利用者‐会話:Safkan
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過去ログ(2003年10月-2004年10月) / 過去ログ(2004年11月-2005年11月)
[編集] 議論へのお誘い
どうもはじめまして、現在私はDalaibaatur氏とノート:自治州 (中国)/過去ログ01要約の内容(正式呼称は日本語たりえるか)に関し議論しています。そのため過去に参加した貴方のご意見を頂戴したいとおもいます。さて、この過去ログの議論は現在に至っても必読なものでしょうか?そして正式名に日本語がないという事を明示するものなのでしょうか?(個人的には、よしんばそうであろうとも日本語の正式呼称がないというのは事実でないと考えています。)ご回答を御願い致します。可能であれば以下へも是非ご参加ください。
Sionnach 2005年12月8日 (木) 10:30 (UTC)
- こんにちは。ご依頼承りました。回答については、関連する議論を再読した後にさしあげたく思います。しかしながら、申し訳なくかつ恐縮なのですが、以前に少しだけ口を差し挟みはしましたが、前後の議論をきちんとフォローしておりません。ご要望に添えないかもしれず、また求められる方向での適切な回答はいたしかねるかもしれないことをあらかじめお断りいたします。Safkan 2005年12月8日 (木) 12:22 (UTC)
- ノート:自治州 (中国)/過去ログ01要約を読了しました。私の議論の流れに対する理解が不足しているため恐縮ですが、
- この過去ログの議論は現在に至っても必読なものでしょうか?
- とはどういった趣旨のご質問でしょうか。どういう状況において必読であるかどうかがわかりませんでしたので、必読か否かはお答えしかねますが、読み返して思い出した限りの記憶によればこの段階で出ていた議論を一応整理してそれに対して各人がコメントしたものではないかと思います。
- また、正式名に日本語がないという事を明示するものなのか、というご質問ですが、このとき議論の土俵に乗っていた人のうち、少なくとも私、そしておそらくDalaibaaturさんを含む幾人かは、正式名=中華人民共和国で現に公に使用されている行政上の名(中国語及び民族語)であって、日本語を含む外国語はそれら「正式名」に対して各言語による慣用的な名称を便宜上あてはめているのである、という見解ことがそもそも前提になっていたように思います。従いまして一般論から言えば、この「ノート:自治州 (中国)/過去ログ01要約」のみを根拠として、議論の前提の正統性を導き出すのは論理的におかしいのではないでしょうか。
- しかしながら、私の意見は現在も同一です。逆に正式名称がある、という立場を私のような者を含む万人に納得させるには、何をもって正式名称の基準とするのかの客観的かつ説得的な基準をご提示頂く必要があると考えます。繰り返しの言い訳になりますが、私は現段階ではその後の議論をフォローしておりませんので、ピントはずれの回答であろうことをお詫びします。Safkan 2005年12月8日 (木) 12:49 (UTC)
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- ご返答ありがとうございます。もちろん私の狙いは過去に議論に関わった人達に日本語による慣用かつ正式な名称があるという事に同意し、フォーマットにある正式呼称をウィキペディアの方針に従って日本語による正式呼称であるという事に同意して頂く事にあります。貴方を納得させられる自信のある理論ならWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分#フォーマットの不備において箇条書きにしておきました。どうぞお読みになってご不満な点があればお話しください。Sionnach 2005年12月8日 (木) 13:00 (UTC)
- ご教示ありがとうございます。後刻拝読いたします。ついでの発言ですいませんが、沿海州と沿海地方の分割ありがとうございました。沿海州を最初に立てたころからどうしようかと思っていたのですが、ロシア語に造詣のある方にやって頂けて助かりました。Safkan 2005年12月8日 (木) 13:16 (UTC)
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- いえいえどうも。あのロシア語訳は英語への機械翻訳経由でやったので別にロシア語に造詣はありませんがね。Sionnach 2005年12月8日 (木) 13:34 (UTC)
- ご教示いただいた部分のみで恐縮ですが、ともかく拝読しました。学界で使用されている表現を採るべきである、チベットは学会もチベットという表記をみなしているではないか、というご指摘は全く同感です(私は過去のある議論でDalaibaaturさんに学会でどう表記されているか、きちんと典拠を示してご教示いただくようお願いしましたが、私として完全に得心のいくお答えは得られなかったことがあります)。
- しかし私はこれを「正式名称」ではなく「学界慣用」であると考え、以前から「Wikipediaは百科事典なのだから、どれが日本語における正式名称かで議論をするより前に、学界慣用とみなせるものを選んで採ったほうがよい」と主張しています。またチベットのようにわりと統一されているものはよいのですが、モンゴル語地名におけるホロンボイルとフルンボイルとフルンブイルとのように学界と言っても割れているもの、ホロンボイルとホロンバイルのように別々の領域の学界では別々の表記がとられるものもあり、一概に正式名称の基準とするのに困難があることを指摘しなければなりません。そうした場合の解決策としては、その項目がどの観点から書かれているかを基準に考えればよいというのがかねてから私の考えているところです。前述の例であれば、モンゴル高原の1地域としてであればホロンボイル、現在の中国の自治体としての観点からとるならホロンバイル、でしょうか。
