鳥海山大物忌神社
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鳥海山大物忌神社 | |
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所在地 | 山形県飽海郡遊佐町 |
主祭神 | 大物忌大神 |
社格等 | 式内社(名神大)・出羽国一宮・国幣中社・別表神社 |
例祭 | 5月3日(蕨岡)・5月8日(吹浦) |
鳥海山大物忌神社(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ)は、山形県飽海郡遊佐町にある神社。出羽国一宮、式内社(名神大)、旧社格は国幣中社で、戦後、神社本庁の別表神社となった。
鳥海山頂の本社と、麓の吹浦と蕨岡の2か所の口之宮(里宮)の総称として大物忌神社と称する。主祭神は大物忌大神で、神祗志料では倉稲魂命のことであるとしている。
[編集] 歴史
景行天皇または欽明天皇時代の創建と伝えられる。鳥海山の噴火は大物忌大神の神威の表れとされ、噴火のたびに朝廷より神階の昇叙が行われた。出羽国一宮であるが、長年、2つの里宮が一宮の称を競い合っていたため、宝永元年(1704年)、幕府の裁定により山頂の祠を一宮と定めた。中世には神仏習合により鳥海山大権現と称し、社僧が奉仕をしていた。明治の神仏分離により神社となり、大物忌神社に復した。
明治4年、吹浦宮が国幣中社に指定されたが、かつての一宮争いのこともあり、明治14年に山頂の宮の方を国幣中社に指定し直し、麓の2つの里宮を「口之宮」と定めた。昭和30年(1955年)、三社を併せた名称として現行の「鳥海山大物忌神社」に改称した。