Ju 86 (航空機)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Ju 86はドイツの航空機メーカー ユンカースが製造した、単葉の爆撃機 / 民間用旅客機である。過給器付のディーゼルエンジン・与圧室・アスペクト比の大きな主翼を採用したJu 86Pは第二次世界大戦の初期に高々度爆撃機・偵察機として成功を収めた。航空機用ディーゼル・エンジンの歴史に残る機体である。
[編集] 各タイプ概要
民間旅客機型のJu 86Bは10人の旅客を載せることができた。2機がスイスエアで、5機がルフトハンザ航空で使われた。
爆撃機型は3基のMG15機関銃で武装し、1,000 kgの爆弾を搭載した。1936年の初期型Ju 86-D1は2台のユモ 205C-4 ディーゼルエンジンを装備したが、Ju 86EではBMW 132Fに換装された。スペイン内戦でテストされたが、ハインケルのHe 111に対して劣っていることが明らかになった。ポーランド侵攻までは使用されたが、その後は、一線をしりぞいた。
1940年ドイツ空軍は翼長が大きく与圧室を備え、2重タービン付ユモ207Aディーゼルエンジンを装備した乗員2名の試作機Ju 86Pを製作した。Ju 86Pは当時の連合国戦闘機が飛行できなかった12,000 mの高度を飛行できた。40機のJu 86が 高空爆撃機型Ju 86P-1及び写真偵察型Ju 86P-2に改造された。これらの機体はしばらくの間、イギリス・ソビエト・北アフリカの各戦線で成功をおさめた。1942年8月にエジプトでスピットファイアVの改造型によって初めて撃墜された。さらに2機が失われると1943年にはJu 86Pの使用はとりやめられた。ドイツ空軍はさらに翼面積を増し、エンジンを強化して、16,000mの高度を飛行できるJu 86Rの開発を行ったが試作のみに終わった。
Ju 86はスウェーデン・南アフリカ・チリ・ポルトガル・ハンガリーに輸出された。Ju 86Kは輸出モデルであり、スウェーデンでライセンス生産され、1956年まで運用された。南アフリカ空軍のJu 86は輸送や沿岸哨戒にあたったほか、1940年に東アフリカでイタリア軍と交戦している。
カテゴリ: ドイツの航空機 | スウェーデンの航空機 | 爆撃機