アレクシス・アルゲリョ
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アレクシス・アルゲリョ(Alexis Argüello、1952年4月19日 - )は、ニカラグア初のプロボクシング世界王者。ニカラグア・マナグア出身。1974年から1981年までに3階級制覇を果たす。抜群の強打と華麗なテクニック、加えて端正な容姿もあり、リングの貴公子、またその痩身長躯に似合わぬ強打から“破壊的な痩せっぽち”とも呼ばれた。
[編集] 略歴
1967年プロデビュー。初の世界挑戦は1974年2月、エルネスト・マルセルの持つWBA世界フェザー級タイトルだった。この頃のアルゲリョはまだ無名の存在だったが、王者相手に大善戦し小差の判定負け。
9ヵ月後、マルセルが返上したタイトルを獲得した「ミスター・ノックアウト」ルーベン・オリバレスの初防衛戦の相手に選ばれる。アルゲリョは10回以降KO負けのピンチに見舞われるが、13回、左フックのカウンターでオリバレスを横転させ、さらに粘る王者を右アッパーで沈め見事世界タイトル獲得。 このタイトルは4度防衛し、いずれもノックアウト。3度目の防衛戦では来日し、「KO仕掛人」と呼ばれたロイヤル小林をボディで悶絶させ、一級の実力を見せつけた。 減量苦もあり、1976年にはタイトルを返上。この後一時引退するがすぐに復帰。
1978年、11度防衛中のアルフレド・エスカレラと対戦し、13回TKO勝ち。WBC世界ジュニア・ライト級(現スーパー・フェザー級)タイトル獲得し2階級制覇を果たす。減量苦から開放されたアルゲリョは8度(7KO)の防衛を達成した後、タイトル返上。 1981年、アルゲリョはジム・ワットの持つWBC世界ライト級タイトルに挑み、ダウンを奪っての判定勝ち。3階級制覇を果たす。このタイトルは4度(4KO)の防衛を果たし、返上。
1982年、史上初の4階級制覇を目論んで、アーロン・プライヤーの持つWBA世界ジュニア・ウェルター級(現スーパー・ライト級)王座に挑戦。再三強打をヒットさせるも14回プライヤーの連打に捕まりロープ際で滅多打ちにされ立ったまま失神。TKO負けを喫した。翌1983年の再戦でも10回KO負けとなり夢は叶わなかった。
[編集] 戦績
88戦80勝64KO8敗
[編集] 関連項目
カテゴリ: ニカラグアのボクサー | 1952年生