郵政省
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
郵政省(ゆうせいしょう)は、2001年1月5日まで存在した郵便事業・郵便貯金事業・郵便為替事業・郵便振替事業・簡易保険(簡易生命保険事業)及び電気通信・放送行政を取扱う中央省庁である。長は郵政大臣。
目次 |
[編集] 来歴
- 1949年6月1日、逓信省の二省分離に伴い、電気通信省とともに郵政省が設置された。
- 1952年8月1日、電気通信省の日本電信電話公社への移行、総理府電波監理委員会の廃止に伴い、電気通信監督行政、電波監理行政を新たに所管した。
- 2001年1月6日、中央省庁再編の実施に伴い自治省・総務庁と統合され、総務省が発足したことにより、事実上解体された。
[編集] 略史における特記事項
当初は本省が港区飯倉町(現在の麻布台)の現日本郵政公社飯倉分館にあったが、所在場所については、なぜか外苑東通を介して反対側のロシア大使館一帯の地名である狸穴(まみあな)と呼ばれてきた。1930年に竣工した逓信省貯金局庁舎をそのまま本省庁舎に転用したもので、1969年に本省が霞が関へ移転した後も長きにわたり関係部局の執務場所として利用され、2005年5月からは日本郵政公社東京支社が大手町から移転し使用されている。
他の省庁が集積している霞が関から遠く離れていたこと、三公社五現業のひとつである郵政3事業を取扱う省庁であったためか、「三流(もしくは四流)官庁」「狸穴の田舎者」と揶揄されていた不遇な時代が長く続いていた。
しかし、後に内閣総理大臣にまで上り詰めた田中角栄が郵政大臣に就任したことを契機として、本省は霞が関(現在の日本郵政公社本社)へ移転を果たし、情報化社会の到来とともに電気通信・放送行政を担う省庁として注目されるようになった。
また、1992年には宮沢内閣において、郵政大臣に郵政民営化論を唱える小泉純一郎が就任し、郵政官僚と激しい対立があった。
ほか、小渕内閣では郵政省で史上初の女性大臣野田聖子が就任した。(なお、野田は自由民主党総裁選挙では小渕恵三ではなく梶山静六を応援していたため、この人事は破格のものであった)
[編集] 郵政省の組織(本省)
[編集] 中央省庁再編後の組織の変遷
[編集] 郵政事業部門
- 総務省の内部部局「郵政企画管理局」
- 郵政事業における制度の企画立案、経営の基本的事項等に関することを所掌。
- 2003年4月1日の日本郵政公社設立とともに名称を「郵政行政局」と改め、併せて規模が縮小された。
- 総務省の外局「郵政事業庁」
- 郵政事業の実施に関することを所掌。
- 2003年4月1日、国が設置する特殊法人「日本郵政公社」として、総務省より独立。
- 総務省郵政公社統括官
- 郵政事業庁を日本郵政公社へと円滑に移行するため、公社設立までの時限で局長級の郵政公社統括官が置かれた。
- 併せて、郵政公社統括官のもと移行準備組織が置かれていた。
[編集] 電気通信・放送行政
[編集] 歴代の郵政大臣等
- 辞令のある再任は代として数え、辞令のない留任は数えない。
- 臨時代理は空位の場合のみ記載し、海外出張等の一時不在代理は記載しない。
代 | 氏名 | 内閣 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|---|
郵政大臣 | ||||
1 | 小澤佐重喜 | 第3次吉田内閣 | 1949年6月1日-1950年6月28日 | 電気通信大臣兼任 |
2 | 田村文吉 | 第3次吉田内閣 | 1950年6月28日-1951年7月4日 | 電気通信大臣兼任 |
3 | 佐藤榮作 | 第3次吉田内閣 | 1951年7月4日-1952年10月30日 | 1952年8月1日まで電気通信大臣兼任 |
4 | 高瀬莊太郎 | 第4次吉田内閣 | 1952年10月30日-1953年5月21日 | |
5 | 塚田十一郎 | 第5次吉田内閣 | 1953年5月21日-1954年12月10日 | 行政管理庁長官及び自治庁長官兼任 |
