アンジェイ・ポニャトフスキ
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アンジェイ・ポニャトフスキ大公(Andrzej Poniatowski, 1735年7月16日 - 1773年3月3日)はポーランド貴族(シュラフタ)で軍人。元帥。
アンジェイはスタニスワフ・ポニャトフスキの息子で、ポーランド王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキの弟、ユーゼフ・アントニ・ポニャトフスキの父にあたる。
彼はピエンスク(Pieńsk)の郡長(Starost)となり、1760年にはオーストリア軍の中将、1771年には元帥に任ぜられたが、七年戦争(1756-63年)の間はその身分を隠していた。1764年、彼はポーランドに戻り、ポーランド王の自由選挙(free election)において、兄を支援した。戴冠議会(Coronation Sejm)は彼にポーランドの大公(książę)の称号を、 1765年皇后マリア・テレジアはボヘミアの大公(kníže)の称号を、皇帝ヨーゼフ2世はオーストリアの大公(Prinz)の称号をそれぞれ与えた。
1773年、ウィーンで死去した。
[編集] 叙勲
- ポーランド王国白鷲勲爵士(1766年)
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