黄文雄 (政治家)
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黄 文雄(こう ぶんゆう 1937年10月2日-)は台湾(中華民国)の政治家、独立運動家。新竹市出身。英名Peter Huang。日本で評論活動を行う同姓同名の人物と、生年・政治的な主張が似ており、しかも双方とも台湾独立建国連盟の関係者である為、混同される事も多いが別人である。
[編集] 略歴
黄文雄は1937年に台湾の新竹に生まれた。1964年、ピッツバーグ大学の奨学金を獲得したのを機に渡米、コーネル大学社会学研究所で博士課程取得に励むかたわら、台湾独立建国連盟に所属し台湾独立に向けた活動を行っていた。
1970年4月24日、訪米中の蒋経国をニューヨークプラザホテルで狙撃するという暗殺未遂事件を起こし、アメリカ警察に逮捕される。その後保釈中に逃亡し1996年まで地下に潜伏した。この暗殺未遂事件は台湾独立派からは「義挙」として賞賛される事が多い一方で、中華人民共和国政府など台湾独立に対して批判的な勢力からは「台湾独立派がテロリストにしかすぎない」証拠であると非難される事が多い。
1996年4月、台湾へ帰国し、1998年1月には台湾人権促進会の会長に就任し、2000年には陳水扁政権のもとで中華民国総統府国策顧問も兼任した。