- 次の決め手として持ち出されている当該国政府の呼ぶ日本語名が正式名称であるという説には承服しかねます。なんとなれば、これも学界慣用と同様に、必ずしも定まっている保障はないからです。これに関しては、以前どこかの議論で在日トルコ共和国大使館におけるトルコ語名詞の日本語表記の揺れを例に取り上げたことがあります。しかし、Sionnachさんがチベット族の件で箇条書きされているような「多数派」「報道」「顕在化していない主張」という論点は、チベットのように係争になっている場合に、第二線目の基準として持ち出すのであれば、十分説得力があることは認められると思います。
- 私が知る限り、Sionnachさんがこの箇所でご提示になっている論拠のポイントは、過去にも別の「正式名称」を巡る議論で出てきたように思います。しかし申し訳ありませんが、ここまで贅言を述べましたように、私は過去の一度もそれを「正式名称」というには完全無欠ではないと考えてきました。現段階での考えをまとめますとこういったところです。もし今後、議論の続きをフォローできてかつ私にもコメントできることがあればあちらでコメントします。Safkan 2005年12月8日 (木) 14:20 (UTC)
[編集] フォーマット解釈または訂正へのご協力の御願い。
Wikipedia:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分#記事名および記事中で民族自治行政体を列挙表示する場合のフォーマットにある「正式呼称」をウィキペディアの方針に従って(Wikipedia:外国語の使用は控えめに/Wikipedia:記事名の付け方#日本語を使うこと/#正式な名称を使うこと)「正式呼称」とは日本語による正式呼称または正式呼称かつ日本語で使用される呼称とご解釈(日本語として不自然な組み合わせを避ける事を優先)頂きたいのです。そうでなくともWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分#日本語の正式名称は存在します。で述べました通りDalaibaatur氏が出力結果であると主張したモンゴル族蔵族自治州が偏った政治主張の産物である事を確認して頂きたく存じます。Sionnach 2005年12月17日 (土) 12:51 (UTC)
- こんにちは。半ば前回の繰り返しになりますが、「日本語を使うこと」というルールがあることから「蔵族は学界まで含めて日本語に定着していないので不適切」(学界での「蔵族」の使用程度がどの程度かきちんとご説明いただく必要もありますが)であり、さらに「あえて蔵族を使用することには政治的な意図があるから不適切である」という論理なら成り立ちえると思いますし、根拠を明瞭にしつつその線で詰めていくなら納得できるでしょう。しかし正式名称かどうかといわれると、Sionnachさんの正式名称の根拠が決して完全に客観的とは私には思えませんでしたので、賛成しかねます。ただ根本的には、フォーマットの2-5-4あたりに出てくる「正式名称」の定義が曖昧なのが原因ではないかと思う(「原語を重視しつつ他とのバランスをとって確定する」くらいにぼかせばいいのでは?)ので、それは解決したほうがよいとは認識しました。Safkan 2005年12月18日 (日) 01:39 (UTC)
[編集] 投票を御願いします。
Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分/投票の内容を若干変更しました。フォーマットの文面における「正式呼称」を2-5-2(自称を含む中国における正式呼称とはまったくことなる名称を欧州語もしくは近隣の諸国、民族の言語がつけており、日本語ではその名称を慣用としてとりいれている場合)では「慣用名」に変え、2-5-3(中国音にも原語音にももとづかない、いいかげんなカナ表記が慣用化している場合)では「中国語に基づき出来るだけ常用漢字で転写する」と変更する事に関する是非を問うておりますので、ご参加を御願いします。Sionnach 2005年12月21日 (水) 14:55 (UTC)
- お知らせいただきましてありがとうございます。この連休の間に可能な限り、議論を追いかけなおそうと思いますので少しお待ちください。Safkan 2005年12月23日 (金) 01:04 (UTC)
Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分保護につき、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分/投票に関する決定事項についてにて投票に関する事項を決定します。投票はできなくとも投票開始の是認だけでも是非ご協力お願いいたします。Sionnach 2006年1月2日 (月) 12:39 (UTC)
- すいません、事情を把握しておりませんので「投票開始の是認」というのは何を是認することなのかよくわかりませんでした。ともかく、投票へという動きが起きたことは認識いたしました。Safkan 2006年1月6日 (金) 14:27 (UTC)
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- ノートページ保護まではDalaibaatur氏はフォーマット変更案を「フォーマットの体を成していない」と称して拒否してきました。それが誤認であることを説明しましたし、複数人の賛成を得てきましたが、いつ彼が再び妨害に打って出るかも知れません。投票開始の是認とはそのような動きが起こった場合にコミュニティーの意思が投票を正当たると認証していることを証明するといった意味合いのものです。実際にそれが必要となった際には再び連絡します。Sionnach 2006年1月7日 (土) 04:31 (UTC)
