黄祖
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黄祖(こうそ、?-208年)は、後漢末期の武将。劉表の部下。
191年、孫堅との戦いで、部下の呂公が孫堅を射殺したため、孫堅の子である孫策や孫権から仇として狙われることになる。
黄祖は最初、息子の黄射が連れてきた禰衡を厚遇していたが、後に禰衡が傲慢になって黄祖を馬鹿にするようになったため、黄祖は怒って彼を殺害した。また海賊あがりの猛将甘寧を重用せず、彼を呉に逃亡させるなど、黄祖の狭量さを示すエピソードが伝えられている。
208年、孫権が江夏郡に攻めて来たとき、その猛攻にあって城は落城した。黄祖は身一つで逃亡したが、孫権配下の騎兵である馮則(生没年不詳)に首を斬られ死亡した。一兵卒の氏名が記録されるのは異例であり、それだけ黄祖は孫権にとって重要な敵であったことを示している。
三国志演義では、甘寧に斬られている。