アルハンゲリスク
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アルハンゲリスク(Архангельск /arˈxanɡʲɪlʲsk/ アルハーンゲリスク;Arkhangel'sk)は、ロシア北西部の都市。白海に注ぐ北ドヴィナ川の河口近くに位置する。アルハンゲリスク州の州都。人口は343,000人(2004年)。 アルハンゲリスクとは「大天使の町」の意味。
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[編集] 歴史
この地域は古くからヴァイキングに知られており、12世紀にはノヴゴロド人が北ドヴィナ川の入り江に大天使ミカエル修道院を建立した。1478年にはノヴゴロド公国を滅ぼしたモスクワ公国に編入された。当時、この地域の商業の中心地は現在のアルハンゲリスクより少し上流の町ホルモゴルイであった。
1555年、イヴァン4世(雷帝)がイギリス商人たちに特権を与えると、北ドヴィナ川河口に毎年船が送られるようになった。続いてオランダ商人たちも白海での活動を初め、1584年、イヴァン4世はここに町に建設した。はじめはノヴォ・ホルモゴルイ(新ホルモゴルイの意)と呼ばれたが、1613年に近在の修道院にちなみアルハンゲリスクと改められる。バルト海の通航が、ハンザ同盟とそれに代わるバルト帝国によって支配されていた時代、アルハンゲリスクは、冬期の5ヶ月間は凍結して使用できなくなるものの、ロシアの唯一の海港であった。
1693年、ピョートル1世によってアルハンゲリスクに造船所が建設される。その後、スウェーデンとの戦争に勝利し、1703年にフィンランド湾に臨むペテルブルクが開かれたことで、アルハンゲリスクの重要性は低下した。
18世紀に入り、バルト海の重要性が高まるにつれてアルハンゲリスクは衰退したが、19世紀末にモスクワと鉄道で結ばれたことで、主要な輸出品である木材の輸出港として再び活気を取り戻した。1918年から1920年にかけて、町はボルシェヴィキに抵抗する反革命政府、白軍の拠点となり、1918年8月には、共産革命の崩壊を図ったイギリスやアメリカが一時占領した。
第二次世界大戦では、連合国側の補給物資がアルハンゲリスクを通して運ばれていった。
[編集] 経済
現在、アルハンゲリスクは砕氷船の発達で一年を通して使用できるようになり、重要な港湾都市である。木材加工や漁業が主要な産業。
[編集] その他
ミハイル・ロモノーソフは付近の小村の出身である。
[編集] 友好都市
ポートランド(アメリカ合衆国メイン州、1988年11月18日より)
ヴァルデ(ノルウェー、1989年2月23日より)
スルプスク(ポーランド、1989年6月26日より)
エムデン(ドイツ、1989年11月26日より)
ミュルーズ(フランス、1992年3月13日より)
オウル(フィンランド、1993年6月3日より)
ピレウス(ギリシア、1995年2月28日より)
キルナ(スウェーデン、1999年8月9日より)
[編集] 外部リンク