トヨタ・クラウン
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クラウン(CROWN)は、トヨタ自動車が生産する大型の高級乗用車で、国産車の代表車種のひとつ。LPG仕様のクラウンがタクシーとして大量に導入されている。 トヨタが想定している競合車種は、国産では日産のセドリック・グロリア(※2004年10月14日より事実上の後継車種である日産・フーガが登場した)、V35型以降のスカイラインと、ホンダのレジェンドなどであるが、最大のライバルは、クラウン・アスリートと同様エンジンを積み価格差も小さなレクサス・ISともいえる。 輸入車では、実際の価格帯的にはフォルクスワーゲン・パサート、ジャガー・Xタイプなどが相当するものの、メルセデス・ベンツ Cクラス、BMW・3シリーズ、アウディ・A4等を標的とする。現在では、レクサスが国内販売された経緯もあり、トヨタブランドの最上級車種セルシオもレクサスに移項したことにより、実質トップとして君臨するが、上級のマジェスタ、スポーティなアスリートに比較して、もっともオーソドックスなロイヤルシリーズは2500ccモデルが1セグメント下位のマークXのと価格帯も被ることからすこし中途半端な位置になっている。
[編集] 概要
昭和30年の発売以来、モデルチェンジを繰り返し、現在のモデルは12代目となる。公用車や企業の社長車、タクシー、ハイヤー、指定自動車教習所の教習車などにも多く使われている。名前は「王冠」の意味であり、初代から現行型までフロントグリルのエンブレムにも使用されている。
車体形状はセダン、ステーションワゴンがあり、セダンが主流である。従来の主流モデルは、ボディスタイルを優先してドアの窓枠を省略した4ドアピラードハードトップタイプのセダンであったが、先代の170系から、乗降性や静粛性の改善のため窓枠を持つ一般的なセダンとなった。ステーションワゴンはクラウンエステートとして170系が継続生産されている。セダンには、マークII80系をベースに車体を5ナンバーサイズ及び中型タクシーの枠内に納め、耐久性やランニングコストを重視したクラウンコンフォート、さらにこれをベースに装備及び内外装を充実化したクラウンセダンというモデルがある。前者はタクシーなどの営業車専用モデル、後者は一般ユーザー向けモデルとしても市販されているものの、主に公用車や個人タクシー向けである。
かつて「いつかはクラウン」のキャッチコピーに代表されるように高級車としての認識を持たせることに成功した。また、信頼性や耐久性の高さから、タクシー・ハイヤー、教習車、パトカー等の業務用車両や社用車として使われることが多い。
[編集] 歴史
[編集] 初代(RS型~S30系:1955年~1962年)
1955年1月に登場。他メーカーが海外メーカーとの提携により乗用車作りの手法を模索する中、トヨタは純国産で高級乗用車を作り上げた。観音開きのサイドドアが外観上の最大の特徴である。同年末には、真空管式カーラジオ・ヒーターなどを装備し、当時の高級車の概念を具体化したトヨペット・クラウン・デラックスが登場している。
エンジンは1953年に先行登場したトヨペット・スーパーから流用されたR型1500cc, 48psである。またフロントサスペンションは国産初の前輪独立懸架方式である。当初から純自家用として設計されたため、トラックシャシーを用いた実質的な兄弟車であるトヨペット・マスターも同時発売された。
デビューしてから約1年後の1957年には「ロンドン-東京五万キロドライブ」という、当時としては壮大な計画が実施される。これにより耐久性が実証され、「ロンドンからトヨペットで」のキャッチコピーで話題をさらった。
1958年10月のマイナーチェンジでは、オーバードライブが採用され、1959年10月には、ディーゼル車が追加された。1960年10月のマイナーチェンジでは小型車規格の拡大に伴い、デラックスに3R型1900ccエンジンを搭載したモデルが登場している。また、同時に国産乗用車初のAT車「トヨグライド」を搭載した。1961年4月にはスタンダードにも1900ccモデルが追加された。
また、1957年より対米輸出もされたが、評判は芳しくなく、数年で中止された。
[編集] 2代目(S40系:1962年~1967年)
1962年9月に登場。新しい小型車規格に合わせ、先代より長く幅広いボディが与えられ、近代的なルックスへ生まれ変わった。デザインは当時のアメリカ車の影響を強く受けた美しいものであり、フォード・ファルコンを手本にしたという。キャッチコピーは「クラウンによせられる信頼」。当初のCMでは「この王者の貫禄。堂々たる風格の中に、素晴らしい高性能を秘めて走る、トヨペット・クラウン・デラックス」と謳われている。
バリエーションはこれまでのセダンに加え、カスタムと呼ばれるワゴンが加わり、3車種いずれにもトヨグライド車が用意された。 また、商用モデルのバン、ピックアップ、ダブルピックにはマスターラインの名が与えられている。エンジンは当初4R型1900ccのみであった。形式名はスタンダードがRS40、デラックスがRS41となった。
