笠松町
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[編集] 地理
岐阜県南部の濃尾平野に位置し、町の3分の1を流れる木曽川に沿う位置にある(対岸は愛知県)。かつては頻繁に水害に悩まされ、松枝輪中という輪中が発達していた。水害に関する多くの史跡が残り、古くから木曽川を通じて岐阜と名古屋を結ぶ重要な地であった。
[編集] 隣接する自治体
[編集] 歴史
古くは尾張国であったが、1586年(天正14年)の木曽川の氾濫により木曽川の位置が変わり、美濃国に移り、尾張国葉栗郡から美濃国羽栗郡となった。
江戸時代は幕府直轄地として陣屋が置かれ、江戸時代の終わりには笠松県の県庁、明治時代の初期には岐阜県庁が置かれており、県庁が岐阜市に移るまでは、岐阜県の中心となっていた。
[編集] 沿革
- 1875年(明治8年)1月
- 1889年(明治22年)7月1日 羽栗郡笠松村が町制施行し笠松町成立。
- 1896年(明治29年)4月18日 羽島郡へ移る。
- 1987年(明治30年)4月1日
- 中野村、園城寺村、無動寺村、江川村、米野村が合併して下羽栗村となった。
- 長池村、田代村、北及村、門間村が合併して松枝村となった。
- 1910年(明治43年)松枝村の一部を合併。
- 1925年(大正14年)柳津村の一部を合併。
- 1950年(昭和25年)8月 松枝村を合併。
- 1955年(昭和30年)4月 下羽栗村を合併。
- 1974年(昭和49年)4月1日 岐阜市と境界変更。
[編集] 行政
- 町長
広江正明 (平成11年6月29日~)
[編集] 合併問題
岐阜市広域合併協議では岐阜市、羽島市、笠松町、岐南町、柳津町、北方町が参加し、50万都市を目指したが、岐阜市椿洞での産廃不法投棄問題に端を発した岐阜市行政の怠慢、莫大な処理費用などが予想され、また合併後の市議会議席の調整などにも失敗していた。そんな中、4月に羽島市が住民投票の結果により岐阜広域合併協議会からの脱退が決まり、2004年6月6日 笠松町でも合併についての意思を問う住民投票が実施された。その結果、反対票が65.32%と賛成票を上回り、同月21日に町議会で岐阜広域合併協議会からの脱退についてが議決された。(詳しい経過(外部サイト))
[編集] 財政健全化のための政策
- 2005年3月末までは少子化対策の為、入院および外来の医療費を15歳(義務教育終了)まで町が負担する無料乳幼児医療費助成が行われていた。出生率が上がるなどの一定の成果はあったが、財政圧迫を理由に外来の医療費を4月から10歳(小学校4年生)までに引き下げとなった。入院の医療費補助は義務教育終了まで続いている。
- 毎年増大しているゴミの処理費用削減のため、全国的にも例の無い、町内会単位による資源ごみ分別回収が行われている。1つの町内会で数ヶ所あるゴミの収集場所を原則1ヶ所にしてゴミの回収費用を削減するものである。
- オグリキャップで有名な笠松競馬場がある。しかし、赤字続きで資金もほぼ底を付き運営を続けるなら自治体の支援が必要になったが、支援はしないことを決め、2005年度から笠松競馬場の収支が赤字の場合は廃止する予定である(2005年度は黒字)。
[編集] 国の施設
[編集] 教育
[編集] 高校
[編集] 中学校
- 笠松中学校
[編集] 小学校
- 笠松小学校
- 下羽栗小学校
- 松枝小学校
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] バス
- 岐阜バス 川島・前渡線(名鉄岐阜~川島松倉)
- 笠松町公共施設巡回町民バス (米野高瀬~下門間)
- 岐南町巡回バス「にじバス」 (笠松駅に乗り入れ)
[編集] 道路
- 高速道路
- 東海北陸自動車道(通過のみ)
- 一般国道
- 国道22号(名岐バイパス)
- 一般県道
[編集] 公共施設
[編集] 警察署
- 岐阜羽島警察署(岐阜市)
[編集] 図書館
- 中央公民館
- 松枝公民館
- 総合会館
[編集] 医療機関
- 松波総合病院(岐阜県有数の民間総合病院)
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 魂生大明神(へそ塚)
- 笠松陣屋跡(笠松県庁跡、美濃郡代)
- 米野の戦い跡(関ヶ原の戦いの前哨戦)
- 芭蕉句碑(米野、称名寺、四季の里)
- 笠松競馬場
- トンボ天国(岐阜県の名水)
- 円城寺の芭蕉踊(無形文化財)
- 笠松の奴行列(無形文化財)
- 笠松春まつり
- 笠松川まつり
- リバーサイドカーニバル