
[編集] 高橋一雅名義
- 闘輝王の鷹(1991年、週刊少年ジャンプ。読みきり作品)
- 天然色男児BURAY(1991年 - 1992年、週刊少年ジャンプ。1992年、集英社。全2巻)
[編集] 高橋和希名義
[編集] 外部リンク
[編集] 関連項目