高田保馬
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高田 保馬(たかた やすま、1883年(明治16年)12月27日 - 1972年(昭和47年)2月2日)は経済学者、社会学者、社会経済学者。1965年文化功労者。京都帝国大学名誉教授。
佐賀県小城郡三日月村(現・佐賀県小城市三日月町)出身。旧制佐賀中学校(現佐賀県立佐賀西高等学校)、第五高等学校を経て、明治43年京都帝国大学文科大学哲学科を卒業、同大大学院進学。
大正3年京都帝国大学法科大学講師、大正8年広島高等師範学校(現広島大学)教授、大正10年東京商科大学(現一橋大学)教授、大正14年九州帝国大学法文学部教授、1929年京都帝国大学教授、1938年同大経済学部長、1943年同大を退職。1946年公職追放、1948年教員不適格者指定。1951年大阪大学法経学部教授、1955年大阪府立大学経済学部教授、1963年から1965年まで龍谷大学経済学部教授。
「総合社会学」を否定し、独自の視点からジンメルの掲げた「形式社会学」の彫琢に努める。佐賀県内の多くの学校の校歌の作詞も手がけている。
[編集] 結合定量の法則
結合定量の法則とは人間が日常生活においてとり行う相互関係の量には定量があるとする説。この法則は都市における人間間の関係における希薄さを数理モデルを以て説明しようとしたものである。高田によって定式化された。
[編集] 著作
- 『社会学原理』
- 『社会学概論』
- 『階級及第三史観』
- 『社会関係の研究』