初期型は「涙目」と呼ばれるテールライトとトヨタの頭文字である「T」をモチーフとしたジュラルミン製のフロントグリルが特徴的である。1年後の1963年9月にはグリルの大型化とテールランプの形状変更が行われ、同時にトヨグライドは完全自動化された。また1964年4月には、上級車種のクラウン・エイト(VG10型)が登場している。クラウン・エイトは通常モデルのボデーを前後左右に延長・拡幅して新開発のオールアルミV8エンジンを搭載したもので、この後登場するセンチュリーのパイロット・モデルというべきものであった。
1965年7月のマイナーチェンジでは、デラックスとスタンダードの中間に位置する個人ユーザー向けのRS40-B(後に「オーナースペシャル」となる)が追加されるとともに、外観もフラッシャーのバンパー埋め込みやテールランプのデザイン変更が行われた。さらに同年11月には新開発のM型,2000cc6気筒エンジンが追加された。この6気筒モデル(MS40型)にはデラックスのほかに、フロントディスクブレーキ、ツインキャブ、フロアシフト、タコメーター等を装備したスポーティーグレードのSも用意された。現在の「アスリート」や「ロイヤルツーリング」などの祖先といえるグレードである。
カスタム・スタンダード・オーナースペシャルの3グレードには1966年3月に6気筒エンジンが追加された。同年11月に最後のマイナーチェンジを受け、最上級グレードとして「スーパーデラックス」が追加された。翌年9月にMS50系・RS50系にモデルチェンジする形で生産終了した。
なお、このモデルは韓国の新進自動車(現:GM大宇)でもノックダウン生産された。第1回の日本グランプリには、コロナ、パブリカと共に出場している。
2004年1月に、トミーテックより1/64スケールモデル「トミカリミテッドヴィンテージ」のバリエーションとして発売された「トヨペット クラウン」は、この2代目クラウンの初期型(デラックス)である。
ちなみに映画「007は二度死ぬ」には、ボンドカーとして登場した2000GTを追いかける車として黒塗りのMS40型クラウンが登場し、東京の街中でカーチェイスを繰り広げた末ヘリコプターで吊り上げられ、東京湾に捨てられるシーンがある。このシーンには他にも、スバル360や3代目RT40型コロナが一瞬ではあるが姿を見せ、当時のモータリゼーションを垣間見ることができる。
また2002年夏クールに読売テレビ(日テレ系)で放送されたテレビドラマ版の『私立探偵濱マイク』の主人公『濱マイク』の愛車も赤のS40系クラウンという設定であった。また2007年冬クールのTBSテレビのテレビドラマ版『華麗なる一族』にも黒のS40系クラウンが登場している。
[編集] 3代目(S50系:1967年~1971年)
1967年9月に登場。トヨタ自動車工業(トヨタ自工)が前年に完成させたデザイン・ドームから生まれた最初の車種である。「日本の美」を追求したスタイリングは先代よりさらに低く、長くなり、曲面ガラスの採用によって安定感を増した。
先代・先々代で築き上げた法人ユーザーからの評価に加え、この代からは個人ユーザーもターゲットとすべくトヨタは大々的なキャンペーンを行う。ボディーカラーを法人需要をイメージさせる黒から、高級感と清潔感のある白へとイメージチェンジを図り、現在も広告史に残る「白いクラウン」のキャッチコピーでキャンペーンを展開した。このキャンペーンは結果として大成功を収め、同クラスでクラウンは圧倒的なシェアを獲得し、月販も4000台から6000台と、名実共に国産高級車をリードする存在となる。
また個人ユーザーをターゲットとした新グレード「オーナーデラックス」を設定し、イメージキャラクターに山村聡を起用。デラックスに準じた内外装や装備を持ち、88万円(東京・大阪店頭渡し)という低価格で販売された。このグレードの設定により、クラウンは「ハイオーナーカー」としての顔も持つことになる。
新聞広告では「白いクラウンは幸せなハイライフの象徴、しかもお求めやすい価格です」と謳い、「ハイライフ」の言葉は流行語となった。当時のテレビCMも、雪原をバックに山村聡と白いオーナーデラックスを登場させるなど、新聞広告と共通のイメージに仕上がっていた。なおこのキャンペーンは、当時まだ目の向けられなかった中高年マーケットの開拓を促すきっかけともなった。
ボディバリエーションは先代と変わらないが、この代から商用車系(バン、ピックアップ)にもクラウンの名が与えられるようになった。カスタム(ワゴン)はリアドアが横向きに改められ、さらに横向きのサードシートが設けられ8人乗りとなった。メカニズム的には、その後長く用いられるペリメーターフレームが初めて採用された。静粛性はロールスロイスより静かだと自負するフォード・ギャラクシーを目標とし、これに匹敵する静粛性を得ている。当時のアメリカの安全基準を上回る厳しいトヨタ独自の安全基準を満たし、この当時の乗用車としては最高の安全性を確立したことも特筆される。
エンジンはM型系を先代より引き継ぐほか、廉価グレードの4気筒エンジンが2000ccの5R型に改められている。グレードはM型搭載車が「クラウンS」「スーパーデラックス」「デラックス」「オーナーデラックス」「スタンダード」、5R型搭載車は「オーナースペシャル」「スタンダード」という構成。クラウンS・スーパーデラックス・デラックス・オーナーデラックス・スタンダードのM型搭載車についてはそれぞれで設定が異なり、ワイドバリエーションに対応した形となった。
