黒駒勝蔵
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黒駒 勝蔵(くろこまの かつぞう、1832年(天保3年) - 1871年11月26日(明治4年10月14日))は、幕末の侠客、尊王攘夷派の志士。本名:小池 勝蔵(こいけ かつぞう)。甲州 御坂の上黒駒村(後の山梨県笛吹市御坂町上黒駒)出身。
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[編集] 略歴
甲斐八代郡上黒駒若宮の小池嘉兵衛の次男として生まれ、25才で渡世人となった。1858年、隣村に住む甲州の有力な侠客である竹居安五郎(後に前代未聞の新島からの島抜けに成功し世間を驚かす事になる。通称、ども安、吃安)の子分となった。1862年に安五郎が獄死した後は甲州一の大親分として勇名を関八州に轟かせた。やがて倒幕思想に基づき、甲府城占領計画などを画策。1868年に黒駒一家を解散、池田勝馬と名を改め、赤報隊に入隊し官軍側について戊辰戦争に参加。だがしかし旧悪に鑑みて、功績に対し恩賞を求めてきたときの対処に困り(博徒を官職(特に軍職)に付けるわけにもいかず)結局、明治政府の手により後の山梨県甲府市酒折近くの山崎処刑場で斬首された。
[編集] 再評価
勝蔵は幕府側についていた清水次郎長とは正反対に、尊王攘夷派として活動した末、新政府に切り捨てられた。また勝蔵は次郎長の敵役としての印象が強く、その際、次郎長は善玉、勝蔵は悪玉として描写される。しかし、これは名浪曲師広沢虎造の「次郎長伝」や講談等の影響による“虚像”に過ぎないとする意見がある。侠客の増加は江戸幕府の弱体化が表面化したものであるとし、勝蔵ら博徒を村落社会の自衛役として、また幕末から維新に至る時期の民衆動員のリーダーとして評価する考えである。
[編集] 関連作品
- 次郎長の敵役としての作品は数多い。
- 安五郎の若い頃を描いたテレビドラマ「甲州仁侠伝 俺はども安」に、子分として勝蔵も登場した。
- テレビドラマ「風の中のあいつ」(1973年)も勝蔵側から描いた「異色作」。
- 今川徳三『万延水滸伝』 - 吃安の牢死と、勝蔵の仇討を描く。
- テレビドラマ「竜馬におまかせ!」(1996年)では坂本龍馬の知り合いとして描かれ、同作品第6話では次郎長一家と対峙、その際 龍馬達に助けられている(尚、内容はコメディタッチで、浪曲や小説でのイメージは全く無い)。
[編集] 資料
- 猪野健治『やくざと日本人』(筑摩書房、1999年) - ISBN 4480034846
- 高橋 敏『博徒の幕末維新』(筑摩書房、2004年) - ISBN 4480061541
- 堀内良平『勤王侠客黒駒の勝蔵』
- 今川徳三『甲州侠客伝』