- 了解しました。Safkan 2006年1月12日 (木) 12:32 (UTC)
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- 思ったとおりDalaibaatur氏が投票の妨害工作にうって出てきました。その根拠も投票の内容とは無関係です。この手の人を一人で諌められる自信が無いのでご支援お願いします。Sionnach 2006年1月27日 (金) 00:59 (UTC)
現在投票にが仕切りなおされて開始されております。締め切りは2月11日9時(日本時間)ですのでご注意ください。Sionnach 2006年2月2日 (木) 00:03 (UTC)
- すいません、しばらくこちらを見ていなかったのですが、その間に終わってしまったようですね…。Safkan 2006年3月6日 (月) 14:09 (UTC)
[編集] Wikipedia:執筆コンテスト
こんにちは、突然すいません。ほぼ1年前に行われた、Wikipedia:執筆コンテストの第弐回目を開催しようと思います。協力者(運営委員と審査員)の募集やルール決め等で、ご意見を伺いたく思います。(このメッセージは、前回の執筆コンテストでお名前のあった方に差し上げています)。よろしくお願いします。Yosemite 2006年1月28日 (土) 04:51 (UTC)
- すいません、思いっきり時間が空いてしまいました。もう始まっているみたいですね。遠くから応援させていただきます。Safkan 2006年3月6日 (月) 14:09 (UTC)
[編集] こんにちは
こんにちは/今晩は。お願いがあって参りました。様々な人名記事を書かれておられるようですが、Category:出身別の人名一覧を辿りますと、~人の一覧、ポーランド人の一覧、ユダヤ人の一覧、ハンガリー人の一覧、ウクライナ人の一覧、ロシア人の一覧といった一覧があることがわかります。Safkan さんに、赤リンク部分を埋めていただきたいと思い、依頼にあがりました。執筆依頼・翻訳依頼にも多様な依頼事項がありますので、ぜひご覧ください。よろしければWikipedia:ウィキポータル/ユダヤ教/執筆依頼の執筆・翻訳にもご参加ください(Wikipedia:ウィキプロジェクト/ユダヤ教にサインしてください)。
それでは、体に気をつけて、執筆なさってください。 --Anonym 2006年3月5日 (日) 02:55 (UTC)
- こんにちは。大変恐縮なのですが、私はご指摘の一覧については、リストの体裁がおかしかったり、外国語版へのリンク、横文字への赤リンクが濫用されていたり、カテゴリの体裁が無秩序であったりしたのを修正する若干のお手伝いしただけで、執筆に至るほどの知識はないと自覚しておりますから、ご期待に添えないかと思います。大変申し訳ありません。Safkan 2006年3月6日 (月) 14:09 (UTC)
[編集] ビザンツ帝国史における用語の表記について
こんにちは。じつはノート:東ローマ帝国でビザンツ帝国史における用語表記について問題提起をしたのですが、幅広い視点や専門的な視点からの検討が必要であるように思われます。私自身も問題提起しておきながら、この問題について十分な知見をもちあわせていないため、過去にビザンツ帝国史関連の記事に寄稿されている方にお願いにあがりました。この問題については現在学会での学派的な対立がおこっているというような意見も示されているため、よりよい合意を得るためにも是非議論に参加して率直な意見など聞かせていただければ幸いです。私自身は合意形成を何らかの規則にしようとまでは考えていませんが、ある程度表記にガイドラインを示すことで新規投稿の際の助けになったり、記事同士の調和性が得られたり、あるいは表記問題で編集合戦などに陥った際の調停に一定程度の有効性が得られるのではないかと考えています。もしよろしければ積極的に議論に参加いただければ当方としても大変喜ばしいですし、歴史用語の問題について詳しいウィキペディアンのお知り合いの方なども誘っていただければ、有意義な議論が出来ると思います。ご協力のほどをよろしくお願いいたします。なお、過去にもビザンツ史の用語で同様の議論があって当方の問題提起が蒸し返しであった場合はその旨お知らせください。--Kanbun 2006年3月20日 (月) 08:07 (UTC)
- お知らせありがとうございます。議論を拝見させていただきます。Safkan 2006年3月20日 (月) 15:32 (UTC)
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- お返事ありがとうございます。議論進行が早すぎる・十分な合意形成がされていないなど議論で問題点などありましたら、すぐその旨お知らせください。Wikiペディアンの人たちが概ね納得できる形で合意ができればよいと考えております。--Kanbun 2006年3月21日 (火) 01:34 (UTC)
[編集] Wikipedia:ウィキプロジェクト 東ローマ帝国史の用語表記について
こんにちは。東ローマ帝国史の用語表記について、ノート:東ローマ帝国での議論を踏まえ、Wikipedia:ウィキプロジェクト 東ローマ帝国史の用語表記というプロジェクトを準備中です。もしよろしければ主旨をご理解いただき、不満点などあれば議論に参加して問題提起していただくなど積極的に参加していただければ幸いです。プロジェクトに賛成いただけるようでしたら、参加者の欄に署名していただけると幸いです。なお本プロジェクトは執筆に便宜を提供するもので、規制を促すものではありません。またプロジェクトについて問題点などありましたら、是非お知らせください。--Kanbun 2006年3月24日 (金) 09:45 (UTC)
