ヴァイキング
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ヴァイキング(Viking)は8世紀から300年以上に渡って西ヨーロッパ沿海部を侵略したスカンディナヴィアの武装船団(海賊)である。しかし、これはキリスト教徒からの一方的な見方であり、後の研究の進展により「その時代にスカンディナヴィア半島に住んでいた人々全体」を指す言葉に変容した。中世ヨーロッパの歴史に大きな影響を残した。
トール・ヘイエルダール(ノルウェーの考古学者)が述べたように、ヴァイキングは海賊、交易、植民を生業としていたのではなく、故地においては農民であり、漁民であった。特に手工業に秀でており、職人としての技量は同時代においては世界最高のレベルであった。
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[編集] 背景
どうして彼等が域外へと進出したのか。これに対する明確な答えはないようだ。
進出の原因を求める説の一つに、人口の過剰を原因とする説がある。その反面、寒冷な気候のため土地の生産性は極めて低く、食料不足が生じたとされる。山がちのノルウェーでは狭小なフィヨルドに平地は少なく、海上に乗り出すしかなかったし、デンマークでは平坦地はあったが、土地自体が狭かった。スウェーデンは広い平坦地が広がっていたが、集村を形成できないほど土地は貧しく、北はツンドラ地帯だった。このため豊かな北欧域外への略奪、交易、移住が活発になった、という仮説が有力と考えられたこともあった。しかしそもそも生産性が低く、土地が貧しいのなら、出生率が上がるはずが無いので今では否定的に捉えられている。
むしろ全く逆に、中世の温暖期が原因にされることがある。温暖化により北欧の土地の生産性が上がったが、出産制限も何もない時代では、一度上昇し始めた出生率は、暴走気味に増え続け、域外へと進出することを招いたと言う説である。
また、大陸ヨーロッパでは中世の暗黒時代の真っ只中であり、弱体化したヨーロッパに付け入る隙が大いにあったということも原因として挙げられることが多い。
一方、原因とは別に、能力を理由とする説もある。ヴァイキングの航海技術が卓抜だったから(後述)、他の民族は対抗できなかった、というわけだ。原因は、特にない。なぜなら、域外進出をしたがるのは、あらゆる民族に共通するからだ。アフリカに発祥した人類が、南欧から北欧へ、あるいは、アジアや北米へ、というふうに進出した。こういう域外進出は、いつでもどこでも見られるので、当り前のことであり、ことさら原因は必要ない。あとは、その能力があるかどうかの問題だ、というわけだ。(たとえば、後年のスペインや英国が七つの海を支配したのは、国内に人口過剰があったからではなく、そうする能力があったからそうしただけのことだ。)
ともあれ、いろいろな説があるが、現在ではきわめて多様なヴァイキング活動の背景を一元的に説明することは出来ないとみられている。
[編集] ヴァイキングの舟
ヴァイキングは「ロングシップ」(オーセベリなどでいくつか完全に発掘されている)と呼ばれる喫水の浅く、細長い舟を操った。ロングシップは外洋では帆走もできたが、多数のオールによって漕ぐこともでき、水深の浅い河川にでも侵入できた。また陸上では舟を引っ張って移動することもあり、ヴァイキングがどこを襲撃するかを予想するのは難しかった。まさに神出鬼没といえる。このため、アングロ・サクソン人諸王国や大陸のフランク王国も手の打ちようがなく、ヴァイキングの襲撃を阻止することはできず、甚大な被害を蒙ることになる。ヴァイキング船については、ノルウェーのオスロ郊外ビュグドゥイ、およびデンマークのロスキレにある「ヴァイキング船博物館」が中心となって研究がおこなわれている。
[編集] 初期のヴァイキング
西暦700年代末頃からヴァイキング集団はブリテン諸島やフリースラントへの略奪を始めたが、この頃には季節の終わりには故郷へと戻っていた。793年には北部イングランドのリンデスファーン修道院、795年にはヘブリディーズ諸島のアイオナ修道院を略奪している。だが、9世紀半ばからは西ヨーロッパに越冬地を設営して、さらなる略奪作戦のための基地とするようになった。いくつかの場合、これらの越冬地は永続的な定住地となっていった。
