NHK UHFテレビ実験局
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NHK UHFテレビ実験局(えぬえいちけい ゆーえいちえふてれびじっけんきょく)は、NHKがUHF帯によるテレビジョン放送(以下「UHF放送」)の実用化(地方などに於ける中継局などの設置など)に向けて開設した無線局である。
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[編集] 概 要
[編集] UHF帯での実験開始と小電力サテライトUHF局
UHF帯を使用したテレビ実験局の嚆矢は、NHK技術研究所に開設されたNHKカラーテレビ実験局(呼出符号JO2O、46ch、1956年12月20日運用開始)であったが、1961年3月27日の「テレビ放送用周波数の割当計画基本方針」(以下、「基本方針」と略記)の修正(UHF帯の使用を予定)をうけ、UHF帯をテレビ放送に割り当てるための本格的な実験が開始された。まず小出力のサテライト局(中継局)として、1961年12月1日、NHK日立UHF実験局(52ch、映像60W)が運用を開始し、翌1962年、大津局(52ch、2月21日運用開始)、高萩局(51ch、12月28日運用開始)がこれに続いた。1963年5月7日、郵政省は「テレビ放送用周波数の第2次割当計画表」(以下、「第2次プラン」と略記)を修正し、中継局用としてUHF帯のチャンネルを全国96地区に割り当てた。
[編集] 大電力UHF局
さらに、1964年9月8日、臨時放送関係法制調査会が「UHF帯はさしあたりNHK、民放の難視聴地域解消と民放の各地最低2局の放送サービス確保のみに使用」することを郵政大臣に勧告したが、大出力の放送局(親局)への割り当ては時期尚早とされた。このため、必要なデータの収集を目的として、1966年4月14日、NHKは徳島市にUHF大電力テレビ実験局を開設することを申請し、翌1967年2月20日、NHK徳島UHF実験局(38ch、映像30kW)の運用が開始された。1967年6月30日、NHKは実験・調査結果を郵政大臣に提出、同年10月13日、郵政省は「基本方針」と「テレビ放送用周波数割当計画表」(以下、「第1次プラン」と略記)を修正し、19地区23局に対し、UHF帯親局用チャンネルを割り当てた。これにより、NHK徳島教育テレビはUHF帯最初の親局として1968年2月20日に放送を開始した。
[編集] 放送大学開設に向けて
また、1969年3月21日、郵政大臣が記者会見で「昭和45年秋ごろ東京、大阪でNHKのUHF実験局を考慮中」と語り、これをうけて1970年12月24日、まずNHK大阪テレビ実験局(呼出符号JO4W、14ch)が、翌日、NHK東京テレビ実験局(呼出符号JO2W、14ch)が運用を開始、UHFテレビ放送の大都市での受信障害などについて調査した。
1971年12月24日、郵政省は放送大学テレビ実験番組に備える放送試験局制度の新設を含む「電波法施行規則」などの改正を公布・施行し、1972年2月7日からはNHK東京テレビ放送試験局(呼出符号JO2W-TV、14ch)とNHK大阪テレビ放送試験局(呼出符号JO4W-TV、14ch)が運用を開始、NHKの通常の番組以外に放送大学テレビ実験番組の放送を行った(実験局は同年2月6日限りで廃止)。なお、この試験放送局の運用は1975年4月7日に休止された。
原則として、午前6時の放送開始から午後7時30分頃までは、総合テレビジョンと同一の内容(サイマル)で放送し、その後、放送終了時迄(開始当時は深夜12時迄だったが、1974年1月のオイルショック以降は11時迄に短縮。日中の一部時間帯も放送休止)は総合及び教育の混在編成で時差放送を中心に構成されていた。
試験放送最終日には「NHKでは東京と大阪で行っている14chのUHF試験放送を明日から休止させていただきます。明日からはNHK総合テレビジョン、または教育テレビジョンをご利用下さい」という放送終了アナウンスを行った。
なお東京地区の試験放送に使用されていた14chは、20年後の1995年11月1日には東京初の民放UHF県域局(放送対象地域は東京都)であるTOKYO MXのアナログ放送のチャンネルに使用されている。
また大阪地区の試験放送に使用されていた14chは、28年後の2003年12月1日にはytvの地上デジタル放送の物理チャンネルに使用されている。