スーパーデラックスには電磁式トランクオープナーや完全自動選局式AM/FMラジオ、音叉時計、後席専用の読書灯といった豪華な装備が採用されている点が特徴。なおオーナーデラックスを除き、価格は全て据え置きとなった。
翌1968年10月には、より個人ユーザーの拡大を図る目的でクラス初となる2ドアハードトップが追加される。キャッチコピーは「白いクラウンは『男ざかり』にふさわしい車です」。
セダンの丸型4灯ヘッドランプから角型2灯ヘッドランプとなり、スポーティーさと個性を主張したエクステリアが特徴的で、グレードは「HT」「HT-SL」の2つのみ。これによりクラウンSは消滅した。SLにはパワーウィンドウ・タコメーター・軽合金の特注ディスクホイールなどが標準装備され、またオプションでレザートップ装着車も選択することができた。
1969年には、ハードトップにも「スーパーデラックス」が追加されている。同時にセダンのスーパーデラックスのみ前席の三角窓が廃止された。
[編集] 4代目(S60、70系:1971年~1974年)
1971年2月に登場。この代から正式車名が「トヨペット・クラウン」から「トヨタ・クラウン」に改められている。
その滑らかなスタイリングから一般に「クジラ」「ナマズ」等と呼ばれる。ボディバリエーションはピックアップが廃止され、4ドアセダン、2ドアハードトップ、カスタム(ワゴン)/バンの3本立てとなった。
登場初期のキャッチコピーは「エレガンツ・クラウン―世界が見つめる」。3代目は「白いクラウン」キャンペーンやハードトップの追加で個人ユーザー層を開拓し大成功を収めたが、この4代目は顧客の要望に応え、車種バリエーションを大幅に拡充、性能・装備のグレードアップや新技術の採用が図られた。
グレードは、4ドアセダン・2ドアハードトップ両方に最上級グレードとして新たに設定された「スーパーサルーン」を筆頭に、セダンが「スーパーデラックス」「デラックス」「オーナーデラックス」「クラウン」、ハードトップは「SL」「スーパーデラックス」「ハードトップ」とセダンに準じた構成となった。またバンにも「デラックス」が設定された。 また装備面ではESC(電子制御式スキッドコントロール装置:後輪のみのABSのはしり)・EAT(電子制御式自動変速機)をSLに、オートドライブをSL、スーパーサルーン、オーナーデラックスにオプション設定したことなどが挙げられる。
1971年4月には、2600ccエンジン(4M型)を搭載したモデル(3ナンバー登録)が登場し、高級車化に拍車がかかった。
初代セリカを髣髴とさせる(特にハードトップ)時代を先取りしたスピンドル・シェイプ(紡錘形)と呼ばれる丸みを帯びたスタイルが最大の特徴であったが、あまりにデザイン先行であったスタイリングがユーザー層(当時のユーザー層は現在と違い大変保守的な思想のユーザー層が殆どだったといわれている)に敬遠されたうえ、特徴的なフロントグリルは通風性が悪くオーバーヒートを起こしてしまうなど実用性の問題もあり、同時期にモデルチェンジして姉妹車となったセドリック/グロリアの後塵を拝した(ちなみに後にも先にもセドグロの後塵を拝したのはこの代だけである)。1973年2月のマイナーチェンジではボデー同色一体型だったバンパーをクロームの大型にしたりするなど「高級車クラウンらしく」するリデザインが施されたが、人気の回復には至らなかった。そのためか「クラウン史上最大の失敗作」と言われている。
マイナーチェンジ時のキャッチコピーは「あなたにとって大事な人は…」「大事な人を大事にはこぶ こんどのクラウン」。またこの時に、3代目から同車のCMに出演していた山村聡と共に吉永小百合がイメージキャラクターとして起用され、CMには6代目最終モデルまで出演していた。
なお、CMや新聞広告・パーツカタログ用として使われていた『クラウン』のロゴ(カタカナ表記)はこの代から書体が一新され、8代目まで使われる息の長いものとなった。
[編集] 5代目(S80~100系:1974年~1979年)
1974年10月に登場。キャッチコピーは「美しい日本のクラウン」。先代の反省からか、一転して重厚感を強調したスタイリングに改められた。ボディバリエーションはこれまでの4ドアセダン、2ドアハードトップ、カスタム(ワゴン)/バンに加えて、4ドアピラードハードトップが加わった。
先代まで2000cc車(5ナンバー登録)、2600cc車(3ナンバー登録)共に最上級グレードは「スーパーサルーン」の名称だったが、2600cc車の最上級グレードに「ロイヤルサルーン(Royal Saloon)」のグレード名が初めて与えられた。デビュー当初はセダンのみの設定であり、2ドアハードトップ、4ドアピラードハードトップにはマイナーチェンジ時から設定された。
この代のタクシー用スタンダードモデルは当時まだ大型であったタクシーメーターをインパネの改造することなくセンタークラスターをタクシー専用に対応させ、またタコグラフをスピードメーターの左隣にビルトイン可能になった。オプションの冷房装置は他グレードがエアコンであるのに対し吊り下げ式クーラーである。