- お知らせありがとうございます。以前ヨハネス・カンタクゼノスのノートで発言しましたが、この件には参加できるほど定見はない(せいぜい学界等との統一性とウィキペディア内での一貫性が確保されてほしいなあ、と思うくらい)なので、お手伝いする側に回れるかは怪しいですが、参加できることがあれば参加したいと思っております。Safkan 2006年4月1日 (土) 10:27 (UTC)
[編集] 地名の記事が色々あって統一していないことについて
はじめまして。こんにちは。札幌、名古屋の編集方針をめぐって、現在議論が続いています。以前名古屋の記事に書き込んでおられたので、ご意見をお聞きしたいと思い、メッセージを送らせていただきました。興味がありましたらノート:名古屋を見てください。
議論の中味をかいつまんでいいますと、現在、ひとつの地名に対して、いろいろなタイトルの記事があり、それが地名ごとでバラつきがあって、それによる混乱が生じているため、この際統一した基準を作るべきではないか、というようなことです。
井戸端でも議論への参加を呼びかけております。是非Safkanさんのご意見をいただけたらと思います。なにとぞよろしくお願いします。Handle 2006年5月1日 (月) 07:55 (UTC)
- お知らせいただきありがとうございました。ノート:名古屋にコメントしました。(こちらでの返事が遅れまして失礼しました。)Safkan 2006年5月5日 (金) 12:04 (UTC)
[編集] チベット/西蔵自治区の参考資料
(この件はノート:西蔵地方に転記し、この件に関するコメントもそちらに書きましたのでここでは割愛します。Safkan 2006年5月5日 (金) 12:04 (UTC))
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- 「チベット/西蔵自治区」の記事については、記事名と記事の文面に関する合意にしたがい、よい記事が完成されることを心待ちにしています。西蔵地方は、Safkan氏のお役にたつかどうかはわかりませんが、その参考資料としてまとめたものです。--Dalaibaatur 2006年5月26日 (金) 14:02 (UTC)
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- 整理の件は、整理しなければならない課題が多いので宿題としております。申し訳ありません。
- また、西蔵地方は参考資料としてまとめたとのことですが、単なる執筆用の参考なのでしたら必ずしもWikipediaの一項目として起こす必要はないと思いますが、いかがでしょうか。項目を起こす基準は参考になるかどうかではなく、百科事典の項目として分かれていることに必然があるかどうかで決められるべきかと考えます。私の作業の役に立つように、というご意向でしたら、「西蔵地方」等で論じられているような内容の論拠、典拠となるような日本語あるいは英語の文献(単行書、雑誌論文、新聞記事などいずれでも結構です)を提示していただけると、大いに参考にできますし、大変ありがたく存じます。
- なお、上述の意見はノート:西蔵地方等、統合に関して交わされた議論を踏まえてのものではなく、上の2006年5月26日 (金) 14:02 (UTC)のDalaibaaturさんのご意見のみを拝見してのものであることをお断りします。Safkan 2006年5月26日 (金) 14:39 (UTC)
- 「チベット自治区」の項、取り組みを続けておられる由、うれしく思います。期待しております。上記で「ご参考に」と紹介しました一文については、早速ご批判をいただいたとおり、どう考えても「西蔵地方という用語の用法の記事」の中には収まりきれない記述がおおかったので、主要部をその内容に相応しい記事名の「チベットの領域に関する認識と主張」という項目に移動いたしました。もとは「チベット自治区」の記事として執筆したものですが、これでようやく名実の一致した場所に落ち着く事ができたかと考えています。「典拠となる文献」については、順次充実させてゆきますので、ときおりのぞいていただければ、と思います。--Dalaibaatur 2006年6月9日 (金) 07:21 (UTC)
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- お待たせしてすいません。Safkan 2006年6月11日 (日) 14:04 (UTC)
[編集] はじめまして
ボルジギン氏の記事を初稿投稿者のsuifuと申します。Safkan様のおかげを持ちまして、ボルジギン氏の記事が読みやすいものとなることができたと思います。特に、系図を画像にして頂いたあたり、或いは現代のボルジギン氏の動静まで深く書いて頂いたあたりは、極めて秀逸であり、驚き入りました。もし、ご迷惑でなければ、これを機にwiki上でのお付き合いをさせて頂ければ幸いです。--Suifu 2006年5月22日 (月) 03:01 (UTC)
- こんにちは、はじめまして。ご丁寧にご挨拶をいただきまして恐縮です。私は主に歴史関係でふらふらと書き散らしておりますので、今後ともWikipedia上でお顔を合わせることも少なからずあろうと思います。こちらこそ、よろしくお願いします。Safkan 2006年5月22日 (月) 14:06 (UTC)
[編集] バグダード論争
ノート:バグダードで第4次くらい?の原音論争ひきおこしつつあるかもしれません。私としては音の好みからいっても断然バグダードであるべきだとは思いますが、長々とした議論をするつもりはなく、みんながそういうなら別にバグダッドでもいいや、くらいのスタンスです。とりあえずこういう議論が勃発したとのお知らせまで。--Kotoito 2006年5月27日 (土) 16:46 (UTC)
- お知らせありがとうございます。だいたい僕の言えることはすでにご指摘いただいているようですし、僕個人としてもカーブルをカブールで容認したこともありますので、ほぼKotoitoさんと同じスタンスです。ですので、少し様子を見ますね。Safkan 2006年5月27日 (土) 17:52 (UTC)
