アチラノ・リベラ
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1939年1月に、東京巨人軍(現・読売ジャイアンツ)のマニラ遠征にて対戦したマニラ税関チームの主将を務め、ヴィクトル・スタルヒンを打ち崩す。
その後巨人に入団。背番号は20。5番で打席に立ち、戦前のプロ野球で上位に入る6本塁打を放つ。8月24日には巨人における球団史上初の満塁本塁打を打った。同年限りで帰国し、その後は消息不明となる。
1967年、ユニバーシアード東京大会にバレーボールの選手として来日したリベラの娘2人に川上哲治が会って話したところ、税関吏として働いた後フィリピン独立義勇軍に身を投じ、日本軍と戦い戦死したと言う。
生涯成績は、76試合出場、打率.257 、6本塁打 、42打点。
現在まで日本プロ野球でプレーした唯一のフィリピン選手である。