5代目は同時期の国産他車種の例に漏れず、年々厳しくなる排ガス規制に翻弄されたモデルである。一方、4輪ディスクブレーキの新採用(2600ロイヤルサルーン)、車速感応式のパワーステアリング、オーバードライブ付き4速オートマチック(1977年に追加。世界初)、ディーゼルエンジン車の復活(1977年)+オーバードライブ付きオートマチック(1978年、ただし北海道地区は設定無し)など、安全・燃費対策の為の新装備が多数設定されていたのも特長である。なお、先代から設定されたESCは新設計となり、作動時のフィーリングを向上させている。
上級指向ニーズに対応すべく、この頃のトヨタ車の例に漏れずエクストラインテリアを採用した「スーパーサルーン・エクストラ」が1977年に設定され、そのコラムシフト車にはラウンジシートが採用された他、ハードトップにはデラックスをベースに、タコメーター/チェック柄部分ファブリックシート/ウッドステアリング・シフトノブ/アルミホイールが装備されたデラックス・カスタムエディションも設定された(飾りホイール標準のSグレードもあり)。
ちなみに、カタログなどで使用された英字表記の『CROWN』ロゴは、この代から11代目まで全く同じ物が使われていた。
[編集] 6代目(S110系:1979年~1983年)
1979年9月に登場。キャッチコピーは「日本の薫り」「美しい日本の新しいクラウン」。スタイルはキープコンセプトであるが、より直線的なイメージとなった。エンジンは上級グレードが2600ccから2800ccの5M-EU型に変更されている。排ガス対策がひと段落したからか、パワーアップに力が注がれ、1980年にはSOHCターボ車(M-TEU型エンジン)が追加される。翌1981年のマイナーチェンジでは先にソアラに採用された2800ccDOHCエンジン(5M-GEU)搭載車が追加され、あわせて2000ccのベーシックエンジンも長年使われたM-EU型から1G-EU型に変更された。1982年には電子制御ターボディーゼル(2L-TE)搭載車が追加される。このモデルの後期型4ドアハードトップは、3ナンバー車のフロントグリル中央が前方へ突き出た様式が鬼面のような形相であることから一部では「鬼クラ(鬼面のクラウン)」と呼ばれ、初代ソアラ、クレスタ同様に暴走族に好まれた。
この6代目にはクラウン史上最後となる2ドアハードトップが存在し、ルーフ後部をレザー貼りとしたランドウトップがオプション設定されていた。「トーニング」と呼ばれるツートンカラー/運転席パワーシートはS110系で初めてクラウンに採用された他、クルーズコンピューター(後期型から“ナビコン”も選択可能となる。ただし北海道仕様は6代目では設定無し)、ソアラで初採用されたエレクトロニック・ディスプレイメーター(後期型から)などのエレクトロニクス装備も採用された。モデル末期には、ブロンズガラス、エレクトロニック・ディスプレイメーターを装備したお買い得な特別仕様車「エクレール」も登場している。またセダンには主として法人タクシー専用グレードである「タクシースタンダード」も設定されている。このグレードはインパネがタクシー専用設計がされており冷房装置も吊り下げ式クーラーとなっている。 キャッチコピーは「ちょっと誇らしく」。
[編集] 7代目(S120系:1983年~1987年)
1983年9月に登場。現在も語り継がれる「いつかはクラウン」のキャッチコピーはこのときに生まれている。CM出演は無かったが、ナレーションで石坂浩二がこのキャッチコピーを唱えるその声は重みがあった。またラジオCMで「高性能を意識すること無く、それでいて意のままになる走りがあります」と表現していた(石坂は以後も永らく各車種のCMの末尾に、1984年初頭~89年頃にかけて使われたコーポレート・ステートメント「Fun To Drive」に続けてトヨタ販売店の名前・「トヨタです」「トヨタオートです」「トヨタビスタです」というコールを担当した)。
CMのBGMとして、登場時(サブキャッチコピーは「ロイヤル・ツインカム」)にはモーツァルト『交響曲第40番』(第1楽章)が、1985年9月のマイナーチェンジ時(サブキャッチコピーは「ロイヤル・パフォーマンス」)にはワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』が使われ、そのキャッチコピーと相俟って高級車のCMらしく格調高いものとなった。
セダン・4ドアハードトップ共に、「クリスタル・ピラー」と呼ばれるCピラー周りの樹脂処理がスタイリングの特徴である。また4ドアハードトップの3ナンバー車のみ、クラウンを象徴する「王冠」のエンブレムがグリル上端に配置されていたが、マイナーチェンジで中央に配置される形へと戻っている。
ボディバリエーションは2ドアハードトップが廃止され(1981年に登場したソアラが実質的な後継車となる)、4ドアセダン、4ドアハードトップ、ワゴン/バンの3本立てとなっている。この代から、現在まで最高級グレードとして君臨する「ロイヤルサルーンG」が登場した他、2000DOHCを搭載する5ナンバーのロイヤルサルーン、ハードトップ後期モデルではスーパーサルーンの替わりにスーパーセレクトが設定され、ワゴンにはスーパーサルーン(後期はスーパーサルーンエクストラ)など、多岐に渡るグレード展開がなされた。またパッケージオプションとして、足回りが専用となるスポーティータイプの「Sパッケージ」も設定された。