[編集] キプチャク草原
Hi,
Please notice the discussion at ノート:キプチャク草原. Thanks! --アミル エ。 アハロニ 2006年6月4日 (日) 13:19 (UTC)
- Thank you for your suggestion. I'll write back ノート:キプチャク草原. Safkan 2006年6月4日 (日) 15:11 (UTC)
[編集] アントン
はじめまして。アントン (ザクセン王)の記事を書いたところ、IPユーザーによってアントンがそこへのリダイレクトとして作成されました。流石にこれはまずかろうと思いましてとりあえず強引に曖昧さ回避へとしましたが、リンク元であるモンゴル人がさっぱりわからず困っております。そこでアントンへのリンク元を多数お書きになっているSafkan様に一筆お願いしたくお伺いした次第です。曖昧さ回避に一文追加して赤リンクを作るだけで結構ですので修正していただけませんでしょうか。なお、有名度に大きな差があるようでしたら現在の[[アントン]]は[[アントン (曖昧さ回避)]]へ移動するなり白紙改稿するなりして下さっても構いません。不躾なお願いですが、なにとぞお願いいたします。--粗製濫造 2006年6月8日 (木) 08:38 (UTC)
- お知らせありがとうございます。モンゴル人のアントンは元の中書右丞相ですが、さほど有名な人物とも思えません。たぶん、「アントン」と聞いたら元のアントンのことしかありえない、と思う人はそれほどいないのでは。カタカナ表記も「アントム」と書いてあるものもありますし。そういう程度の人物なのにアントンのリンクをつくってまわったのは、ドイツ人名でラテン語の「アントニウス」が「アントン」になることを失念したミスです。むしろリンク元を直しておきましょう。Safkan 2006年6月8日 (木) 12:05 (UTC)
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- 修正ありがとうございました。--粗製濫造 2006年6月9日 (金) 03:39 (UTC)
[編集] 管理者立候補依頼
こんにちは。KMTです。Safkan様にお願いがあります。管理者に立候補して頂けないでしょうか?未処理案件の増加に現状の管理者の人数では対応できません。もう無理です。どうかご検討頂けますよう、宜しくお願い申し上げます。KMT 2006年6月17日 (土) 12:25 (UTC)
- 僕には、もうずいぶん前かもしれませんが、辞退歴がありまして、その時の考えはいまも変わってはいないところではありますが…。当時よりいまのほうが忙しくなってウィキペディアに頭が回らなくなっている上、懸案も抱えておりますので、お請けするには躊躇する次第です。Safkan 2006年6月17日 (土) 12:32 (UTC)
ありがとうございます。お忙しい中依頼をしてしまい申し訳ありません。ただ、別に毎日管理行為を行うような無茶なことを求めているわけではないです。どうかよろしくお願いします。KMT 2006年6月19日 (月) 09:09 (UTC)
- そういうわけにもいかないと思いますけどね…。ともかく、とりあえず今回は先送りさせていただければと思います。せっかくのお申し出を申し訳ありませんでした。Safkan 2006年6月28日 (水) 14:13 (UTC)
[編集] 修正の連絡
こんにちわ。ここでお尋ね/連絡する件ではないかも知れませんが、お知らせいたします。 貴殿が2003年10月11日に情報追記した榎本武揚のページ内情報を一部改定させていただきました。それは、名前の件です。元々「武揚」は「釜次郎」が本名であり、晩年に使用していた「武揚」の方が言ってみれば”通称”となります。「武揚」は元服の儀を執り行っておらず、このため「釜次郎」が本名となります。それは、釜次郎の私信では”釜次郎”を付していた事、近親者からの手紙はすべからく”釜次郎”であったことからもわかります。 何故このような件でご連絡したかと申しますと、つい最近、榎本の調査を行っていた海外の日本人学校のグループ(女生徒3人/現地校の11年生との事)が発表した内容に”通称「釜次郎」”の表記があったため問い合わせたところ、当ページに書いてある旨の情報を得ました。※その件で何度かやり取りしたところ、”通称”について教師を交えて議論した模様です。結果は、『個人の意見よりWebで万人に公開されいる「公共」の情報の方が信憑性が高い』と結論した模様です。 「ちょっとしたこと」に見えることでも、教育資料として使用される可能性がある文章は、細部にまで気を配らなければならないことを教えてくれた一件でした。このことからも、なるべく正確に記載するのが「辞書」の役目と思い連絡したしだいです。
- 横槍失礼します。早速本題ですが、江戸時代の一定以上の身分の人物は、名前の構成要素として必ず「通称(例:藤吉郎)」「諱(例:秀吉)」を同時に持つものですが、榎本釜次郎(釜次郎は通称です、諱であることはありえません)は幕臣という地位にありながら諱を持っていなかったのでしょうか?お答えください。Safkanさんのノートを汚すのもなんなので、この先はノート:榎本武揚でやりましょう。Aboshi 2006年7月3日 (月) 14:04 (UTC)
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- ご連絡ありがとうございました。私も正確に理解しているわけではないですが、ご疑念につきお答えいたします。実は、当該の箇所にいう「通称」は江戸時代以前の武士の人名の構成要素のうち、姓(氏)でも苗字でも官名でも諱でも号でもない部分のことを指します。歴史学の叙述では、日常的に呼ばれていたかどうかに関係なく、姓(氏)でも苗字でも官名でも諱でも号でもない人名の構成要素のことをしばしば「通称」と呼称しております。
