アドルフ・ヒトラー・シューレ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アドルフ・ヒトラー・シューレ(Adolf-Hitler-Schule、AHS、アドルフ・ヒトラー学校)とはナチス政権下のドイツで党組織部長兼ドイツ労働戦線指導者のロバート・ライ (Robert Ley) が設けたエリート学校(12歳 - 18歳)である。
党幹部を育てる党直属の教育機関として1937年1月15日に開校、1945年5月の敗戦まで合計12校が作られた。生徒はヒトラーユーゲントから選抜された。選別試験については下記の文献『ヒトラー政権下の日常生活』に詳しい。卒業生は、労働奉仕 (Reichsarbeitsdienst) と兵役を終え、更に職業実践を経て20歳代半ばで最終的な党幹部養成機関である騎士団の城 (Ordensburg) に進んだ。
当時ドイツにはもう一種のエリート学校が既に存在していた。それは文部大臣ベルンハルト・ルスト (Bernhard Rust) が設けたナポラ と呼ばれる国立ギムナジウムである。1933年3校から始まり、1941年には30ヵ所に増えていた。
これら二つのエリート学校に共通することは青少年に寄宿制により民族共同体の集団生活を体験させ、意志堅固、肉体剛健なナチ党幹部予備軍に育成することである。これら施設の多くは古城や休眠中の国家施設を改築して快適な学生生活が提供された。また、卒業試験合格者には大学入学資格が授与された。しかし、戦後は彼らの多くは出身学校を隠さねばならなかった。
[編集] 文献
- 山口 定(著)『ナチ・エリート;第三帝国の権力構造』1976年、中央公論社
- Harald Focke / Uwe Reimer (著)山本 尤 / 鈴木 直(訳)『ヒトラー政権下の日常生活;ナチスは市民をどう変えたか』1984年、社会思想社、ISBN 4-390-60324-8
- 山本 尤(著)『ナチズムと大学;国家権力と学問の自由』1985年、中央公論社、ISBN 4-12-100775-1
- Richard Grunberger (著)池内 光久(訳)『第三帝国の社会史』2000年、彩流社、ISBN 4-88202-555-8