アタナソフ&ベリー・コンピュータ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アタナソフ&ベリー・コンピュータ (Atanasoff-Berry Computer/ABC) は、世界最初のデジタル電子計算機(コンピュータ)。1937年から1942年にかけてアイオワ州立大学で、ジョン・ビンセント・アタナソフとクリフォード・E・ベリー によって開発された。アタナソフ&ベリー・コンピュータは、二進数による演算、並列コンピューティング、再生式メモリ、メモリと演算機能の分離といった数々のコンピュータに関する発明を成し遂げた。しばしば、そのイニシャルから ABC と呼ばれる。アタナソフ氏は1990年11月13日に当時の大統領ジョージ・H・W・ブッシュからホワイトハウスにてアメリカ国家技術賞を授与された。
アタナソフ&ベリー・コンピュータは、物理学部の建物の地階で組み立てられたが、資金不足のために2年以上を費やすことになった。1939年10月に最初の試作機が完成し、11月にデモンストレーションが行われた。ABCの重量は320kg以上である。約 1.6km以上の電線と280本の双三極真空管と31個のサイラトロンから構成され、机ほどの大きさであった。プログラム内蔵方式ではないところがその後のコンピュータ(1949年のEDVACやManchester Mark I)とは異なる。
しかし、ABC は現代のコンピュータでも使われている3つのアイデアを最初に実装していた。
- 二進数を使って数値やデータを表す。
- 機械的なもの(歯車や機械的なスイッチ)を使わず、全て電子的に計算を行う。
- 計算をする部分とメモリを分離する。
さらに、ABC は再生式キャパシタメモリを使っており、これは原理的にはDRAMと同じである。ABC のメモリはドラムのペアからできていて、それぞれに1600個のコンデンサを内蔵している。このドラムが共通の回転軸上で 1秒間に 1回転する。コンデンサは 50個一組で「バンド」を形成し、32バンドがドラム内に構成されている(そのうち30バンドがアクティブで、2バンドは故障発生時のスペア)。これにより、マシンは 1秒間に 30回の加減算ができた。データは 50ビットの固定小数点数で表現される。原理的には 1秒間に60回、50ビットの固定小数点数を格納または演算することができる(3000ビット/秒)。交流電源の周波数である 60Hz がマシンの基本動作周波数となっている。
論理機能は完全に電子化されていて、真空管で実装されている。インバーターや2入力/3入力のゲートから回路が構成されている。どのゲートの入出力電圧も同じに設定されていて、各ゲートは論理機能を決定する抵抗分圧ネットワークとビット反転用の真空管増幅器から構成されている。
アタナソフ&ベリー・コンピュータは、それ以前の計算機械からは大きな前進であったが、プログラム内蔵式コンピュータではなかった。操作者は機能を設定するために制御スイッチを操作する必要があった。ちょうど、後のコンピュータでブートプログラムを入力するやりかたと一緒である。操作できる処理としては、メモリの読み書き、十進数と二進数の相互変換、連立方程式の整理などで、スイッチで足りない部分はジャンパー線で結線して操作した。
入出力は二種類の形態があった。一次ユーザ入出力と中間結果入出力である。中間結果格納域を直接操作するのは、初期の問題が大きすぎてメモリに入りきらない場合である。中間結果は静電性の紙に書き込むことができ、一枚の紙に1秒間で30×50ビット(1500ビット)が直接静電的に記録された。この機能のエラー発生率は10万回の演算について1回であり、紙に塗布される静電材料の均一性が十分でなかったために起きる問題であった。この問題はアタナソフ氏が戦争に関連した仕事で大学を離れるまで解決しなかった。
一次ユーザ入力はパンチカードを使ったもので、出力は操作パネル上の表示である。
ABC は連立一次方程式を解くように設計されていた。当時としては画期的な最大29次の連立方程式を解くことができるマシンであった。この規模の問題はアタナソフ氏の所属していた物理学部では一般的になりつつあった。基本的に29個の変数を持つ一次方程式をふたつ入力して、ひとつの変数を排除する。これを外部からの操作で繰り返して方程式を入力していき、ひとつずつ変数を排除していく。さらにもう一度全部の方程式を入力していくと全部の変数の値を求めることができる。
当初、資金は同様の問題を解くことに興味を持っていた農学部から出ていた(経済分析と統計解析で使用)。デモ実施後の資金はニューヨークの Research Corporation から提供された。
ジョン・エッカートとジョン・モークリーは後にENIACコンピュータでデジタル計算機の特許を獲得した。ジョン・モークリーは1941年6月に ABC を調査していて、ENIACの設計はこれに影響されていると言われたが本人は否定している。1967年、ハネウェル社はスペリー・ランド社と特許権侵害について法廷で争ったが、この結果として ABC が先に存在していたことを理由に ENIAC の特許は無効とされた(1973年10月19日)。しかし、この結果はあまり大きく取り上げられなかった。
アタナソフ氏は「電子計算機を発明し開発した者は皆賞賛されてしかるべきだ」と寛大に述べた。エッカートとモークリーはそれまで多くの賞賛を受けたが、歴史家は今ではアタナソフ&ベリー・コンピュータが世界初のコンピュータであると言っている。
オリジナルのABCは、大学が地階を教室に改造したときに撤去され、部品はほとんど捨てられた。1997年、アイオワ州立大学キャンパス内にあるエネルギー省エイムズ研究所(Ames Laboratory) の調査チームが動作するアタナソフ&ベリー・コンピュータの複製を 35万ドルで製作した。この複製により、ABC は本当に設計の意図通りに動作したのかという疑問を払拭した。ABC はアイオワ州立大学の Durham Center for Computation and Communication の1階ロビーに永久展示されている。
[編集] 参考文献
- 「ENIAC神話の崩れた日」最相力 (bit 共立出版, 1992年5月 Vol.24 No.5 pp472-479)
[編集] 外部リンク
- アイオワ州立大学のABCに関連したホームページオリジナルABCの写真あり
- ABCのレプリカを作るプロジェクト