- つまり、ご困惑はごもっともかと思いますが、そもそも現在の通念でいう「通称」と、前近代の人名を指す歴史用語上の「通称」は少々意味あいが異なるのです。ちょうどいま、私の手元には数年前に山川出版社から刊行された日本史事典がありますが、「榎本武揚」の項目には「通称釜次郎、号は梁川」とございます。当然ではありますが、このようにWEB上の情報とて紙媒体の事典類の情報をベースにしておりますし、教育資料として使用される可能性がある文章であれば尚更、教育(調べ学習)で第一に参照されるべき紙媒体の歴史事典で用いられる用語に忠実であるべきではないでしょうか。
- 従いまして、「通称釜次郎」というのは私としては誤りとは思えませんし、誤りをご指摘いただく際には、反証として「釜次郎」を「通称」としない歴史学の叙述、歴史事典をご提示いただくべきと考えます。また、「通称」という歴史用語自体に問題があるとお考えでしたら、出版社あるいは歴史学関係の諸団体等にご抗議なさることをお勧めします。
- なお、関連してAboshiさんが「幕臣という地位にありながら諱を持っていなかったのでしょうか」とご質問なさっていますが、武揚くらい下級の幕臣ですと、私の知る限りでは、元服に関係なく通称は幼名のままだったり、諱はつけなかったりすることは普通だったようでして、ある程度出世するまで諱を付けていなかったとしても不自然ではないと思います。
- 加えて、本件に関する私の解釈を申し添えますと、ご指摘の通り、諱は上級の武士であれば元服の際につける公式の名前ではありますが、諱がある人でも日常的には「通称」や官名を用い、諱では呼びませんので、武揚が仮に武揚という諱を早くにつけていてその上で武揚の諱を自署を含めて日常に使っていなかったとしても、歴史学の叙述ではやはり釜次郎は「通称」ということになろうと思います。加えて、特に家族や友人と取り交わされる私的文書では格式ばった「諱」はあまり使用しないだろうと推測できることも指摘できるでしょう。釈迦に説法をしてしまったのではないかと怖れますが、ともかくお答えになりましたでしょうか。Safkan 2006年7月3日 (月) 18:35 (UTC)
- ご教示ありがとうございます。なるほど、それくらいのタイミングでつけるっていうのが自然な気がします。記述を移されるのは構いません。こちらでお答えしたのは、こちらに書いたほうが目に止めていただきやすいと考えたためで、他意はありませんので。Safkan 2006年7月4日 (火) 13:52 (UTC)
最初のトンデモカンチガイについて書き起こした本人です。皆様方の知見を得、自分の間違いに納得いたしました。大変申し訳ございませんでした。本件の発端は若いころに教示されたご老人にあります。この方は武揚に従った武士の孫との事で、その方が祖父から聞いた話として教示していただいた昔話の一部として記憶していました。(この中には、武揚が公的賭博場を開設したこと、ショバ代とアガリを取っていたこと、等から”武揚”をブヨに掛けて「ブヨウ」と呼ばれていたこと、等が記憶に残っております。)しかし、記憶はあてにはなりません。うかつであったこと深くお詫び申し上げます。
- 了としていただけたのでしたら幸いです。また、一部繰り返しになりますが、その方のご教示における事実内容が「武揚は日常的には『釜次郎』と呼ばれていた」ということでしたら、それはおそらく間違いのない事実であって、記憶があてにならないわけではないでしょう。ただ、その事実に苗字と名前は必ずひとつづつであり、通称といえば本名でない名前のことを指す現代の人名の常識をあてはめ、「日常的に釜次郎と呼ばれていたのだから釜次郎が本名である」あるいは「元服をしていないから武揚という名前に改名していない」と解釈されて記憶されていたのであれば、これは江戸時代の人名慣行として我々の理解しているものに反すると思われます。Safkan 2006年7月8日 (土) 17:47 (UTC)
[編集] Hello/Selam
I was wondering if you could assist in improving En:Turkey into featured status. --Cool CatTalk|@ 2006年7月28日 (金) 23:38 (UTC)
Thank you for your encouragement. But I'm not confident of improving an article into featured status in my English skill. I'm sorry, but I can't assist you. Safkan 2006年7月30日 (日) 05:55 (UTC)
[編集] バーンスター
ボルジギン氏、チンギス統原理における記事の補筆、まことに感謝申し上げます。ここに、元祖、編集者、勤労、刻苦勤勉、歴史の各バーンスターをお贈りしたいと思います。宜しければ、表に移動頂ければ幸いです(一度の受賞経験もないのに、贈るのはおこがましいかもしれませんが)。--Suifu 2006年9月14日 (木) 15:20 (UTC)
- 過分のお言葉をかけていただいて恐縮です。バーンスターがどういうものなのか実はよく理解していなかったりしたのですが、前にもいただいたことがありまして、利用者:Safkan/画像・頂きものというところに入れています。今回もそこに移動させていただきますので、ご了解ください。Safkan 2006年9月15日 (金) 11:41 (UTC)
suifu改めて海衛士と申します。歴史関連のバーンスターが歴史関連の記事を対象とする歴史バーンスターと神話関連の記事を対象とする記紀バーンスター、考古学関連の記事を対象とする遺跡バーンスターの3つとなったのに伴い、歴史バーンスターに差し替えさせて頂きました。ご了承下されば幸いです。--海衛士 2006年10月15日 (日) 09:37 (UTC)