エンジンは上から5M-GEU 2800DOHC 1G-GEU 2000DOHC M-TEU 2000SOHCターボ 1G-EU 2000SOHC M-PU 2000LPG6気筒 3Y-PU 2000LPG4気筒 2L-T 2400SOHCターボディーゼル 2L 2400SOHCディーゼル。サスペンションもDOHCエンジン車にはクラウン初の後輪独立懸架が与えられた。翌1984年には上級グレードのエンジンが2800ccから3000ccの6M-GEU型に変更され、ディーゼルには2L-THEが追加された。その翌年の1985年9月のマイナーチェンジでは、2000ccDOHCエンジン+スーパーチャージャーの1G-GZEU型エンジン搭載車(日本初のスーパーチャージャー搭載車となった)が加わり、引き換えにSOHCターボのM-TEU型搭載車が廃止された。
メカニズム面で従来型と大きく異なるのはリアサスペンションにセミトレーリングアーム式コイルばねを採用し、4輪独立懸架となり「フルフローティングボデー」と謳っていた(ただしこれはロイヤルサルーン以上のみに採用された)。
なお特別仕様車として、前期型のみスーパーエディションをベースとした「エクレール」が先代に引き続いて設定された。後にスポーティーグレードとなる「アスリート(Athlete)」の名称もこの時に初登場するが、当時は「特別企画車」として発売されていた。前期型はスーパーエディションをベースに1G-GEUを搭載したものだったが、後期型ではスーパーセレクトをベースに1G-GZEUを搭載したものとなる。両方ともフロントスポイラーや専用のサスペンションが装備された。後期型のアスリートのCMはベルリオーズ『幻想交響曲』の第二楽章「舞踏会」が流れる華麗なものであった。
LPG仕様の営業車モデルも最上級グレードに「スーパーデラックス」が追加され、個人タクシー・ハイヤーのグレードアップを行うきっかけにもなった。
このS120系から次のS130系にかけてハイソカーブームが爆発し、若年層にも支持されるようになる。免許を取って最初に乗ったクルマがクラウン、という例も少なくなかった。
[編集] 8代目(S130系:1987年~1991年)
1987年9月に登場。メインキャッチコピーは「満たされて、新しいクラウン。」「日本の誇りと歓び」。サブキャッチコピーは「“いつかはクラウンに”その想い、今こそ。」と,先代の名コピーを継承したものであった。
4ドアセダン、4ドアハードトップ、ワゴン/バンの3本立ては変わらないが、4ドアハードトップには3ナンバー専用「ワイドボデー」が追加されている。それまでの3ナンバー車の常識(この130系のセダンやワゴン含めて)が「5ナンバー枠のボディ+大型のバンパー・サイドモール」でサイズアップされていたのに対し、大型のバンパーは勿論、ドアやフェンダーまで3ナンバー車専用としたこの試みは画期的であったが、ワイドボデーによる室内空間の拡大はみられなかった。デザインは従来の面影を色濃く残しながらも、当時のトレンドに沿い曲線を巧みに織り交ぜたものとなっている。
装備・技術面ではエアサスペンション(ロイヤルサルーンG)、エレクトロマルチビジョン(ジャイロによる自立航法を利用した地図表示機能を含む集中制御装置)などが目新しい。エンジンは上から7M-GE 3000DOHC 1G-GZE 2000DOHCスーパーチャージャー、1G-GE 2000DOHC 1G-E 2000OHC 2L-THE 2400SOHCターボディーゼル高出力仕様(AT用) 2L-TE 2400SOHCターボディーゼル(MT用)、2L、2400SOHCディーゼル、3Y-E 2000OHV、M-P 2000OHC
翌1988年9月に2000ccのベーシックエンジンがハイメカツインカムの1G-FE型へ変更された。キャッチコピーは「誇りと歓び-わがクラウン」。CMにはポンキエッリ「時の踊り」(歌劇『ラ・ジョコンダ』より)がBGMに使われた。
1989年9月のマイナーチェンジではセルシオに先行してV8、4000ccエンジンの1UZ-FEが搭載された。1964年に登場したクラウン・エイトを除くと初のV8搭載車であり,後のクラウンマジェスタの源流となる。同時期に税制が改められ、税額がナンバー区分ではなく排気量で決定されるようになったため、ワイドボデーの2000cc車も登場している。また6気筒LPGのエンジンも長らく搭載されたM型にかわってツインカム24LPGの1G-GPに換装された。
モデル末期の1990年8月には1JZ-GE型エンジン搭載の2500ccモデル(セダン/ハードトップ/ワゴン)も追加され,次世代への準備が整えられていった。2500ccモデルの追加で2000DOHC(1G-GE)搭載車は廃止。スーパーチャージャー車はハードトップの5ナンバーのみとなった。またワゴンの3ナンバー車も1975-77年まで存在したいた「2600カスタム」以来である。
グレードはロイヤルサルーンG ロイヤルサルーン スーパーサルーンエクストラが基本となる。 ハードトップにはスーパーセレクト スーパーエディション,セダンにはスーパーサルーン スーパーデラックス デラックス スタンダードが加わる。ワゴンはロイヤルサルーン スーパーサルーンエクストラ、スーパーデラックス。バンはスーパーデラックス デラックス スタンダードである。前期型のハードトップのみ,スーパーセレクト等にロイヤルサルーン譲りのスーパーチャージャーやジャガードモケット内装を奢った特別仕様車「アスリート」が設定されていた。1989年9月のマイナーチェンジでアスリートLとして正式なカタログモデルとなる。
