もぐり橋 (新境川・北派川)
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もぐり橋(新境川・北派川)は、岐阜県羽島郡笠松町米野の、新境川(北派川)にかかる岐阜県道93号川島三輪線(岐阜県道180号松原芋島線と重複)の橋である。
北派川の河川敷が岐阜県各務原市川島笠田町と岐阜県羽島郡笠松町米野の境にある事から、この橋が各務原市と笠松町の境にあると思われ易いが、橋の位置は笠松町である。
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[編集] 概要
- 供用 1999年(平成11年)(車道橋及び歩行者自転車専用橋)
- 延長 20m
- 幅員 12m(下り線は2車線 上り線は1車線)
[編集] 橋の特徴
名前から推測されるように、この橋は潜り橋(潜水橋)である。木曽川の支流である北派川の河川敷を通り、新境川に橋がかかっている。
北派川には普段は全く水が流れておらず、新境川からの水が流れているのみである。
新境川の異常出水及び、木曽川の洪水により本流から水が北派川に流れ込んだ時に冠水し、通行止めとなる。
[編集] 歴史
安土桃山時代~大正時代末期までは現代の北派川が木曽川本流であり、この付近には笠田の渡し(梅ノ木渡し)という渡し舟が運航されていた。
大正時代末期~昭和時代初期の河川改修によりこの木曽川本流が締め切られ、北派川になる。北派川には基本的に流水は無くなった為、笠田の渡しは本流(現川島大橋の下流)移転する。
1930年(昭和5年)、新境川が完成し、その水が北派川に流れる事となる。この為、1931年(昭和6年)新境川の流水箇所に木製の橋をかける(全長20m、全幅2.7m)。この時、笠田地区の住民が総出で北派川の河川敷を整備し、河川敷道路(笠田川底道路)が整備される。
1967年(昭和42年)3月、河川敷道路はコンクリート舗装をされる。この時、木製の橋はコンクリート製の橋に架け替えられる(全長20m、全幅6m)。しかし、この橋は川の水面からわずか数十cmの高さしか無く、梅雨時の短時間の雨でも冠水してしまった。
1980年(昭和55年)、歩行者・自転車専用橋完成。河川敷の為照明が設置できなかった(当時)為、夜間に笠田地区から投光器で歩道を照らしていた。1995年頃に太陽電池を用いた街路灯の設置された。
1999年(平成11年)、上流に仮橋を造り、旧もぐり橋(新境川・北派川)を取り壊す。同じ位置に現代のもぐり橋(新境川・北派川)が完成する。橋の高さが約1mかさ上げされ、冠水による通行止めは激減した。
2004年(平成16年)7月頃、アクア・トトぎふ開業に合わせ、河川敷道路及びもぐり橋に街路灯(通常のタイプ)を増設、投光器は撤去された。
[編集] 本当の橋の名前は?
この橋の名前ははっきりしていないようである。通称として地元では、米野橋、笠田橋、笠田うら橋等と呼んでいる。もぐり橋の名称は岐阜県ポータルの地図に記載されている名称 “もぐり橋” から引用したのだが、各務原市の広報の記事[1]には、“川島橋”と掲載されている。