- 前回移したのと同じ位置に置いていただいたようで、ありがとうございます。Safkan 2006年10月17日 (火) 16:12 (UTC)
[編集] イェスゲイとバガトルについて
バガトルが不正確とはいえないようですが、バートルの使用頻度。現在のモンゴルの首都名を見ていると、音としてはバートルの方がよさそうですね。 それから、イェスゲイについては、ハン位についていないとはいえ、彼もまた君主。ゆえにバートルの称号を改めてつけたいというのが今の心境です。 称号だからつけるけないという議論はありますが、チンギス・ハーン以降はついているので、問題ではないと思います。特に、称号は役職と異なり、人名に溶け込む要素がある。それを考えると、イェスゲイ・バートルかなという感じがします。--Suifu 2006年9月23日 (土) 15:52 (UTC)
- ご意見承りました。バアトルの称号について研究文献をきちんとフォローしておりませんので、感想をもってお答えすることをお許しください。
- そもそもの疑問になってしまうのですが、イェスゲイにとってのバアトルというのは君主の称号なんでしょうか? 私は、チラウン・バアトルとかスベエデイ・バアトルとかのバアトルと同じようなものだと思っておりました。イェスゲイは遊牧貴族ではありますが、元朝秘史などを見ていて、ハン以外の遊牧貴族の称号保持者に「即位」という概念はなかったのではないかという感じを持っています。本当のところはどうなんでしょうか。
- 一方、君主の称号であるかどうかは別として、人名として称号込みで呼称されることが一般的な場合、称号込みで項目名を立てることは妥当であると思います。しかしながら、元史の太祖本紀を見てみますと、元朝秘史のカブル・カハンが「葛不律寒」と「カン」の称号込みで記されている一方、元朝秘史のトンビナイ・セチェン、バルタン・バアトル、イェスゲイ・バアトルはそれぞれ「敦必乃」「八哩丹」「也速該」と記されております。おそらく、セチェンだのバアトルだのというのは、少なくとも元史もしくはその元になった資料をまとめた人たちにとっては、名と不可分の人名の一部とはみなされていなかったのではないでしょうか。
- なお、現代モンゴル語は発音が中世モンゴル語とは違うので、それが参考にできるかというと少し疑問は感じます。釈迦に説法であれば恐縮なのですが、首都の名前はハルハ・モンゴル語ではオラーンバータルというそうで、ウランバートルというのはその外国語表記です。バガトルは現代語ではバータルになってしまっているようです。Safkan 2006年9月23日 (土) 16:24 (UTC)
suifu改め海衛士と申します。そうですか、ご返答を受けてもう少し熟考したく存じます。とてもお詳しいので今後ともご指導ご鞭撻賜ることが適いましたら幸いです。格別、すぐに移行のために動き出すこともございませんので、ご指摘された点も含めて検討したく存じます。--海衛士 2006年10月15日 (日) 09:40 (UTC)
[編集] ノート・イスラムでの議論について
どうも、はじめまして。Tantalと申します。イスラムのノートでの議論をよまさせていただきました。私なりの回答を記載しておきましたので、ぜひ、ご覧になってください。 また、Wikipedia:ウィキプロジェクト イスラーム(準備中)の発起人でもありますので、イスラームに対して、見解をお持ちのSafkan様も、ぜひ、参加していただければ幸いです。あと、参加者2人で、立ち上げが可能なところまで来ていますので、ぜひ、ご検討していただければ幸いです--Tantal 2006年11月8日 (水) 12:38 (UTC)。
- お知らせくださりありがとうございます。私はウィキペディア日本語版で3年くらい前からイスラーム関係の項に関わっていたもので、宗教から社会、文化、歴史まで包括的に取り扱ったイスラーム・ポータルの必要性はだいぶ以前から感じておりまして、そこでプロジェクトを実際に作っていただいた方がいらっしゃったことは認識していましたが、まだきちんと見に行っていませんでした。申し訳ないです。のちほど、きちんと拝見いたします。Safkan 2006年11月10日 (金) 14:22 (UTC)
- 参加者に登録しました。今後ともよろしくお願いします。Safkan 2006年11月28日 (火) 10:51 (UTC)
[編集] エセン・ハーンについて
Safkan 様、はじめましてWushiです。履歴で、エセン・ハーンの訳の変更(途中稿)を拝見しました。英語版ではタイシやチンギス統原理も内容に近いことがあったことは知っております。私の中国語版・英語版の誤訳、意訳があると思いますので、どしどし修正・加筆の程、宜しくお願いいたします。--Wushi 2007年2月5日 (月) 15:22 (UTC)
- はじめまして。このたびは履歴をちらかしてしまい大変申し訳ありませんでした。私見ですが、日本の元・明代モンゴル史研究は大変進んでおりますので、英語版から訳す際もその筋の概説書を参考にされるとよいかと思います。(ずいぶん前ですが、私もそうやってチンギス・ハーンの項を訳しました。)今回私は参照しておりませんが、中国史の概説書では山川の世界歴史大系の中国史がかなり分量があって参考になったと記憶しています。あと、やはりモンゴルの人物なので、中国語版の視点そのままを持ってくるのは、あまりよろしくないかと考え、手を入れさせていただきました。いかがでしょうか。ところで、Wushiさんのユーザーページを拝見して気付きましたが、ガルダンもまだ項目が立ってないんですねえ…。Safkan 2007年2月5日 (月) 15:39 (UTC)