[編集] デンマークのヴァイキング
デンマークのヴァイキングは、デーン人(Daner)と呼ばれ、ヴァイキングの代名詞となった。セーヌ川(Seine)河口に大軍の集結地を作り、そこから繰り返し北フランス各地の略奪へと出撃した。851年にはイングランド本土へ侵攻して東部イングランドを蹂躙し、866年にはノーサンブリアからイースト・アングリア一帯にデーンロウが成立している。これ以後、150年にわたってイングランドの歴史はアングロサクソン諸王国とヴァイキングの闘争に支配される。なお、サッカーの起源が侵入したデーン人の頭蓋骨を蹴った事にあるのは有名な逸話である。911年にはセーヌ河の「ノースマン」(北の人=ヴァイキング)は首長ロロの下に永久的に定住し、ノルマンディー公国を形成することになる。ノルマンディーに定住したヴァイキングはノルマン人といわれる。
[編集] ノルウェーのヴァイキング
ノルウェーのヴァイキングは、しばしばノルマン人と呼ばれる。8世紀にはオークニー諸島やシェトランド諸島、9世紀にはフェロー諸島やヘブリディーズ諸島、東アイルランドに植民した。 988年にはダブリンが建設された。874年にはアイルランドのケルト人と共にアイスランドに定住を始めた。ケルト人を奴隷として連れて行ったのか、それとも対等な同志だったのかは詳らかではない。さらに985年に赤毛のエイリークがグリーンランドを発見し、その息子レイフ・エリクソンは北アメリカにまで航海し、そこをヴィンランドと命名した。992年(事実は1000年)のことである。しかしグリーンランド以西の植民地活動は最終的には失敗に終わった。
[編集] スウェーデンのヴァイキング
スウェーデンのヴァイキングは、しばしばスヴェーア人と呼ばれる。バルト海を横断して、ロシアに入り、リューリク(ルーリック)がノヴゴロド公国を創建したという説もあるが、現在も論争が続いている。この論争はゲルマニスト・スラヴィスト間の対立としてしられ、とくに『ロシア原初年代記』(邦訳は名古屋大学出版会)にみられる「ルーシ」の同定、さらに「ルーシ」が国家形成で果たした役割をどう評価するかが論点となっている。ただし現代では、反ノルマン説は根拠に乏しいとして否定されている(反ノルマン説を殊更に提起するのは、ロシアの歴史家だけである)。またノルマン人がルーシ国家の創設に深く関わっていたのは事実である。さらにリガ湾やフィンランド湾に流れ込む河川を遡り、9世紀にはバルト海と黒海を結ぶ陸上ルートを支配するようになった。彼らは東ローマ帝国の都コンスタンティノープルにまで姿を現している(860年頃)。伝説的な要素も含む『原初年代記』によれば、882年にはドニエプル川を南下し、リューリクの息子イーゴリが、オレーグを後見人にキエフ公国を建国。彼らはスウェーデン語でヴァリャーグと呼ばれる。またサーガ(スノッリ・ストゥルルソン「ヘイムスクリングラ」)やリンベルトによる聖人伝「聖アンスガールの生涯」によると、9世紀のスウェーデンのエリク王(族王)の時代には、エストニアとクールラント(今のラトヴィアの一部)を支配していたが、それを失ったらしい。
[編集] ヴァイキング後裔国家
ルーリクとその息子たちは東スラヴ民族を服従させ、860年から880年にかけてノヴゴロド公国やキエフ公国を樹立したが、次第にスラヴ人化された(ただし、これは伝承的色彩の濃い史料に基づいており、ロシアの歴史そのものに15世紀まで不確実性が残る)。11世紀のデンマーク王族カヌートはイングランドとデンマークを結ぶ北海帝国の主となり、カヌート大王(1016年~1042年)と呼ばれる。ノルマンディの騎士ロベール・ギスカールは1059年、南イタリアに渡り、その子孫たちはノルマン朝(オートヴィル朝)シチリア王国を築くことになる。イタリアに渡ったノルマン人のうち、ターラント公ボエモンは、第一次十字軍に参加し、1098年アンティオキア公国を建国した。