グレードだけでなく搭載エンジン、トランスミッションの種類も多く、またパッケージオプションや特別仕様車等も多く、ラインアップは膨大なものとなった。
時はバブル全盛期であり、月間販売台数で一時カローラを上回ったこともあった。また、V型8気筒エンジン搭載モデルは現在でも人気がある。
1991年にハードトップは140系にフルモデルチェンジされたが、セダン・ワゴン・バンは130系が大規模なマイナーチェンジを受けて続投(特にセダンはボディ全体の大半以上のスキンを刷新し外見だけに限ればほとんどフルモデルチェンジに近い。またワゴン・バンはフロントノーズ周辺のみのスキンを刷新)した。セダンは1995年の150系のセダン登場に伴い降板するが、ワゴン・バンにおいては1999年の170系クラウン・エステート登場まで継続生産された。
[編集] 9代目(S140系:1991年~1995年)
1991年9月登場。キャッチコピーは「すべては、クラウン」。ボディはすべて3ナンバー化した。この代から従来の4ドアハードトップは「ロイヤルシリーズ」と呼ばれ、アスリートLに代わるスポーティーグレードとして「ロイヤルツーリング(Royal Touring)」が登場し、5速ATを搭載した。また、新たに上級モデルとして「クラウンマジェスタ(CROWN MAJESTA)」が発売され、クラウン史上初のモノコックボディを採用した。セダン、ワゴン/バンについては、先代の130系が大幅なマイナーチェンジを受けて継続生産された。
初期のCMは、BGMにベートーヴェン「交響曲第九番二短調 第一楽章」の冒頭部分(第一主題)が使われ、マジェスタとの連合CMであった。
ロイヤルシリーズは、前期型のリアスタイルが「クラウンに相応しくない」という批判が殺到した。ナンバープレートをバンパーに配し、テールランプを横一文字に繋げたスタイルは当時のV30系カムリやE100系カローラ、T170系~190系コロナなどに見られた手法ではあったが、クラウンの場合はマジェスタとの差別化とはいえ、かえって安っぽく見えるスタイルとなってしまった。そのため、4代目のS60/70系(クジラクラウン)程ではないが失敗作のレッテルを貼られてしまう結果となった。
1993年にマイナーチェンジを受け、不評だったリアスタイルは先代の130系後期型に似たイメージへ戻された。キャッチコピーは「新しいクラウンが、動き出す。」「あの人が、乗っている」。CM曲はMichael Nyman(マイケル・ナイマン)「Anohito No Waltz」。2L-THEから2L-TEに換装
1993年12月、1G-FE搭載車復活。
ベーシックグレードに「スーパーセレクト・ロイヤルエクストラ」を投入。ロイヤルサルーンには手が出ない、しかしせっかくクラウンを買うのだから、というオーナーのためにエンブレムはスーパーセレクトの「SuperSelect」はなく、「Royal」を冠している。このモデルではRoyalのあとにエクストラを表す「E」という単独エンブレムが付いている。
[編集] 10代目(S150系:1995年~1999年)
1995年9月登場。キャッチコピーは「美しく、走る」。この代の最大の特徴は、ロイヤルシリーズにもようやくフルモノコックボディーが採用されたことである。これにより、先代モデルと比較して100kg以上の軽量化に成功した。保守的で、120系や130系を思わせる角張ったスタイリングのロイヤル系は、歴代クラウンの中でも人気が高い。一方マジェスタは個性的なデザインで、その後のクラウンに新たなデザイン性を追求させる契機となった。ハードトップ(個人向け、その他)、セダン(法人・公用車、キャブ仕様、その他)のフルラインナップ化(スタンダード-ロイヤルサルーンG)はこのモデル以来、行われていない。バブル崩壊の煽りを受けてコスト削減が進み、プラットフォームは1クラス下の90系マークIIをベースとしている。 主力となるハードトップはグレード名称が整理され、それまで「スーパーサルーンエクストラ」「スーパーセレクト」の名称だったベーシックグレードは全て「ロイヤルエクストラ(Royal Extra)」に統一されている。
1996年に2.5LのエンジンBEAMS1JZ-GE(VVT-i)エンジンが搭載された際は、CM曲にチェロ奏者ヨーヨー・マのガヴォットが使用された。 ちなみに、3Lの2JZ-GEエンジンは、当初からVVT-i搭載である。
1997年7月にマイナーチェンジを実施。キャッチコピーは「クラウンを教えてください」。衝突安全ボディGOA採用、SRSサイドエアバッグ採用、VSC(横滑り防止機構)の装備拡大等、安全面で大きく進歩した。装備の面でも7インチワイド画面を採用したエレクトロマルチビジョン、マルチリフレクター式ヘッドランプやディスチャージ式ヘッドランプ(ロイヤルツーリングのみ)、クラウン初となるオプティトロンメーターの採用など、現代に通ずる装備が用意される事となった。また、ロイヤルツーリングはアルミホイールのデザインが変更され、ロイヤルサルーンとの差別化が図られた。
1998年8月 1G-FEがVVT-iに換装された。3000ccにも4WDが追加される。