6 | 武知勇記 | 第1次鳩山内閣 | 1954年12月10日-1955年3月19日 | |
7 | 松田竹千代 | 第2次鳩山内閣 | 1955年3月19日-1955年11月22日 | |
8 | 村上勇 | 第3次鳩山内閣 | 1955年11月22日-1956年12月23日 | |
臨代 | 石橋湛山 | 石橋内閣 | 1956年12月23日 | 内閣総理大臣が臨時代理 |
9 | 1956年12月23日-1956年12月27日 | 内閣総理大臣が兼任 | ||
10 | 平井太郎 | 石橋内閣 | 1956年12月27日-1957年2月25日 | |
11 | 第1次岸内閣 | 1957年2月25日-1957年7月10日 | ||
12 | 田中角榮 | 第1次岸内閣 | 1957年7月10日-1958年6月12日 | |
13 | 寺尾豊 | 第2次岸内閣 | 1958年6月12日-1959年6月18日 | |
14 | 植竹春彦 | 第2次岸内閣 | 1959年6月18日-1960年7月19日 | |
15 | 鈴木善幸 | 第1次池田内閣 | 1960年7月19日-1960年12月8日 | |
16 | 小金義照 | 第2次池田内閣 | 1960年12月8日-1961年7月18日 | |
17 | 迫水久常 | 第2次池田内閣 | 1961年7月18日-1962年7月18日 | |
18 | 手島栄 | 第2次池田内閣 | 1962年7月18日-1963年1月8日 | |
19 | 小澤久太郎 | 第2次池田内閣 | 1963年1月8日-1963年7月18日 | |
20 | 古池信三 | 第2次池田内閣 | 1963年7月18日-1963年12月9日 | |
21 | 第3次池田内閣 | 1963年12月9日-1964年7月18日 | ||
22 | 徳安實蔵 | 第3次池田内閣 | 1964年7月18日-1964年11月9日 | |
23 | 第1次佐藤内閣 | 1964年11月9日-1965年6月3日 | ||
24 | 郡祐一 | 第1次佐藤内閣 | 1965年6月3日-1966年8月1日 | |
25 | 新谷寅三郎 | 第1次佐藤内閣 | 1966年8月1日-1966年12月3日 | |
26 | 小林武治 | 第1次佐藤内閣 | 1966年12月3日-1967年2月17日 | |
27 | 第2次佐藤内閣 | 1967年2月17日-1968年11月30日 | ||
28 | 河本敏夫 | 第2次佐藤内閣 | 1968年11月30日-1970年1月14日 | |
29 | 井出一太郎 | 第3次佐藤内閣 | 1970年1月14日-1971年7月5日 | |
30 | 廣瀬正雄 | 第3次佐藤内閣 | 1971年7月5日-1972年7月7日 | |
臨代 | 田中角榮 | 第1次田中角榮内閣 | 1972年7月7日-1972年7月12日 | 内閣総理大臣が臨時代理 |
31 | 三池信 | 第1次田中角榮内閣 | 1972年7月12日-1972年12月22日 | |
32 | 久野忠治 | 第2次田中角榮内閣 | 1972年12月22日-1973年11月25日 | |
33 | 原田憲 | 第2次田中角榮内閣 | 1973年11月25日-1974年11月11日 | |
34 | 鹿島俊雄 | 第2次田中角榮内閣 | 1974年11月11日-1974年12月9日 | |
35 | 村上勇 | 三木内閣 | 1974年12月9日-1976年9月15日 | |
36 | 福田篤泰 | 三木内閣 | 1976年9月15日-1976年12月14日 | |
37 | 小宮山重四郎 | 福田内閣 | 1976年12月14日-1977年11月28日 | |
38 | 服部安司 | 福田内閣 | 1977年11月28日-1978年12月7日 | |
39 | 白濱仁吉 | 第1次大平内閣 | 1978年12月7日-1979年11月9日 | |