ノルマンディー公ギョームは1066年にアングロサクソン・イングランドを征服(ノルマン・コンクエスト)し、ノルマン王朝を築いた。ノルウェー人の築いた植民地は、アイスランドの植民の成功を除き、全て13世紀から16世紀までに、北欧本国からの連絡が途絶えてしまったとされる。しかしその後も僅かながらの「白いイヌイット」、「金髪のイヌイット」に遭遇したと言う、船乗りたちの話が北欧に伝えられたのである。しかしヴァイキングの活動は急速に失われつつあった。イングランド、ノルマンディ、シチリア、あるいは東方に向かったヴァイキングたちは、その地に根付き、王となり、貴族となり、初期のヴァイキングの自由、そして独立した精神が失われてしまったのである。13世紀までには、殆どのノルマン人は消滅し、あるいはそれぞれの国・地域に同化していったのである。
[編集] 関連項目
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デンマーク | デンマーク=ノルウェー | カルマル同盟 |
(北海帝国) |
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グリーンランド | ノルウェー | グリーンランド | |||||||||
フェロー | フェロー | ||||||||||
アイスランド | アイスランド | ||||||||||
ノルウェー | スウェーデン=ノルウェー | ||||||||||
スウェーデン | バルト帝国 | スウェーデン | |||||||||
オーランド | フィンランド大公国 | ||||||||||
フィンランド | フィン人 |
[編集] 関連フィクション
- 小さなバイキングビッケ ― ルーネル・ヨンソン原作の1974年4月3日~1975年9月24日にフジテレビ系で放送されたテレビアニメ作品。
- ヴィンランド・サガ ― 月刊アフタヌーンで連載中の幸村誠による歴史漫画。現在4巻。11世紀のヴァイキングの生き様を忠実に描いている。
[編集] 音楽
ヴァイキング・メタル ― 北欧神話や戦いに明け暮れるヴァイキングをテーマに置いたフォーク・メタルのサブジャンル。
[編集] 参考文献
日本語で記述された基本的な文献を出版年の新しい順に並べた。
- 角谷英則『ヴァイキング時代(学術選書 諸文明の起源9)』京都大学学術出版会、2006年 ISBN 4876988099
- マーツ・G・ラーション『悲劇のヴァイキング遠征』新宿書房、2004年 ISBN 4880083240
- 熊野聰『ヴァイキングの経済学』山川出版社、2003年 ISBN 4634491303
- レジス・ボワイエ『ヴァイキングの暮らしと文化』白水社、2001年 ISBN 4560028346
- H・クラーク、B・アンブロシアーニ『ヴァイキングと都市』東海大学出版会、2001年 ISBN 4486015312
- ヒースマン姿子『ヴァイキングの考古学』同成社、2000年 ISBN 4886212107
- G・キャンベル『ヴァイキングの世界』朝倉書店、1999年 ISBN 4254166567
- 百瀬宏他『各国史 北欧史』山川出版社、1998年 ISBN 4634415100
- 伏島正義『スウェーデン中世社会の研究』刀水書房、1998年 ISBN 4887082231
- K・ハストルプ『北欧社会の基層と構造』東海大学出版会、1996年 ISBN 4486013611
- B・アルムグレン『図説ヴァイキングの歴史』原書房、1990年 ISBN 4562021012
- 熊野聰『北欧初期社会の研究』未来社、1986年 ISBN 4624111028
- 熊野聰『北の農民ヴァイキング』平凡社、1983年 ISBN 4582474071
[編集] その他
スカンジナビア航空は、創設以来伝統的に保有する航空機1機ずつに全て“○○ Viking”とヴァイキングの英雄の名を愛称として名づけており、北欧の民族としての誇りを強調する形を取っている。