後期型からは、CMキャラクターとしてバイオリン奏者の諏訪内晶子、モデル末期にはバレリーナの草刈民代が起用されていた。なお、クラウンのCMに女性のイメージキャラクターが設定されたのは吉永小百合(S60系~S110系まで)以来である。
ちなみに、歴代クラウンはほぼミニカーとして発売されているが、唯一この10代目モデルのみミニカーの発売がされていない。(但し1/24自動車プラモデルのみフジミ模型製が4ドアハードトップロイヤルシリーズ、マジェスタ共に前期型が製品化された)
[編集] 11代目(S170系:1999年~2003年)
1999年7月登場。キャッチコピーは「21世紀へ、人生の新しいドアを。」「21世紀へ、このクラウンで行く」。ボディ剛性をより強化するため、ピラードハードトップからドアサッシュ(窓枠)を持つ通常のセダンボディに変更。また、従来からの「ロイヤルサルーン」とは別にスポーツグレードとして「アスリート」の名称が復活し、14年振りにターボ搭載車も加わった。また、ロイヤルではヘッドランプがマルチリフレクター式から従来のハロゲンへと戻されている(ディスチャージヘッドランプはアスリートのみの設定)。 2000年4月 ロイヤルに1G-FE搭載車追加。
このモデルから、プラットフォームがX110系マークIIと共用化され、ホイールベースはマークIIと同じく2780 mmとなった。
2001年8月のマイナーチェンジでは、トヨタ独自のマイルドハイブリッドシステム<THS-M>を搭載するグレードが用意され、国土交通省低排出ガス車認定制度で50%低減レベル、八都県市指定低公害車認定で優-低公害車☆☆ を獲得している。キャッチコピーは「新しい技術は、恒にクラウンから」。マイナーチェンジ時から、ロイヤルにもディスチャージヘッドランプが設定されている。アスリートには17インチアルミホイール&45扁平タイヤのオプションが行われた。
この代にはヤマハ発動機の手により「アスリートVX」というスープラの足回りを移植し300psにパワーアップしたエンジンを持つモデルが限定で登場している。
前期のCMキャラクターには、仲代達矢が起用された。クラウンのCMキャラクターに男性が起用されたのは山村聡(S50系~110系まで)以来。初期のCMでは『若者たち』のインストルメンタルバージョンがBGMとして演奏されていた(同曲はCD化されていない)。アスリートについてはロイヤルシリーズとは別にCMが放映されていた。キャッチコピーは「アスリートだけが知る領域がある」。CM曲には前期型・後期型共にバッハ『無伴奏チェロ組曲第1番』をアレンジしたものが使われたが、前期型ではサックスで演奏され、後期型ではピアノによるジャズアレンジがなされていた。
後継のS180系が登場した後もS180系がマイナーチェンジするまで警察のパトカー向けに生産が継続されていた。(ベースは2000ロイヤルエクストラで内装がパトカー専用になっている)また、警視庁捜査一課には3000アスリートGの覆面パトカーが導入されている。
この代は日本国内専用車に思われがちだが、インドネシアなどに右ハンドル仕様が輸出されていた。
[編集] 12代目(S180系:2003年~)
2003年12月22日に登場。「静から動への変革」をテーマに「全てをゼロから発想するクルマ造り」を行い、プラットフォーム、エンジン、サスペンションといった主要コンポーネントを全て一新した。特にエンジンは、長く使われた直列6気筒に代わり、この12代目からV型6気筒のGRエンジン(歴代クラウンとしては初のV6エンジン)に切り替えられた。変速機は2500ccが5AT、3000ccがセルシオに搭載されているシーケンシャルシフト付の6ATが搭載された。
かつては「いつかはクラウン」のキャッチコピーに代表されるように、憧れと終着点としての目標だったが、セルシオやクラウンマジェスタの登場でトヨタの最上級車ではなくなった事や、中年向けのイメージをずっと引きずったままでユーザーの対象年齢の高齢化が問題となっていた。 その結果、「ZERO CROWN(ゼロ・クラウン)」としてイメージを一新させている。ただし、「ZERO CROWN」は車両名称ではない(但し、テレビ・ラジオCMや各媒体などでは「ZERO CROWN」として広告が打たれている)。
従来の保守層向けの「ロイヤル」シリーズと、先代から設定されていたスポーティモデルの「アスリート」シリーズという2本立ては変わらないが、オーソドックスな高級感を持つロイヤル、輸入車と肩を並べるスポーティーセダンとしての顔を持つアスリートと、それぞれの個性を明確にした。
数代に渡って続いた保守的なエクステリアと決別し、低く短いフロントや長いホイールベース、CD値0.27を達成した流麗なボディや「書の勢い」をモチーフとしたサイドビューを特徴とする、それまでのクラウンからは考えられないほどスポーティーで若々しいものとなった。プラットフォームの一新により走行性能・操縦性を重視したアスリートはもとより、それまでは乗り心地を重視していたロイヤルでも、輸入車に引けを取らないスポーティーな走りが楽しめるようになった点も大きな特徴である。
