いすゞ・ベレル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いすゞ・ベレル | |
---|---|
製造期間 | 1962年 - 1967年 |
ボディタイプ | 4ドアセダン 5ドアライトバン(エキスプレス) |
以下のデータは | 前期型 ()は後期型の数値 |
乗員 | 6名 |
全長 | 4485 ㎜(4470 ㎜) |
車幅 | 1690 ㎜ |
車高 | 1500 ㎜(1515 ㎜) |
ホイールベース | 2530 ㎜ |
車両重量 | 1190 kg(1295 kg) |
路上最高速度 | 136km/h(145km/h) |
エンジン出力 | 85ps/4600rpm(95ps/4600rpm) |
燃料搭載量 | 47L |
後継 | いすゞ・フローリアン |
同クラスの車種 | トヨタ・クラウン 日産・セドリック 日産・グロリア 日産・スカイライン |
この表は自動車のスペック表テンプレートを使用しています |
ベレル(BELLEL)は、いすゞ自動車が1962年から1967年まで製造していた乗用車である。
目次 |
[編集] 概要
いすゞ初の自主開発乗用車として発売された。トヨタ・クラウンや日産・セドリック、プリンス・グロリアを意識したクラス設定の中型セダンである。
日本の量販型ディーゼル乗用車の草分けで、1963年には日本機械学会賞を受賞している。形式名はPA10(ディーゼルモデルはPAD10)。
ベレルの車型は、大別すると初期型と後期型にわけられるが、デザインの基調が明確でなかったことや、後発メーカーゆえの販売力の弱さもあいまって、自家用車としては他メーカーにおける同クラスの車種のような人気は得られなかった。他方、ディーゼルエンジン車は経済性が注目されたため タクシーなど業務用としての需要があり、セールスのほとんどをディーゼルモデルが占めた。ただし、この頃のディーゼル乗用車は騒音と振動が激しかったため、運転手からは「按摩タクシー」と揶揄されて不評を買った。またタクシー業界ではディーゼル車に代わってLPG車が普及したため、タクシー車としての需要も低迷していった。
フローリアンを後継車種として、ベレルの生産は1967年5月に打ち切られた。エキスプレスライトバンモデルを含む総生産台数は37,206台であった。
[編集] 車名の由来
「鈴」を示す英語「BELL」と、ローマ数字で50を意味するEL=Lを組み合わせた造語である。鈴+五十で五十鈴=いすゞを意味する。
[編集] 機構
駆動方式はFR。エンジンは1600ccと2000ccOHVガソリンエンジンおよびエルフ用エンジンを用いた2000ccディーゼルエンジン。1962年11月発表の2000ccガソリンエンジン車であるスペシャルデラックスでは、国産乗用車としては初のツインキャブエンジンを搭載した。 サスペンションはヒルマン・ミンクスを踏襲し、前輪ダブルウィッシュボーン、後輪半楕円リーフ型の固定であるが、前輪サスペンションは、ウィッシュボーンをクロスバーに取り付ける方式であったため、タクシーのような過酷な使用条件下では変形・亀裂が多発したという。ステアリングはボール式で、変速機構は1速目にシンクロメッシュ機構をもたない3速MTであった。
[編集] 歴史
[編集] 初期型
1962年4月発売時のオリジナルデザインは、直線基調のサイドラインを持つ欧州調で、三角形のテールランプが特徴であった。しかしフロントのサイドウインドウがリアと比較して極端に小さいなどバランスの悪さが目立ち、鈍重なイメージをもたれた。機構面でも初期不良が多発し、1963年まで絶えず手直しが繰り返されたため、不評につながった。
[編集] 後期型
1965年10月にフェイスリフトを受け、前期型の特徴であった三角形テールランプを廃止し、フロントマスクも縦型デュアルヘッドライトに変更となる。また、ギアボックスは3速フルシンクロに変更となった。しかしバランスの悪いデザインは全く改善されなかった。いすゞは宣伝コピーにおいて「さらに気高く、さらに豪華に」との意気込みを示したが、「中国車や東欧車に近似した野暮ったい感じを受ける」という見方もあり、販売の増加にはつながらなかった。