- Safkan様、再投稿拝読しました。私のこなれていない日本語訳よりもずいぶんすっきりしている感じがします(結構、英文版エセン・ハーンは文章が回りくどい印象を得ました)。私の専門はどちらかというと現代中国経済及び歴史ですのでその辺りは中国語や英語の論文はかつて読んでいましたので知っております。ただ、ずっと赤リンクも如何なものか少し門外漢かなという気がしましたが、エセン・ハーンの翻訳をいたしました。一先ず本日の新着記事はSafkan様の要約に変更しました。尚、明朝は高校世界史で習う、土木の変(これは今週末にでも訳そうかと思っていますので、登録後のご協力お願いします)、魚鱗図冊や賦役黄冊も赤リンクですので折を見てお願いします。(参考までにPortal歴史もご覧下さい)--Wushi 2007年2月5日 (月) 16:14 (UTC)
- おっしゃるとおり、高校世界史レベルの用語でもまだ手薄なのは困ったものですね…。ただ私のもともとの関心は前近代の政治史ではありますが、もっと西のほうなので、中国史はそれほど…。土木の変は、これから拝見します。Safkan 2007年2月10日 (土) 03:12 (UTC)
- ご丁寧にありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。英語版は、さっと見た感じでは土木の変に関する情報量がEsen Tayisiの項のほうが詳しいみたいですね。土木の変には、エセン・ハーンから明側の事情に関するこまごました記述を移したほうがよいかもしれません。Safkan 2007年2月10日 (土) 14:52 (UTC)
- 確かにこの二部作を訳してみて、エセン・ハーンと土木の変の記述のバランスは難しかったです(英語版も中国語版もそんな感じは否めません)。しかし、土木の変では明軍の動きを重点的に盛り込みたかったので、エセン・ハーンのところでは詳細は土木の変参照の記述を盛り込みました。一方、土木の変に背景を詰め込みすぎないでいいように背景はエセン・ハーンに盛り込む形式にしました。しかし背景の重複は仕方ないでしょうが、現行の感じでいいのではないかと思っています。(エセン・ハーンはこの事件のみで有史に名を残している感じもありますから。)ともあれ投稿してすぐに新着記事に選出されたのは偏に拙い和訳を加筆・修正してくださったSafkan様のおかげです。ともあれこの二部作に付きあいくださり有難うございました。今後とも宜しくお願い致します。--Wushi 2007年2月10日 (土) 15:24 (UTC)
- バランスについてはご意見を尊重しますが、
- >エセン・ハーンはこの事件のみで有史に名を残している感じ
- ということはいくらなんでもないと思いますよ? 中国史の視点、および日本の世界史教育レベルからならともかく、中央ユーラシア史の文脈からは。トゴンとエセンの父子はオイラトの覇権を築いてモンゴル帝国以来の他の有力部族を駆逐しましたし、エセンはチンギス統原理を破ってハーンに即位し、しかも当時モンゴル高原にいたチンギス・ハーンの男系子孫をほとんど皆殺しにしました。エセンが死んでからダヤン・ハーンが再統一するまでの50年くらいの間に、モンゴル高原では遊牧集団の大規模な再編成が起こり、貴族の家系も様変わりするので、エセンが歴史に残したインパクトは相当大きいと思います。正直、土木の変に偏重した評価はいかがなものかと思いますが…。Safkan 2007年2月10日 (土) 15:39 (UTC)
- 言われてみると確かにSafkanさんの言うとおりですね。エセン・ハーンはこの事件のみで有史に名を残している感じという文言は取り消させていただきます。モンゴル史・中央アジア史の書物を読んでもう少し多角的に見てみようと思います(中国史の本ばかり読んでいるので少し偏りがちなので反省しきりです)。--Wushi 2007年2月10日 (土) 17:47 (UTC)
[編集] おしらせ
Portal:イスラームを作成しました。とはいえ、ドラフト段階ですので、何をどう加えていくか、いろいろとご助言してください。ガッツさんがメインデザイナーとして、今回はご協力いただきました。--Tantal 2007年2月17日 (土) 05:26 (UTC)
- ご連絡ありがとうございます。拝見します。Safkan 2007年2月17日 (土) 10:22 (UTC)
- どうも、ご無沙汰してます。Tantalです。
- Portal:イスラームがある程度の形を整えたので、ぜひ、ご覧になってくださいませ。
- 唯一の悩みは、話題をどうしましょうということです。
- また、それ以外のアイデアや執筆依頼もどしどし、追加してください。--Tantal 2007年3月26日 (月) 13:11 (UTC)
[編集] 秀逸な記事の再選考/イラク
はじめまして。Wikipedia:秀逸な記事の再選考/イラクでは、現在、内容を充実させるための議論が進んでおります。特に政治、経済、国民の節に加筆ができないかと考えております。参考文献について、もしもれているものがあれば追記していただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。58.159.184.171 2007年2月18日 (日) 09:06 (UTC)
- こんにちは。参考文献というと、単に記事の対象をより詳しく理解するための文献案内というだけではなくて、記事の内容の典拠を示すべきかと思いますが、なにぶん当項目はWikipediaでも典拠を詳らかにする習慣があまり見られなかったかなり以前に基礎がつくられたものなので、今となっては詳らかにし難いところもありますね…。では、私が編集に参加したときに参考にしたものを加えるくらいでよろしければ、書き込みます。Safkan 2007年2月20日 (火) 13:48 (UTC)
ありがとうございます。参考文献の加筆を拝見しました。山川の新版世界各国史8は早速目を通してみます。初版から履歴を追ってみましたが、イラクには長らく規模の大きな加筆がなく、記述がいくぶん沈滞していたようです。今回の再選考でよりよい記事になれば、と考えております。58.159.184.171 2007年2月20日 (火) 15:36 (UTC)