U.S.M1カービン
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U.S.M1カービン(U.S.M1 Carbine)は1941年にアメリカで開発された半自動小銃である。
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[編集] 開発経緯
1938年頃、アメリカ陸軍では主に飛行場、前線基地や占領地の警備などを主とする後方部隊用の警備用銃としては拳銃のほかに小銃が使用されていたが、小銃では重く取り回しが容易ではないこと、拳銃も射程距離が短かく、威力が低く役に立たなかった。 そこでアメリカ陸軍では警備用火器、また下士官用の強力な自衛用火器として、長時間持ち歩いても疲れない、出来るだけ軽い小銃と短機関銃の中間に位置する銃の開発を1938年頃から銃器メーカー数社に対し、試作銃の作成と提出を依頼していた。
研究は1938年から開始され、ナチス・ドイツがフランスに進攻した1940年代に入ると各社での開発は急ピッチで進められることとなった。そして1941年5月に第1回目の銃選考が開始、銃本体をジョン・C・ガーランドが設計した試作銃が注目を集め、使用弾薬に関してもウィンチェスター社が独自に作成した拳銃弾を拡大させリボルバー用実包を長くした「.30カービン弾」がそれぞれ注目を集めた。
[編集] U.S.M1カービンの登場
ウィンチェスター社も8月にジョナサン・E・ブローニング(ジョン・ブローニングの兄弟)により作られた設計図を元にデビッド・M・ウィリアムズが変更を加えた試作銃を陸軍に提供、その1ヶ月後にさらに改良を加えた試作銃を9月にも提出した。そして第2回目の銃選考会で優秀な成績を残し、1941年10月22日に制式名称「U.S.M1 Carbine」で制式採用され、その後M1カービンの名称で量産されることとなった。
特徴として機関部はM1ガーランドと同じく自動装填方式であるガス圧式・ロータリーボルトが採用され、開発当初のM1カービンはフルオート射撃が可能であった。しかし全長が短いためフルオート射撃の場合、射撃時の反動が激しいことから量産タイプにはフルオート機構は廃止され、セミ・オートマーチック射撃(半自動)のみとなっている。その分軽く取り扱いが容易なM1カービンは後方支援用火器とではなく、前線の下士官などでも愛用され、その他にも折りたたみ式ワイヤー式銃床を装着し、機関部を発展させたM1A1カービンは空挺部隊やオートバイ兵に対しても支給されている。その他にも銃床に弾倉入れが装着可能で生産に関してもウィンチェスター社以外にも数社で行われ、全シリーズを通して最終的に約600万丁ほど生産された。
小型軽量な本銃はその取り回しの良さもあって、米兵はもとより、この銃の支給を受けた同盟国の兵士にもにも好評で、さらに本銃を捕獲し使用した敵国の兵にも人気があった。とくに小柄な体格の者が多いアジア(日本・ベトナム)の兵士は捕獲した本銃を好んで使用した。
本銃の欠点として弾の威力不足が良く指摘されるが、元々後方部隊用の銃であり、小銃弾と比較し威力が低い事をもって本銃を低く評価する事は不当といえる。また7.62mm×33弾は一定距離内であれば十分な殺傷力があり、拳銃弾を使用するサブマシンガンよりもはるかに強力である。
PDW系の武器の元祖とも言える銃であり、その存在には大きな意味がある。
[編集] バリエーション
- U.S.M1カービン
- U.S.M1カービンの初期型タイプ。半自動式短小銃で大量に生産され、下士官及び後方部隊などへ配備された
- U.S.M1A1カービン
- U.S.M1カービンに折り畳み式ワイヤー式銃床を取り付け、拳銃用のグリップを備えたもの。主に空挺部隊向けに供給されている。
- U.S.M2カービン
- U.S.M1カービンにフルオート射撃能力を装着させたモデル。
- U.S.M3カービン
- U.S.M2カービンに夜間暗視装置を装着させたもの。実験用に僅かに試作されたが制式採用にはならなかった。別名:T3
[編集] その後
その後、ウィンチェスター社はU.S.M1カービンにフルオート機能を持たせたM2カービンを、そのM2に赤外線暗視装置などを装着させ夜戦仕様に改良したM3カービンをそれぞれ開発している。しかし第二次世界大戦後期であったためかは殆ど使用されなかったほか、後に起こった朝鮮戦争でも防弾が施された敵兵戦闘服に対しU.S.M1カービン・シリーズは威力不足が目立つようになり低温下での機関部不具合が多発、さらに突撃銃(アサルトライフル)の進出も重なり1964年に生産が停止、順次陸軍からは現役を退くこととなった。その後余剰となったM1・M2カービンはその後アメリカの友好国に供与されている。またアメリカ国内ではその後も民間用に限り生産が続けられ、日本国内でも豊和工業が自衛隊向けにM1カービンをライセンス生産を行っている。
余談であるがM1カービン銃の設計者の一人であるデビッド・M・ウィリアムズは当時ノースカロライナ州の刑務所に殺人容疑で服役中であった。このときデビットは獄中で秘密裏にカービン銃の設計を行い、のちに刑務所所長の許可を得てカービン銃の試作から試射まで行っている。そのためデビットは「刑務所でM1カービンを作った男、カービン・ウィリアムズ」と新聞メディアに取り上げられ、後にこの事が話題になり、ウィリアムズは再審で無罪を勝ち取り釈放されている。ウィリアムズはその後ウィンチェスター社に入社し、M1カービン銃の開発に関わっていく。
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