2004年7月5日には、上級モデルのクラウンマジェスタがモデルチェンジして、エンジンはセルシオと同じく4300ccのV型8気筒に一本化され、車体にクラウンのロゴマークは入っていない。これは2006年にセルシオがレクサスブランドに移行するにあたり、クラウンマジェスタがセンチュリーに次ぐトヨタブランドの最上級車種となるため、それを強く象徴させるためにトヨタエンブレムにしたとされている。このモデルでは、いっそうプラットフォームの共用化が進み、X110系マークIIの後継モデルとされるマークXとGRS180クラウン、UZS186クラウンマジェスタまでホイールベースはまったく変わらず2850 mmとなっている。
前期型のCMは、「ZERO CROWN-かつてゴールだったクルマが、いまスタートになる。-」のキャッチコピーと共に、CM曲としてJohn Harle(ジョン・ハール)『How should I my true love know?』(本当の恋人をどうして見分けましょう?)が使われた。それまでのクラウンのイメージから脱却したことを追求し、音楽と映像が巧みに融合した躍動感溢れるもので、「トヨタらしからぬ出来の良いCM」として評判も高かった。この代からはロイヤルシリーズのCMは打たずアスリートのみと思われがちだが、北海道地区で流された第1作目の「大地」篇ではロイヤルサルーンFourが出ている(もともとフルCGで制作されているのでグレードを変える事は容易いと思われる)。また、第4作目の 『WIND of ZERO』篇ではオーストリアでの撮影が行われ、すれ違いのシーンでMR-Sが脇役として登場している。
2005年10月4日にマイナーチェンジを行う。キャッチコピーは「ZERO CROWN,第2章」。
エクステリアではロイヤル・アスリート共にヘッドランプのスモーク化や、フロントグリルを従来のイメージを継承しながら立体的なものにし、より精悍なイメージとした。 アスリートは現在の3000ccエンジンからレクサス・IS350と同じ3500ccのエンジン(2GR-FSE)に変更され、3000ccはロイヤル系のみとなった。2500ccは従来どおり両グレードで展開される。2500ccはこのマイナーチェンジで6ATに変更(FRのみ。4WDは従来からの5ATを継続)。純正オーディオのCDデッキにおいてはMP3対応品となり、ナビゲーションはHDD方式となった。
また、「キーインテグレーテッドウォッチ」という新しい装備も設定された。これは、身につけてスイッチを操作するだけでドアロックの施錠/解除、エンジンの始動/停止などの操作ができる腕時計である。 マイナーチェンジ後約1年間は、CM曲に松本晃彦作曲の『I know your dreams』が使われた。また、2006年9月からは同氏の『The Spiendor』が使われている。それまで松本氏の曲(オリジナル)は日産・フーガのCMに使われていた。
- 2005年10月頃S180系クラウンパトロールカーの生産が開始された(2006年から納車されている)。このクラウンパトロールカーは、3000ccと2500ccの2つのエンジンが設定されているが、どちらも耐久性や整備性を重視し、直噴仕様ではない3GR-FE(3000)、5GR-FE(2500)が採用された。このうち、2500ccには4WD車も設定されている。トランスミッションは、3000ccが6速ATとなるが、2500ccは5速ATである。
- マイナーチェンジでは、グリルが横基調のストライプから、チェック柄の高級志向に。
- ウインカーが、オレンジからクリアーになっている。
2005年から中華人民共和国で現地生産が行われている。
[編集] 13代目(S200系:2008年登場予定)
[編集] 日本仕様エンジン種類
- 2GR-FSE(内径×行程:94.0×83.0/圧縮比:11.8)
- V型6気筒 DOHC デュアルVVT-i 24バルブ D-4S
- 3.456L 232kw(315ps)/6,400rpm・377Nm(38.4kgm)/4,800rpm
- 3GR-FSE(内径×行程:87.5×83.0/圧縮比:11.5)
- V型6気筒 DOHC デュアルVVT-i 24バルブ D-4
- 2.994L 188kw(256ps)/6,200rpm・314Nm(32.0kgm)/3,600rpm
- 4GR-FSE(内径×行程:83.0×77.0/圧縮比:12.0)
- V型6気筒 DOHC デュアルVVT-i 24バルブ D-4
- 2.499L 158kw(215ps)/6,400rpm・260Nm(26.5kgm)/3,800rpm
[編集] 中国仕様エンジン種類
- 3GR-FE(内径×行程:87.5×83.0/圧縮比:10.5)
- V型6気筒 DOHC デュアルVVT-i 24バルブ
- 2.994L 170kw(231ps)/6,200rpm・300Nm(30.6kgm)/4,400rpm
- 5GR-FE(内径×行程:87.5×69.2/圧縮比:10.0)
- V型6気筒 DOHC デュアルVVT-i 24バルブ
- 2.497L 145kw(197ps)/6,200rpm・242Nm(24.7kgm)/4,400rpm
[編集] 車名の由来
- CROWN 英語で「王冠」を意味する。
[編集] クラウンの派生モデル
[編集] 取り扱いディーラー
トヨタ店(東京地区では東京トヨペットでも取り扱い。大阪地区は大阪トヨペットのみで取り扱っていたが、名称変更で2006年8月8日をもって大阪トヨタの販売になった。) 但し、東京地区で個人タクシー用途の車両を購入する場合、東京トヨペットのみの取扱となる。