鹿児島県立甲南高等学校
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鹿児島県立甲南高等学校 | |
創立 | 1906年 |
設置学科 | 全日制普通科 |
学校長 | 中尾 理 |
所在地 | 〒890-0052 |
鹿児島県鹿児島市上之園町23番地1 | |
電話番号 | 099-254-0175 099-254-0176(FAX) |
最寄駅 | JR九州新幹線 JR鹿児島本線・指宿枕崎線 鹿児島中央駅正面(東口)より徒歩5分 |
外部リンク | 公式サイト |
鹿児島県立甲南高等学校(かごしまけんりつこうなんこうとうがっこう)は鹿児島県鹿児島市にある同県立高等学校。ラ・サール高等学校、鹿児島県立鶴丸高等学校などと共に鹿児島県有数の進学校である。
目次 |
[編集] 概要
前身は、旧制二中(県立第二鹿児島中学校)と旧制二高女(県立第二高等女学校)。現在の本校舎は旧制二中以来の校舎である。
甲突川の南にあたり、かつ大久保甲東・西郷南洲を輩出している由緒ある地域であることから、「甲南」の名を用いた。
校訓は「剛・明・直」「気高く・優しく・健やかに」。それぞれ、旧制二中と旧制二高女の校訓を受け継いでいる。
1953年(昭和28年)に甲子園の出場経験あり。毎年、鹿児島県立鶴丸高等学校と、スポーツ交歓会である「甲鶴戦」が行われている。 現在では諸先輩を学校に招く甲南塾が盛んに行われている。 また、枕崎市~鹿児島市平川間男子45km、女子40kmを半日かけて走りぬく「薩摩半島縦走」も有名である。
国立大学・公立大学への現役合格者は全国トップクラスであることでも知られるが、1970年代後半から80年代、鹿児島県立鹿児島中央高等学校と共に「しごきの甲南、半殺しの中央」と揶揄される厳しい管理教育を行なうことで有名であった。一方、同窓生の連帯意識は強く、「甲南民族」と表現されることもある。また、同窓生は自分の子供にも甲南高校進学を勧める傾向があり、親子或いは三代で同窓生というところもこの高校では珍しくない。
2006年には創立100周年を迎え様々な式典などが執り行われたが、それに花を添えるようにラグビー部が41年ぶりの全国高等学校ラグビーフットボール大会出場、所謂「花園出場」を劇的に決めた。
[編集] 沿革
- 旧二中
- 1884年12月 鹿児島県立中学造士館設立する(鶴丸城跡)
- 1888年4月 官立鹿児島高等中学造士館と改称する。
- 1896年9月 鹿児島県立尋常中学造士館と改称し、予科生徒を収容する。
- 1899年4月 鹿児島県中学造士館と改称する。
- 1901年4月 鹿児島県立鹿児島中学校分校と改称する。
- 1906年4月1日 鹿児島県立第二鹿児島中学校と改称する。
- 1948年4月1日 学制改革により鹿児島県鹿児島高等学校第四部となる。
- 旧二高女
- 1910年4月16日 鹿児島県立第二高等女学校として鹿児島女子師範学校に併設される。
- 1943年 官立昇格した女子師範学校から分離独立する。
- 1948年4月1日 学制改革により鹿児島県鹿児島高等学校第二部となる。
- 甲南高校
[編集] 著名な関係者
[編集] 出身者
- 鎌田要人 - (元参議院議員、元鹿児島県知事、元自治事務次官)
- 久永勝一郎(元日本スケート連盟会長、元日本レダリー㈱会長)
- 南野知惠子(参議院議員(比例代表)、元法務大臣)
- 宮内勝典(作家)
- 浜田広(企業経営者、リコー元会長)
- 俣木盾夫(企業経営者、電通代表取締役社長)
- 前田一郎(南日本放送ウェザーキャスター)
- 山崎行太郎(文芸評論家)
- 原口泉(日本近世史研究者、鹿児島大学法文学部教授)
- 小斉平敏文(参議院議員(宮崎県選挙区)、前農林水産省大臣政務官)
- 恵俊彰(タレント、ホンジャマカ)
- 藤川毅(音楽評論家、ジャマイカ音楽研究家)
- 佐藤里佳(フジテレビアナウンサー)
- 甲斐谷忍(漫画家)
- 尚、彼の著した漫画「ONE OUTS」の番外編にて、登場人物「児島弘道」の母校として甲南高校が登場。
- 下野竜也(指揮者)
- 川畑憲昭(プロレスリングElDorado代表)
- 吉嶺史晴(リコーダー奏者)