40 | 大西正男 | 第2次大平内閣 | 1979年11月9日-1980年7月17日 | |
41 | 山内一郎 | 鈴木善幸内閣 | 1980年7月17日-1981年11月30日 | |
42 | 箕輪登 | 鈴木善幸内閣 | 1981年11月30日-1982年11月27日 | |
43 | 桧垣徳太郎 | 第1次中曽根内閣 | 1982年11月27日-1983年12月27日 | |
44 | 奥田敬和 | 第2次中曽根内閣 | 1983年12月27日-1984年11月1日 | |
45 | 左藤恵 | 第2次中曽根内閣 | 1984年11月1日-1985年12月28日 | |
46 | 佐藤文生 | 第2次中曽根内閣 | 1985年12月28日-1986年7月22日 | |
47 | 唐澤俊二郎 | 第3次中曽根内閣 | 1986年7月22日-1987年11月6日 | |
48 | 中山正暉 | 竹下内閣 | 1987年11月6日-1988年12月27日 | |
49 | 片岡清一 | 竹下内閣 | 1988年12月27日-1989年6月3日 | |
50 | 村岡兼造 | 宇野内閣 | 1989年6月3日-1989年8月10日 | |
51 | 大石千八 | 第1次海部内閣 | 1989年8月10日-1990年2月28日 | |
52 | 深谷隆司 | 第2次海部内閣 | 1990年2月28日-1990年12月29日 | |
53 | 関谷勝嗣 | 第2次海部内閣 | 1990年12月29日-1991年11月5日 | |
54 | 渡辺秀央 | 宮澤内閣 | 1991年11月5日-1992年12月12日 | |
55 | 小泉純一郎 | 宮澤内閣 | 1992年12月12日-1993年7月20日 | |
56 | 宮澤喜一 | 宮澤内閣 | 1993年7月20日-1993年8月9日 | 内閣総理大臣が兼任 |
57 | 神崎武法 | 細川内閣 | 1993年8月9日-1994年4月28日 | |
臨代 | 羽田孜 | 羽田内閣 | 1994年4月28日 | 内閣総理大臣が臨時代理 |
58 | 日笠勝之 | 羽田内閣 | 1994年4月28日-1994年6月30日 | |
59 | 大出俊 | 村山内閣 | 1994年6月30日-1995年8月8日 | |
60 | 井上一成 | 村山内閣 | 1995年8月8日-1996年1月11日 | |
61 | 日野市朗 | 第1次橋本内閣 | 1996年1月11日-1996年11月7日 | |
62 | 堀之内久男 | 第2次橋本内閣 | 1996年11月7日-1997年9月11日 | |
63 | 自見庄三郎 | 第2次橋本内閣 | 1997年9月11日-1998年7月30日 | |
64 | 野田聖子 | 小渕内閣 | 1998年7月29日-1999年10月5日 | |
65 | 前島英三郎 (八代英太) |
小渕内閣 | 1999年10月5日-2000年4月5日 | |
66 | 第1次森内閣 | 2000年4月5日-2000年7月4日 | ||
67 | 平林鴻三 | 第2次森内閣 | 2000年7月4日-2000年12月5日 | |
68 | 片山虎之助 | 第2次森内閣 | 2000年12月5日-2001年1月5日 | 自治大臣及び総務庁長官兼任 |
[編集] 郵政政務次官
[編集] 郵政事務次官
- 事務次官参照
[編集] 郵政審議官
[編集] 所轄研究所
[編集] 関連施設
かつて郵政省の管轄だったが現在は下記の関連病院となっている。
[編集] 日本郵政公社
- 札幌逓信病院
- 仙台逓信病院
- 横浜逓信病院
- 東京逓信病院
- 新潟逓信病院
- 富山逓信病院
- 名古屋逓信病院
- 京都逓信病院
- 大阪北逓信病院
- 神戸逓信病院
- 広島逓信病院
- 徳島逓信病院
- 福岡逓信病院
- 鹿児島逓信病院
[編集] NTT
- 関東逓信病院(現・NTT東日本関東病院)
- 大阪逓信病院(現・NTT西日本大阪病院)
[編集] 関連項目
カテゴリ: 廃止された日本の国家機関 | 郵便